第21話『マイヅルからの使者』

 マリンリーパーの群れに呑まれ、死を覚悟した彩兼。だがマリンリーパー達は彩兼に目を向けること無く、脇をかすめ股下をくぐり、頭を肩を踏み越えてに町を目指してまっしぐらに通り過ぎていった。


「……あれ?」


 彩兼が振り返るとリーパーの集団は建物の影や軒下へと姿を消していた。


 呆然とする彩兼だったがすぐにその理由を理解する。獣よけの柵の向こうから巨大な頭がこちらを覗いていたからだ。


 さっき聞こえた声の主だろう。銀色の毛に包まれた2階建ての家くらいある狼。それはもはや抗う気も起こらないほどの怪物だ。


 遠目に眺めていたならば彩兼は興奮に打ち震えていただろう。地球には存在しない巨大生物だ。しかし今彩兼は恐怖に震えることになった。


 人の頭ほどある金色の目がまっすぐ彩兼を捉えていたからだ。


「……まじですか?」


 あの巨体が侵入して暴れたら町は間違いなく壊滅する。


 藁と木で建てられた一般的な茅葺き屋根の家は勿論、レンガの家でも耐えられない。


 町の人達が避難している防獣壕も破壊され傷ついた町の人々はあの狼、もしくはマリンリーパーの餌食となるだろう。


 クライミングサポートアームもアリスリット号も無い彩兼に出来ること。それは時間を稼ぐことだ。


 少しでも多くの人が避難できるだけの時間を稼ぐため、彩兼は震える脚に鞭を入れて町の外へと駆け出した。


「巨大生物に追われるのは冒険者の嗜み! さあ、来いよ化け物!」


 巨大狼を町から引き離そうと、町を出た彩兼は森へと向かう。


(体長約10メートル。あの大きさだ。動きは意外と鈍重かもしれない。少なくても小回りは効かないだろう……森に逃げ込めば振り切れるかもしれない……)


 そう期待した彩兼だったが、その狼は地球の生物の常識では考えられないポテンシャルを持った化け物だった。一時的に100メートル以上開いていた距離を数回地面を蹴っただけで移動すると、彩兼の頭上を軽やかに飛び越え、その行く手を塞ぐように着地する。


 地面が揺れ土煙が舞う。その質量は見た目通りのようだ。


「うっそぉぉぉ……」


 どれだけ強靭な骨格と筋肉を持っていればあの巨体でこれだけの動きができるのだろうか?


 例えば、かつて地球に存在したティラノサウルス。その走る速度は時速30~70キロメートルというところで意見が別れているが、仮に最も高い能力を持っていたとしてもこの狼に遠く及ばない。

 もし2頭が戦えばティラノサウルスはこの狼の前で無力だ。


 無論、今の彩兼に打つ手などあるはずもない……


「……ごめん母さん、弥弥乃」


 その巨大な顎は人間なんて一口だ。そう苦しむことはない。救いがあるとすれば、その獣がピラニアもどきのマリンリーパーより遥かに気高く、美しい怪物だということだろう。


 こいつの血肉になるなら、まだましかと思える程に。


 最後の時を迎える、そんな覚悟を決めた彩兼の耳に聞こえてきたのは……


「おーーっ! ニッポンジン発見しましたっ!」

「このカードの絵の顔と同じだな。よし、そいつ連れてさっさとマイヅル帰ろうぜ?」

「だ、だめだよ。警邏隊の人を助けて来いって学園長先生に言われたんだから。勝手に帰ったら怒られるよ」

「けどな。こいつがはしゃいだせいでマリンリーパーの奴ら、町の中に逃げてっちまったじゃないか。あいつら今頃街中の家の軒下で震えてるぜ? どーすんだよ」

「サバミコの町が襲われてるなんて聞いてなかったから仕方ないよ!」

「マロリンまっしぐらだったねぇ」

「イケメンはこいつの大好物だからな」


 ……若い女の子のかしましい話し声だった。


 彩兼の眼前に立つ巨大な銀の狼。よく見るとその首には赤い首輪が巻いてある。そしてそれにつかまるように3つの顔が見えた。


 白髪、亜麻色髮……ピンク髪!?


