第15話『マイヅル案件』
森の中から和気藹々と現れたのは、ファルカと衛士の2人だった。
「あーーっ! アヤカネー!」
ファルカが彩兼を見て手を振っている。だが、その場にいる他の面々に気がつくと、3人の表情はは途端に青くなる。
「げっ!? フ、フリフリ様!? どうしてここに……」
「長官だって!?」
「長官閣下をすげー呼び方するなファルカちゃん……」
「あ、あはは……それじゃあお仕事がんばってね。あたしはこれで……」
フリックス・フリント警邏庁北方本部長官様。略してフリフリ様らしい。
警邏庁内には、彼をそんな愛称で呼ぶような度胸のある人間はいない。
フリックスの姿に一緒にいた若い衛士の2人は慌てて直立の姿勢を取り、ファルカといえば、無関係のふりをしてその場を立ち去ろうとする。
「待たれよ。ファルカ殿」
「ひゃい!?」
ファルカを呼び止めるフリックス。裏返った声から、ファルカの緊張具合が伺える。
フリックスは衛士2人に彩兼にやられて昏倒している衛士の手当てを指示すると、ファルカに向き直りジロリと一瞥する。
おっかない魔王に睨まれて首をすくませるファルカ。
「ファルカはこの人と知り合いなのか?」
「私の通ってる学園の卒業生なんだよ」
「なるほど」
彩兼が小声で聞くとファルカが答えた。
「ファルカ殿。この時間は学園で勉学に励んでいるはずだろう? 何故このような場所にいるのか聞かせてもらおうか?」
どうやらフリックスは、学園のOBとして、更に治安を守る警邏隊の長として、真っ昼間にふらふら出歩いている不良学生に一言釘を刺さずにはいられなかったようだ。
「だ、だって、海で魔獣が出て海岸沿いの村や町が襲われたんでしょう? そんな凶悪な魔獣が出たならほっとけないよ。仲間に知らせないわけにはいかないの」
「ふむ。確かに。ファルカ殿の立場ならばそれは仕方ないかもしれん。学園を抜け出していることについては理解した。しかし彼のことは? 学園が関与していることなのか?」
「……アヤカネはここに来る途中、海で彷徨ってるの見つけて連れてきたんだよ」
フリックスが「本当か?」という視線をよこしたので頷く彩兼。間違ってはいない。
彩兼は海で野生(?)の人魚見つけたからゲットしたという感覚だが、ファルカは海で迷子になっていた日本人を保護したつもりでいるらしい。
「ふむ。そういうことか。しかしファルカ殿。仮にもマイヅル学園の生徒であるなら国定法令第5条は知っていると思うが?」
「そ、それは……」
「言ってみたまえ」
「うぅ~~国定法令第5条とは……」
有無を言わさぬ。そんな彼の様子に流石のファルカも逆らえないようで、肩を落としてその内容を語る。
彼女が口にした内容、それは彩兼にとっても無視できないものだった。
国定法令第5条。
使途不明の拾得物、漂流物は必ず最寄りの役人、又は領主に報告すること。また明らかな異邦人、漂流者は見つけ次第可能な限り保護することを国民の義務とする。
報告を受けた役人、領主は速やかに国立マイヅル学園に報告し、専門家の指示を仰ぐこと。
またこれらを報告せずに隠蔽したり虚偽を行った場合は厳罰を処するものとする。
何やら難しい言い回しでこの国の法律を語り始めるファルカ。
それを黙って聞いていた若い衛士が、「なんだ『マイヅル案件』のことか」と納得しているのを「それくらい勉強しとけ!」と他の衛士に窘められている。
国定法令とは即ち法律のことだ。ルネッタリア王国の国民は、基本領主が定めた領法に従って暮らしているが、領法の上に全国民に向けて国が定めた、国定法令が存在する。
国定法令に定められているとはつまり、国民生活の根幹。身分制度と同等の超重要案件ということだ。
国定法令第5条はぶっちゃけると、得体の知れない不審物、不審者を見つけたら全部国立マイヅル学園に持って来い! ただしワザとガセつかましたらただじゃ置かんぞ? と言っているわけで、そのため一般には『マイヅル案件』という俗称で広まっているのである。
「俺がここにいると何かまずいんですか?」
