八〇三フロア ミツオシエの宝物 中編
エルフは森の種族なんで、大木の根が這い回り、下草や蔓がのたくる地道を進むのも速いのでやす。お嬢とケルヌンノスの進みについていくのに苦労していると、お嬢が立ち止まりやした。
「ねえ、さっそくミツオシエを呼んでください」
ちょうどいいので、あっしは息を整えやす。
「もう場所はわかってるんですが……」
エルフ族長の息子、ケルヌンノスは、お嬢の感情を測るかのように、顔を覗き込んでやす。
「……懐かしいわ。ぼんやりとしか覚えていないけれど、わたくしもミツオシエと遊んだ記憶があります」
「なるほど。……まあいいでしょう。里を離れている御身のお気持ちはわかりますから」
ほっと息を吐くと、形のいい唇をすぼめ、複雑な旋律の口笛を吹きやした。言葉には表しにくいものの、あえて書くとすると「ピュイック、ピピチューイ、ヨイ」とか、そんな感じの。
何度か繰り返していると、森の奥、フロア照明を遮るどこか高い樹上から、「ピポキューイ、ヨイヨイ、ピピ」とか、そんなさえずりが返ってきやした。多分これがミツオシエでやんしょう。
さらに繰り返すと、啼き声はどんどん近づき、ついにすぐ前の低い枝に、小鳥が一羽、とまりやした。体長十センチかそこら。枝に紛れるこげ茶色の体には、黒い模様が点々と入ってやす。腹だけは白で、首を傾げて、こちらのエルフ、コボルド混成チームを興味深げに眺めてやす。蜂の巣の蠟を摘むためでしょうが、細く長いくちばしで。
鬱蒼とした森には、他にも小動物や鳥の声が飛び交い、さわやかな風と日陰ならではのしっとりした空気が心地良いっす。
三階層、百五十メートルもぶち抜いたせいか、フロア空調より自然のバランス調整機能のほうが、うまく働いているようでやすな。
「ピューイ、ピピック、ピヨ、ヨーイ、ピピピ」
お嬢が口笛を吹くと、羽をばたつかせて、啼き返してきやす。
「これは驚いた」
感に堪えないといった調子で、ケルヌンノスが口にしやした。
「管理人殿は、優れた歌唱能力をお持ちですな。これほどの旋律、めったには聞けない。どこで習われたのでしょうか」
森と共存するエルフにとって、生き物と会話する歌唱能力は、異性を惹き付ける最大の魅力。ただでさえ見た目もかなりのお嬢でやすし、まあ惚れられても不思議はないっすな。
「よくわからないけれど、わたくし、歌えるようです」
お嬢がまた旋律を奏でると、ひと声返したミツオシエが飛び立ち、十メートルほど先の小枝に止まって啼きやす。
「あっちだって」
「行きましょうか」
どうやらケルヌンノスは、道のりをお嬢に任せ、その口笛を楽しむことにしたようで。まあたしかに快い旋律なのは確かなので、あっしもそれに賛成っす。
小鳥に導かれるまま、あっしらは森を右に左にと迷路のように進みやした。そう……三十分も進んだ頃か、とある大木を前に、枝にとまったミツオシエが、しきりに羽をはばたいてやす。
目的地ってことなんでしょうが、見ればわかるっす。幹周り十メートル以上は優にある古大木の根元にウロが開き、黒鉄色の、金属質の壁が見えてやす。周囲は削り広げられていて、赤茶けた切削面が痛々しいっす。たしかにこれ、もとからあった建造物が、生えてきた樹木の幹が成長して覆われたって感じでやす。かなり年月がかかったでしょうな。
「見てのとおり、壁に切れ目が入ってます」
ケルヌンノスが指差した。
「大きさからしても扉だと考えられます。ですが鍵穴も
「ふうん……」
顎に手を添えて、お嬢が例によって名探偵になってやすな。
「ずいぶん頑丈そうねえ。……どれだけ高品質の蜂蜜が隠されているのか、楽しみだわ」
ケルヌンノスが困ったような表情を浮かべてやすな。まあ、いつものお嬢「名探偵」っす。
「では、コボちゃん、お願い」
「えっ。またあっしに全振りっすか」
「あたりまえじゃない。あなた盗賊なんだから」
「それは昔のことで――」
例のやり取りがひとくさりあったんでやすが、こうなるのは見えてた。あっしも扉を目にした瞬間から、いろいろ推理していたわけで。
鍵穴がないってことは、物理キーじゃない。こうした場合、電磁システムをまず疑うのが定石でやすが、電磁キーをかざす目印が皆無。ってことは、それも違う。
こうなるとかなりやっかいで……。たまにあるのは、カラクリ的なシステムでやすな。機能面よりも住人の趣味を反映した奴。たとえば、決まった体重の人物が(つまりその部屋の住人が)とある場所に立つと解錠されるとか。壁面の彫刻に隠された三つのパズルを、決まった順番で動かすとか。
でも見たところつるっつるの壁だし、周囲の床面にも仕掛けらしきものは見当たらない。樹木で覆われた部分に仕掛けがあったらお手上げっすが、見えている範囲に飾りなどないんで、おそらくそれはなさそうで。