 この狼はなんと人が乗っていたのだ。いずれも10代半ばと見られる女の子のようである。

 やや口の悪い亜麻色の髪の手には彩兼が警邏隊に預けた学生証がある。どうやら彼女達が件のマイヅル学園からの迎えの使者のようだ。


「あ、あの……ウチの子が驚かせてしまってごめんなさい。……あの……大丈夫?」


 少し気の弱そうな白髮の子が彩兼に声をかけるが、さすがの彩兼も力が抜けて得意の嗜みすら出てこない。

 巨大狼がその大きな鼻を寄せて彩兼を突く。続いてぺろんと舌で舐めた。


「う~~ん」


 ついにぶっ倒れる彩兼。


「こ、こらっ! マロリン! もう、脅かしちゃダメだよっ!」

「あーあ、やっちまったな」

「でもでもぉ、すごいイケメンさんだよ? ワクワクワク……恋の予感」

「クレア、止めとけ。あたしらは魔族だ。それも……」

「ぅーぅ。でもでもぉ」

「クレア……」

「……ぅん」

「そ、それで、どうしよう?」

「仕方ない。ほっといて、まずはあのキモいの出来るだけ片付けるか。サクラ、マロリンじっとさせておけよ? クレアは魔法弾用意だ」

「うん」

「よぉし!」


 3人の娘は人ではない。精霊と交信し魔法を扱うことができる魔力変異新人種、魔族である。

 その証拠にピンク髪、クレアと亜麻色髮、アズの耳はやや尖っており、白髪のサクラの頭からは小さな巻き角が側頭部生えていた。


 アズが耳を済ませるように空の精霊に交信を開始する。


「クレア、 右斜め後ろ茂みの向こうから町に向かってる群れがいる」

「ぅーぅ? どこどこぉ?」

「ほら、あそこだあそこ! ぴょんぴょん跳ねてるだろ? 撃て撃て!」

「ぉー! いたぁ! よぉし、炎精誘導魔法弾ヘルファイアいくぉ! せーの! どっかぁぁぁん!」


 彼女達が、この世界の人々が魔力と呼ぶをエネルギーに精霊と呼ぶが事象を引き起こす。これがこの世界の魔法と呼ばれている現象だ。

 虚空に赤く光る光弾が出現したかと思うと、それは高速で飛翔しマリンリーパーの群れの中に着弾して爆炎を上げた。


「……なんだ?」


 爆発で目を覚ました彩兼。そのことに気がついたのは件の巨大狼のマロリンだけだ。大きな目で見つめられて彩兼は冷や汗たらり。しかしどうやら今すぐ食われることはなさそうである。


「次、あの木の後ろだ。木に当てて燃やすんじゃないぞ?」

「だいじょぉぉぶ。外さないぉ」


 光弾が飛び爆音が轟く。

 高い位置にいるので彩兼にはその様子はよく見えない。だが彼女達がマリンリーパーに対して何らかの攻撃を行っていることは察することができた。地球の法則に無いモノ。魔法だ。


(ピンク髪の魔法もすごいけど、あの亜麻色髪は周辺の状況を掌握しているのか?)


 巨大な狼を操り、周囲を探知する能力を持ち、遠距離を狙い撃てる誘導弾を放つ。ひとつでも強力な力を合わせた彼女達はまさに圧倒的だ。


「アズたん他は?」

「アズたん言うな! お前がどっかんどっかんやるからここいらの精霊が乱れてる。もうわからん」

「ぅーぅ。やれって言ったのアズたんだぉ」

「だいぶ町に入られちゃったもんね。この子じゃ大きすぎて入れないしどうしよう?」


 狼の手綱を握っているのは白髪の子のようだ。


「あ、あの……」

「あん?」

「ぅーぅ? ニッポンジンの人起きたんだねぇ」


 恐る恐る少女達に声をかける彩兼だが、返って来たのは亜麻色髪の不機嫌そうな声と、ピンク髪の呑気な声。


「……い、いや、君たち何?」

「何ってそりゃこっちの台詞だろ? ニッポンジン」

「あはは、そりゃそうか」


 なかな理不尽な事を言う亜麻色髮だが、まあ、確かにこの世界にとってイレギュラーな存在が自分であることは間違いない。


「ぅーぅ。このままじゃよくお話できないねぇ」

「そうだね。マロリン、伏せ!」


 白髪の少女の指示で巨大な狼が伏せの姿勢を取る。それでも背中までの高さは2メートルほどはあるが、背中に乗っていた3人はなれた様子で地面に降りる……かと思ったら約1名失敗して尻餅をついているのがいた。