「この国の法でな。我々は君を保護し、専門の機関に連れて行かねばならないのだ」
「それはありがたいですね」
「まったく、よりにもよって魔獣の討伐に同伴させるとはな……」
「彼女に付いて行きたいって言ったのは俺ですよ?」
「そうなのか?」
コクコクと頷くファルカ。
「ふむ。ニッポンジンとは物好きなのだな」
「それにニッポンのお船はすごいんだよ? 魔獣退治にもきっと役に立つよ」
ファルカの言った船という言葉に、彼の切れ長の目が僅かに見開かれる。
「船だと? まさか……?」
「俺が乗ってきた小舟です。けれど残念ながら今は海の底ですね」
「ふむ。そうか……」
意図的に沈没したと思わせる言い回しを使う。アリスリット号については彼らが本当に信用できるかわかるまで隠しておくつもりだ。それに嘘は言っていない。
どうやらフリックスは何か思い当たる節があったようで、彩兼の言葉に僅かに落胆の色をみせた。
「まあいいだろう」
フリックスはホワール士長を呼ぶと、彼にこの件をマイヅルに報告するように命じる。
「ですが長官。それならば彼も一緒にマイヅルに来てもらった方が良いのでは?」
「いや、これだけの騒ぎを起こした以上調書を取らないわけにもいかないだろう? それに彼の腕なら多少の危険は対処できるはずだ」
「まぁ、確かに……」
「それに彼がここにいればあの学長のことだ。黙ってただ待っているはずはあるまい。上手くすれば学徒の動員が期待できるかもしれん」
「なるほど。そこまで考えてのことでしたか! しかし、学園側も虚言と判断したりはしませんか? 真偽の確認に時間が掛かるやもしれません」
「ふむ。そうだな……」
フリックスは少し考えて彩兼に向き直る。
「なんでもいい。何か君の国の物があれば預けてはくれないか?」
「えっと……これでいいですか?」
彩兼もその意味を理解して、ベストのポケットに入れていたカードケースから、自分が通っている高校の学生証を取り出して渡す。
プラスチック製で写真の入ったカードをまじまじと見つめるフリックス。表情はわかりづらいが素材や書かれている文字、特に顔写真に驚いているようだ。
ひとしきり眺めて、それが『マイヅル案件』として十分なものであると頷く。
「ああ、十分だ」
フリックスから学生証を渡されたホワールは木々の向こうへと消えていった。
どうやらフリックス達は、彩兼の保護を理由に、その学園とやらから人員を送ってもらおうという腹積もりもあるらしい。しかし、その内容が学徒動員とは、彼等はそこまで切羽つまった状況なのだろうか? そんな場所に置いておかれるのかと心配になる。
ファルカも同じことを考えたようだ。
「フリフリ様。一体なにが起こっているの?」
「マリンリーパーだ」
「マリンリーパー? でもそれくらいなら……」
フリックスの答えに怪訝な不反応を見せるファルカ。
マリンリーパーは沿岸に住む魔獣である。魚のような頭を持つ半魚人のような姿で、大きさは人の子供くらい。肉食で繁殖力が強いのが特徴だ。
群れで行動し、浅瀬に身を潜めて獲物を襲うがそれほど強い魔獣ではない。これまでにも人を襲うことはあったが、基本非力で臆病なため、よほど飢えているときくらいだった。
他の魔獣の餌となることも多く、また増えすぎれば勝手に共食いを始めるため、これまでそれほど驚異とされてはこなかった。
「春先あたりにここより遥か南の村が奴らの群れに襲われた。奴らは村人を糧にして数を増やし、これまでにない規模の群れとなって間もなくこのサバミコの町にやってくる。我々は今それを迎え撃つ準備をしているところだ」
「そんな! マリンリーパーが人の村を襲うなんて聞いたことないよ!?」
「ああ。そう思っていたがために対応が遅れた」
冷淡に感じるほどに淡々と事情を語るフリックス。だが彼の人となりをそれなりに知る者ならば、言葉の端々に悔しさがにじみ出ていることに気が付いただろう。
最初に犠牲となったのは10世帯程の小さな集落で、そこに住んでいた全員が食い殺された。
