おっさんのdie冒険

龍鬼 ユウ

第ゼロ章 『たった一人の世界』

『夢は、燃え尽きた』

 明かり一つ点いていない部屋の中。

 男は布団の上から動けないでいた。

 部屋は薄暗い和室。

 畳の上に敷かれている布団は異様な蒸れを発生させ、男の水分を奪い続けている。


「……ぁ……つっ……」


 全身を襲う倦怠感に体の熱さ、寒さ、渇き。

 体の自由が一切利かない状態になってから男は、今日で三日目の朝を迎えていた。

 体が動なければ水も飲めず、空腹を満たせなければ助けも呼べない。


「……ぇぅ……っ……」


 男はなんとか視界を動かし、この部屋に唯一存在している物に視線を向けた。

 男の視線の先にあるものは仏壇。

 仏間に設置されている仏壇は、一般家庭にしてはかなり大きいほうだろう。

 仏壇には男の好物でもあるさきの煎餅が御供えされている。

 しかし片腕すら動かせなくなっていた男に、それを取る事など不可能だ。

 もしこの場に他の誰かが居たのなら。

 もし、誰か他の人と生活していたのなら。

 助けを呼んでもらい、一命を取り留める事が出来ただろう。

 しかしそれらは全て、一人身の男には実現不可能な希望とも言えない願望。


「……ぅ……」


 死に瀕していた男は一人しか居ない筈のこの部屋に、幾つもの気配を感じていた。

 その気配は子供時代の最も〝視えていた〟時期に、男がよく感じていたものだ。

 男が一人でいると決まって姿を現した黒い影。

 それは幾度となく男を助けた、不思議な存在達。

 そんな正体不明な黒い影に、男は三度も命を救われている。

 一度目は森の中で野犬と出くわし、威嚇されていた時。

 黒い影が現れて怯えた野犬が逃げ出し、怪我を負う事もなく助けられた。

 二度目は飛び出しで車に轢かれそうになった時。

 黒い影に足首を掴まれ転倒したものの、車と接触する事が無く軽傷で済んだ。

 三度目は……迷子になった時。

 その黒い影がいなかったら男は家に帰れなかったかもしれない。

 そんな正体不明な黒い影の気配が――。

 姿は視えずとも、今現在の男には感じ取ることが出来た。

 視え始めたのは何時頃からで……。

 視えなくなったのは、何時頃からであっただろうか。

 熱にうなされる頭で、男は考えた。

 視えなくなったのは……そう。

 恐ろしい〝赤い一つ目鬼〟が視えなくなったのと同時期だ。

 その〝赤い一つ目鬼〟は、全身の皮膚が剥がされたような姿をしている。

 幼少期、視えてしまった恐怖の原因を父親に話して……そう。

 早くに命を落としてしまった父親に連れられて行った、あのお寺。

 檀家として所属しているお寺に、〝お祓い〟をして貰った時からだ。

 お祓いのあとお寺の住職が、男の掌に謎の紋様を描いた時。

 その住職が『視えなくなる御まじないだよ』、と言っていたのを男は覚えている。

 どちらも視えなくなったのは、その時からだ。

 だがその時既に、父親の背中には恐ろしい〝赤い一つ目鬼〟が視えていた。


「…………っ?」


 だが黒い影たちが視えるようになった時期が、男はどうしても思い出せない。

 藁にもすがるような思いで、男は黒い影たちの気配に助けを求めた。


「……っ……ぃ……」


 ――助けて。

 今の男では、そんな言葉すらも発する事が難しい。

 全身が重く、男は何度か吐いてしまっていた。

 当然、トイレにだって行けていない。

 部屋には目を背けたくなるような臭気が広がっている。

 ……男はふと、深夜になると父親がよく一人で吐いていたのを思い出す。

 家族に隠れて吐いていた父親だったが、男は子供時代でそれを見ていた。

 そう、知っていたのだ。

 怖い〝赤い一つ目鬼〟は大きさこそ大小様々であったが、皆一様に、同じ姿をしている。

 全身の皮膚を剥がされた、目が覚める程に真っ赤な、一つ目鬼。

 それが視えた相手は、必ず死んだ。

 期間にバラつきはあれども、最長で一ヶ月、最短で十分。

 死ななかった者は――誰一人として居ない。


「……ぁ……ぇっ……ッ……?」


 男は布団の上に、何かズッシリとした重みを感じた。

 世界が遠のくような、途方もない嫌な予感に襲われる。

 男が目だけでそれを確認してみると――いた。




 全身が真っ赤な、赤い一つ目鬼。

 遠のいていく意識の中で男は、一つ目鬼と目が合った。






 ……男は諦め……目を閉じた。






 男が子供時代に何度も夢に見たもの。

 それは何時だって、RPGの世界で活躍する――勇者の姿。

 現在の男が決してなる事の出来ない、空想上の存在。





 次に気が付いた時、男は白い空間に立っていた。

 上も白、下も白。右も左も真っ白。

 自分は本当に立っているのだろうか、と疑問を覚える程に白い空間。

 いつの間にか自由に動く手足。

 視えなくなっていた赤い一つ目鬼。

 男はそれに安心して、部屋をそっと見渡す。

 するとそこには、この世の者とは思えない程に美しい女が立っていた。

 女はゆっくりと口を開き、言い放つ。


『死にましたー』



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