第34話『Welcome to our world』

 やがてアリスリット号はマイヅル郊外にある警邏庁北方本部へと到着する。敷地面積は広く、2階建ての官舎と訓練場と思われる整備された広場。桟橋にはサバミコの町で見たのと同型の巡視船が並んで係留されている。


 リアデッキではアズが相変わらず風精通話シルフォンで連絡を取り合っている。


……ああ? もうすぐそこに来てるんだぞ? こんな妙なもんが浮いてたらすぐわかるだろ。……え? 風精の目で見ろだって?……な、なんじゃこりゃぁぁぁ!?


 奇声を上げたアズが彩兼に詰め寄る。


「おいこらニッポンジン。一体どうなってんだ? なんで陸からあたし達が見えてないんだよ!」

「ああ、脅かしたら悪いと思って。こっちの姿を見えなくする機械を使っている……痛っ!」


 ミラージュパネルについて説明をしようとする彩兼の脛を蹴り上げるアズ。彼女に暴力を振るわれるのはこれで3度めだ。


「ややこしい真似すんな! 風精の眼がおかしくなったかと思ったじゃねぇか!」


 風精のシルフアイという空間認識魔法はミラージュパネルを展開したアリスリット号を捉えることができるようだが、相当おかしな形に見えるらしい。


 アリスリット号に搭載されたミラージュパネルは実は未完成の空中投影技術を光学迷彩に転用した代物だ。

 元々は面で投影してモニターのように使用したり、立体映像を自由に映し出したりすることを目指していたが、映像の投写が拡散してしまって歪な形に映すことしか出来ない未完成な技術なのである。

 しかし、広範囲に拡散した空中投影は投写した側からは視界を妨げられないという利点が発見される。

 100メートル先から見てほぼ完全に姿を隠せて、こちら側からは視界を制限されない。広い海上ならば光学迷彩としては有用だろうと仕様変更されてアリスリット号に搭載されたのだ。


「ふむ。誰1人気付かないのも妙だと思っていたが、やはりアヤカネの仕業か」

「人を妖怪みたいに言わないでください」

「まったく、ここの連中を全員再訓練に出そうかと思っていたが……いや、やはり訓練に出そう。見えなかったから気が付きませんでしたでは済まないからな」

「厳しいっすね」


 アリスリット号の接近に気が付かなかった警邏庁職員の再訓練を決めるフリックス。

 警邏庁北方本部務めの職員となればエリートだ。彩兼のせいで彼らは今後厳しい訓練を受けることになり彩兼は彼らの恨みをかうことになるが、それはまだ先の話である。


 ミラージュパネルを解除したアリスリット号が入港する。突然現れた異形の船に港周辺でちょっとした騒ぎになったが、予めマイヅル学園の長であるカイロスが警邏庁に手を回して対策をとっていたため大きな混乱にはならなかったようだ。

 ゆっくりと静かに桟橋につけるアリスリット号。そこには本部に詰めていた衛士達が並んで待機していた。最初は身構えていた彼らもフリックスが降りてくると、姿勢を正して敬礼する。


 ファルカ、アズと続いて最後に彩兼が桟橋へと降りる。桟橋に降りた彩兼は、衛士達の中から前に進み出たマイヅル学園の制服を着た少女達に目を奪われた。いずれも、ファルカにも負けず劣らずの美少女揃いということもあるが、彼女達がそれぞれ人には無い外観的特徴を持っていたからだ。