数日の後、その村を訪れた行商人によって事件が発覚。直ちに近隣から衛士が派遣され調査が行われたが、その時リーパーの痕跡を見つけはしたものの、単に死体に群がっただけと思われ、原因は他の魔獣か盗賊の仕業と判断された。
警邏庁が事態を把握できたのは、海岸を埋め尽くさんばかりのリーパーが海岸から姿を現し、ある港町が襲われたためである。だがその頃には、既に4つの集落が壊滅し、リーパーの群れは1万匹を超える規模に成長していた。
人の味を覚えた魔獣を放っては置けない。フリックスは自ら陣頭指揮をとり、現在マリンリーパーの殲滅作戦が行われようとしていたのだ。
しかし残念ながら、沿岸全域の監視、住民の避難誘導などで人員が不足しており、討伐は困難が予想されている。陸上である程度打撃は与えられても、海中に逃げられたら彼らに打つ手はほとんど打つ手がない。
「それで、リーパーの群れは今どのあたりまで来てるの?」
「ここから西に20キロといったところだ。明日には上陸してくるものとしてこちらも迎え撃つ準備を進めている」
「うん。わかった。それじゃちょっと行ってくるよ」
「何処へ行く?」
話を聞き終わって、どこぞへと向かおうとするファルカをフリックスが呼び止める。
「仲間のところだよ。明日の朝までに若い連中をできるだけ連れてくる。海の魔獣であるリーパーを残らず狩り尽くすなら、あたし達の力が必要でしょ?」
確かにフリックスにとっては有難い申し出だ。しかしあえて彼は問う。
「確かにそうだ。しかしこれは人の問題だろう? 学園の生徒であり人と親しい君とは違い、一般の魔族にとっては関係のないことだ。協力を無理強いすることはできないだろう?」
人が食われたからといってメロウ族が戦う理由は無い。ファルカは別として、メロウ族の多くは人とあまり関わることなく生きている。そんな彼らがファルカの呼びかけにどれほど答えるだろうか?
ファルカは人とメロウ族との窓口的立場にある。そのファルカがメロウ族の中で孤立することをフリックスは避けたかった。
「ねぇ、フリフリ様。スルーメって小さな村なんだけど知ってる?」
「ああ。……残念だが、今は無い」
リーパーに襲われた村の一つだとフリックスは答え、ファルカは小さく「やっぱりそうなんだ……」と悲しそうに小さくつぶやいた。
「その村、実はメロウ族のたまり場だったんだ。そこで作ってる干したイカが美味しくてみんなお気に入りだった」
「そうか。残念だ」
「だから期待して待ってて。少なくても200人くらいは連れてこれるから。それだけいればリーパーがどれだけいたって絶対に逃がさない」
メロウ族にも戦う理由があり、ファルカの決意も固いようだ。それならばとフリックスも理解を示す。
「わかった。協力に感謝するファルカ殿。お母上にもよろしく伝えて欲しい」
「うん。任せて! それじゃ、またねアヤカネ!」
「ああ、気をつけてな」
「うん」
能天気で無邪気な少女と思っていたら、どうやらファルカはこの国の要職に着いているフリックスですら一目置くくらい重要な立場にあるらしい。
海に向かって元気よく走っていくファルカ。彩兼はその後ろ姿を黙って見送る。ファルカは確かに危うい面もあるが、思った以上に重い責任を担っているらしい。
次にフリックスが声をかけたのは、ファルカと一緒にやってきた若い衛士の2人組だった。
彼らは彩兼に気絶させられた衛士の様子をみていたが、彼らに特に大きな怪我がなかったので既に手持ち無沙汰になっていた。その衛士2人もすでに意識を取り戻している。
「君たちはサバミコ支局のチョウタ、それにシラベだったな」
「「はっ!」」
思いがけず声をかけられ、裏返った声で返事をする。
彼らにしてみればフリックスは雲の上の存在だ。無理もない。自分の名前を覚えているとすら思っていなかったのだ。
「彼の取り調べは任せる。学園からの迎えが来るまで君達で面倒を見て差し上げろ」
「「はっ!」」
こうして彩兼はこの見知らぬ世界の町に足を踏み入れる事になったのだった。
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