となると仕組みを探るのに、とてつもない時間がかかるのも明白。管理人業務の合間に一年かけて取り組むとか難しそうだし、いよいよ最後の手段っすな。
「これは『物理解錠』しかなさそうっすね」
「なによそれ」
「早い話、ぶっ壊すって意味で」
「わあ。さすがコボちゃん。『楡の木荘』一の大盗賊ね」
「……お嬢も嫌味が上手になったっすな」
「壊したら、中の蜂蜜が台無しになっちゃうでしょ。なによこんな扉」
お嬢が扉に近寄りやした。
「こんなの、簡単に開くはずよ。だって管理人室のボロ扉だって、軋みはするものの、押せば開くし。たまーに渋いときは、蹴飛ばせばたいてい――」
扉に手を触れた途端――
「ガコンッ」
大きな音。切れ目を境に、扉と思われる部分が、奥に向かい十センチほど陥没しやした。
「うおっ!」
驚いて、ケルヌンノスが飛びじさりやす。最初の音はなんだというほど無音で、今度は扉部分が滑らかに左に滑りやした。
「入り口が開いた」
「これは……生体認証でやすな」
「声帯……刃傷?」
扉に手を添えた形のまま、お嬢はあっけに取られてやすな。ああ言ってはみたものの、開くとは自分でも思ってなかったんですな、これは。
「わたくし、喉を切り開いたりしてないわよ」
「いえお嬢。そういう意味じゃなくてですね」
どうやらお嬢のなにかに反応して開いたんだ。そう設計されていたに違いない――。そう、あっしは説明しやした。
「エルフの里にあったから、エルフに反応するんじゃないの」
「エルフの里に部屋に関する言い伝えはありやせん。加えて大木に埋まってたくらい古いわけだし、ここがエルフの森になる前からあると思われるんで」
「それにエルフに反応するなら、私共が見つけた時点で開いたはずです。……管理人権限の一種なんですかね、これ」
言うとおりあっしらには、管理人権限が付与されてやす。大家から。なので管理人室前庭の亜空間扉といった、管理者専用通路が使えたりするんで。とはいえこんな場所に管理人権限の隠し部屋があるとは、考えにくいのは確かで。
「まあいいじゃない、どうでも」
なぜかお嬢は上機嫌でやすな。自分の力で錠前を解いたからっすかね。
「さあ、蜂蜜探索よー」
やっぱそっちか……。
足を踏み入れると、周囲を見回して。
「うーん。貯蔵庫じゃあなさそうね」
「さいで」
お嬢の残念そうな声を聴くまでもなく、どちらかというと居室っぽいっす。壁面はほぼ棚。書物やよくわからない像や小物が並んで。それがまた几帳面に配置されてやす。書物なんか大きさとか似た装丁順になっている気配があるし。どこか隅のほうから、かすかに小動物のような鳴き声が聞こえてきやす。
とはいえ寝台だの食卓だのがない。なので居室というより保管庫とか倉庫といった印象っす。大きな
「この鳴き声……」
お嬢が耳を澄ませて。
「高原猫でもいるのかしら」
「いるはずありやせん。密室ですぜ」
「古い施設だから、どこか裏のほうの壁が腐って、穴でも開いているのかもしれませんね」
言いながら、ケルヌンノスは、棚のひとつに手を伸ばしたっす。
「どうでしょう。見たところ、なんらかの管理施設とは考えにくい感じですが」
「そうっすな。もっと個人的な空間といった印象を受けやす」
お嬢と三人、あれこれを手に取って調べやす。
「この球体には、なにか地図のようなものが描かれていますね」
頭ほどの大きさの球体を、ケルヌンノスが手に取ってやす。受け台に軸で固定されていて、くるくる回る仕掛けになってるようで。たしかに色からして、表面の模様が陸地や海に見えなくもないっすな。見たこともない細かな文字らしきものが、そこここに書かれてやす。
「これ、家族の絵みたい」
お嬢が摘み上げたのは、つるつるした、硬い紙らしき品。手のひらほどの大きさで、ヒューマンが三人、画材すらまったくわからないほどの緻密さで描かれてやす。
お嬢の言うとおり、三人は家族――父親と母親、まだ幼い娘に見えやす。装束は、遺跡フロアの異世界書物や映像にあるものに似ていて。長い年月のせいか、色彩が薄れて貧血したみたいになってやすが。それに、左右に傾けてみると人物の位置が変わり、少し立体的に見えるのがちょっと奇妙っす。魔術の類かもしれやせん。
「貸してくだせえ」
お嬢がひらひら振るその絵の裏側に、古代エルフィン文字が垣間見えやした。数文字。
「これは……えーと、クサ……ハリ」
「なんとっ!」
ケルヌンノスが目を見張りやした。
「ノシムリ博士と並ぶ、古代三賢人のひとりではないですか。ではここは……」
唸ってやす。
「ここは太古の賢人、クサハリ博士関連の施設かっ!」
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