ひとりは、透明感のある白髪の間から、黒曜石のような一対の角を生やした浅黒い肌の少女。


ひとりは、獣の耳と尻尾を持つ鮮やかな赤毛の少女。


そして彼女達の中心には、細長く横に伸びた耳を持つ少女が、蜂蜜色の髪をなびかせて立っていた。


「エルフ……」


 彩兼の口から漏れた言葉にファルカが頷く。


「うん。クロトはエルフだよ。それにハツとヒシャクまで来たんだね」

「それじゃ、あたしは先にいくぞ?」

「ご苦労だったな」

「まあ、そのためにきたからな……」


 フリックスの労いの言葉にも素っ気なく返すアズ。


「アズ先輩、自分から乗りたいって言ってたよね?」

「うるせーよ。それよりお前は自分の心配をしろよな?」

「う?」


 ファルカに不穏な言葉を残すアズ。エルフの少女に後は任せたというようにハイタッチすると、ふらふらと桟橋から警邏庁官舎とは逆の方向へと向かう。そこでは木陰にマロリンが寝そべり、クレアとサクラがそれを枕にして寝息を立てていた。出迎えの少女達を送ってきたのは彼女達である。

 

 彩兼の前にエルフの少女が立つ。彩兼と同じ深緑の瞳。に引き寄せられるように視線が絡み合う。

 恥じらうように頬を染め、視線を外したのは少女の方だった。


「そんなに見られたら照れてしまいますわ」

「ご、ごめん。つい」


 彩兼はこのエルフの少女に懐かしい気持ちを感じていた。勿論会うのは初めてだ。おそらく少女が母親に似た雰囲気を持っていたからだろう。


「ふふ、私は学園の長カイロスの孫で、レフィーネ・カイロス・エクエル・テオーレ・メルレット・イグレス・クロトと申します。ようこそ、私達の世界へ」


 学園長の孫である彼女が、この場の代表のようだ。丁寧なルネッタリア英語で自己紹介するエルフの少女。

 だが彩兼は心の中で絶叫していた。


(あんたその容姿ではないだろぉぉぉぉぉ!!)


「……鳴海彩兼です。よろしく、レフィーネ・カイロス・フォニューム・テオーレ・メルレット・イグレス・クロトさん……」


 頬を引きつらせながらなんとか自分も挨拶をすませる。


 エルフの少女は少し驚いた顔をしたが、すぐに顔を綻ばせた。彩兼が自分の名前1度聞いただけで覚えたことに驚いたようだ。彩兼が頬を引きつらせているのも緊張のせいだと思ったらしい。


「ふふ、私のことはクロトで結構ですわ」

「……で、ではは俺のことも彩兼と呼んでください」

「わかりました。そんなに緊張しないでくださいアヤカネ様」


 彩兼は差し出されたエルフ少女の瑞々しい手を握る。その手は細くしなやかだが、不思議と弱々しさは感じない。


 平静を取り戻すのに些かの時間を必要とした彩兼と、そうとは知らず優しい微笑みを浮かべているクロト。そこに一緒に来ていた1人が会話に割って入った。


「ねえ、クロト。ボク達のことも放っておかないでよ」


 ふさふさの尻尾と獣耳を持つ少女だ。もう1人の角を持つ少女はおとなしい性格なのだろう。フリックスや衛士達の中で居心地悪そうにしている。


「あ、ごめんなさい。紹介いたします。私の友人でウェアウルフ系獣人種のヒシャクさんと、ヤシャ族のハツさんです。ヤシャ族というのはこの土地で派生した鬼族種で、とても強い力を持っています」


 赤毛の少女に言われて、クロトもはっとしたかのように向き直ると彼女達を彩兼に紹介する。


 クロト、ヒシャクはファルカと同じくらいの背丈で歳も同じくらい。制服越しに見る限り胸のサイズは小ぶりなようだが、手足は長くスタイルは悪くない。


 ハツはそれよりやや背が低く、150センチ半ばといったところ。だが発育具合はクロト、ヒシャクより良いようだ。ボブカットの髪型は、あまり髪を切らないこの世界の女性の中では珍しい。


 クロトから紹介を受けた彩兼は感激した様子で2人の手を取る。ヒシャクの手は温かく、ハツの手はやや冷たかった。

 