「うにょっ!?」


 ピンク髪だ。


 短いスカートがめくれ上がってやわらかそうな肉付きのいい太ももとその奥の白い布が見えたが、彩兼は驚きのあまり目をそらすことができなかった。


(JKだと!?)


 彼女達は厚手の革のマントを羽織っていたが、その下には眩しいほどに白い半そでのセーラー服。そして、濃紺のプリーツスカート。靴下は3人とも異なり、亜麻色髪は履いてない。白髮は清楚な紺のソックス。すっ転んだピンク髪はニーソックス。絶対領域は絶賛崩壊中。


 転んだピンク髪に彩兼が手を差し出す。彼女は一瞬驚いた顔をしたがその後照れくさそうにその手をとって立ち上がった。


「エヘヘ、マイヅル学園からお迎えにまいりました。クレアです」

「お、同じくサクラです。この子はマロリン」


 ピンク髮にツインテール。独特な喋り方の魔法少女クレア。

 狼を操っているのがサクラ。


 おそらくアルビノだろう髮も肌も透き通るように白く神秘的な美しさを持つ少女だった。彼女がこの中では一番背が高く、一番低いのがクレアだ。


 そんな様子を斜に構えて見ている亜麻色髮。間違いなく美少女なのだがやや目つきが悪く、髪の毛の手入れもいい加減で、制服も着崩している。


「君は?」

「アズだ」


 そしてヤンキーのアズ。


「なんか今失礼な事考えただろテメー」


 彩兼の胸ぐらを掴み上げて揺らす彼女の力は見た目通りの少女のものだ。魔族といえど全てがファルカのように力持ちというわけではないらしい。


「そ、そんなこと無いって!」

「ふん!」


 彩兼を離すとそっぽを向いてしまう。


「アズたんはツンデレさんなんだぉ」

「男の子と話す時はいつもあんな感じだよね」

「ぅんぅん。とぉぉぉってもシャイさんなんだぉ」

「あー、わかるわかる。うちの妹そっくり」

「おい! 聞こえてるぞテメーら!」

「ヒィィ」


 クレアの首根っこを掴むアズをとりなすサクラ。それを眺め、緊張も解けた彩兼は改めて自分の名を名乗る。


「日本から来ました。鳴海彩兼です。よろしくねクレアさん、サクラさん。アズさん」


 クーンと、大地が震えるような声で喉を鳴らす巨大な銀狼マロリン。

 大きな金色の目はどこか寂しそうだった。


「それから……マロリン?」


 またも喉を鳴らすマロリン。姿は大きいが、その様子は甘えたがりな犬と変わらない感じだ。

 彩兼が試しになでようとすると、寝そべるよう地面に横たわり、耳の後ろを向ける。そこを撫でろということらしい。

 白銀の毛並みはとても美しいものであるが硬く、人の手に心地よいものではなかった。しかし彩兼は感極まる思いで人智を超えた巨大生物に触れる。


「おおぅ! マロリンがデレデレだぉ! 相変わらずの面食いさんだねぇ」

「……もう、どうしてこんな子に育っちゃったんだろ」


 マロリンは人間の男が好きらしい。巨大な狼の姿をしているが心は乙女なのだ。


 クォォン……


 そのとき、マロリンが小さく声を上げる。彩兼にはそれが少し切ないものに聞こえた。

 頭を上げたマロリンは起き上がると、唐突に駆け出しはじめた。その巨体故、それだけで周囲は大きな被害を被ることになる。


「な、なんだ? ……あ、あれは!?」


 土煙の向こう側に人影が見える。走り出したマロリンは真っ直ぐにその人物へと飛びかかっていった。

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