「ウェアウルフに、ヤシャ……凄い、本物だ! 日本から来た鳴海彩兼です。よろしくヒシャクさん。ハツさん」

「あはは! ボクのことはヒシャクでいいよ? よろしくねアヤカネ君」

「うちのこともハツでいい……です」


 フレンドリーなヒシャクに、内気なハツと対象的な2人と挨拶を交わす彩兼。その様子をファルカは少し不思議そうに眺めていた。


「ねえ、クロト。なんでこの2人連れてきたの? ヒシャクはとにかくハツが自分から来たがるとは思わないんだけど?」


 ファルカが疑問を呈すると、クロトとヒシャクが揃って笑みを浮かべた。


「それはですね。ヒシャクさん! ハツさん!」


 クロトの合図でヒシャクとハツがファルカの左右に回り、その腕をがっちりと捉えた。2人の腕力はファルカにも引けをとらないようで、ファルカは身動きが取れなくなる。

 どうやらこの2人はファルカを捕らえるために選ばれたらしい。


「え?」


 きょとんとするファルカにクロトが告げる。


「サバミコの町ではご活躍だったそうですが、授業をサボって学園を勝手に抜け出したことは別ですわ。罰としてしばらく謹慎しておくようにとお祖父様か言付かっておりますの」


 ファルカへの処分を伝えるクロト。だがファルカはきょとんとした顔だ。


「謹慎たってあたし、寮に入ってないんだけど?」


 学園生であるファルカだが、家で暮らすという概念がないメロウ族であるファルカは寮に入っておらず、謹慎するための部屋がなかった。


「ご心配なく。こちらで素敵なお部屋を借りましたから」


 フリックスがどういうことだ? と警邏官のひとりに視線を送ると、彼は学園からの留置場のひとつを貸してほしいとの要請を受けたことを話した。


「ふむ。わかっていると思うが、丁重にな」

「はっ! 清掃は念入りに済ませております!」

「ならばいい」

「全然よくないよ!!」


 ファルカのツッコミを聞くものはいなかった。


「大丈夫、みんな後で面会には来てあげるからさ」


 ヒシャクが笑いながらフォローにもならないことを言う。留置場に放り込まれたファルカをネタに冷やかすつもりでいるようだ。

 

「ひどいよ皆! アヤカネ! フリフリ様!」


 縋るような目で彩兼とフリックスを見るファルカ。だが彼らの反応は冷たいものだった。


「ごめん。俺が口出しできることじゃなさそうだ」

「君の活躍は事件のあらましも含めて全てカイロス殿に報告しよう。だが俺も何かと忙しい。早くとも明日の夕刻になるだろう」

「ふぇぇぇん!」


 広大な海で自由奔放な暮らしをしているメロウ族にとって、監禁や拘束は相当つらいものらしい。


「あら、これは?」


 クロトがファルカの首から下げられたペットボトルに気がついてそれを手にとる。


「素晴らしい水筒ですわ。これはアヤカネ様が?」

「ええ、まあ」

「危ないですわね。預かっておきましょう」


 そう言ってクロトはファルカの首からペットボトルを取り上げてしまう。それがメロウ族にとってどれほどのものかを理解しているようだ。


「あっ! こら! 返してよ!」

「謹慎が解けたら返しますわ。それではハツさんヒシャクさん、引っ立ててくださいな」

「おいっすー」

「ん……」

「もう! この冷血エルフ! ぺったんこ! 薄情アヤカネ! 覚えてなさいよ!」


 連行されていくファルカをにこやかに見送る一同。その場にいた衛士達にとっても美しい少女達のやりとりは微笑ましく、目の保養になったようだ。


「もう、仕方ないですわね……」


 ファルカの捨て台詞が気に触ったのか、クロトの背後に何か黒いものが見えた気がした。


「さあ、あのような破廉恥な魚類は放っておいて、マイヅル学園へとご案内いたしますわアヤカネ様」

「はい……」


 こうして彩兼はマイヅルでの第一歩を踏み出したのだ。

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