第12話『密入国からはじまる異世界生活』

「30秒で支度するからちょっと待ってて!」


 着替えに入ったロッカールームの中にまでのこのこついてきたファルカをリビングまで押し出してドアを閉める。

 バスローブを脱ぎ捨て、慣れた手付きでウェットスーツへと素早く着替える彩兼。


「遅いよアヤカネ! 51秒かかった!」


 ロッカールームから出てきた彩兼にファルカが厳しい言葉を投げつける。ちなみにこの世界。時刻の概念は地球と同じのようだ。。


「ごめん! あと1分!」

「もう!」


 アリスリット号の船倉には様々な日用品の他に、譲治が生前制作した発明品が詰め込まれてある。


 当然冒険家の相棒とも言えるバックパックに関しては、市販のものから譲治が作ったスパイ映画に出てくるようなギミック満載のものまで、多種多様なものが積み込まれていた。


 彩兼はその中からやたら大きめのカーキ色のバックパックを選ぶ。


 を確認すると、着替えの他、最小限必要になりそうな物だけを詰め込んでいく。


 現地の人と友好的な関係を築けそうになければ早々に船に戻るつもりだ。身の安全が大事だし、ファルカの邪魔になる。


 ダイビングナイフとライトを特製の多機能ベストに突っ込み、レーザー通信でアリスリット号を遠隔操作するハンドガン型の通信機。通称パレット(パルスレーザー通信端末)をバックサイドのホルスターにしまうと準備完了。


「よし、行こうか!」

「……ニッポンジンは準備が多くて大変だね」

「あはは。君たちが羨ましいよ」


 未知の土地へ足を踏み入るのだ。彩兼にしてみれば軽装すぎるくらいである。


 だが、ファルカ達メロウ族はすっぽんぽんで世界の反対側に放り出されても、自力で帰ってくるような種族である。そのため準備という概念が希薄であることは、彼女の恰好を見れば容易に察することができた。


 準備を終えてリアデッキへと出る。


 彩兼はウェットスーツの上に多機能ベスト、そしてバックパックを背負うとゴーグルを掛ける。海中を移動するが、足ひれ、水中モーターなどは今回は使わない。があるからだ。


 腰には譲治が発明した超小型酸素ボンベ、マイクロ酸素ボンベが複数個入ったポーチ型専用ホルダー。

 このマイクロ酸素ボンベはマウスピースサイズでありながら約10分の水中活動が可能な空気が蓄えられている。また小型のため予備を大量に持ち歩くことも可能だ。


 そのため海難救助などに適していると期待されたが、何故か見た人からは爆弾と認識されてしまったがために、結局お蔵入りとなった曰く付きの発明品である。


「アリス。潜航を開始。潜航後は沿岸部で指示があるまで待機だ」

『了解いたしました。潜航を開始します』


 ミラージュパネルを解除させ、彩兼はAIに海中での潜伏を命じる。


 上部に伸びたマストが折れ曲がって格納され、インテークとイオンパルスブースターの噴射口が閉じられて気密される。潜水モードへの変形が完了するアリスリット号はその後ゆっくりと潜航を始めた。

 

「ねえ、このお船、沈んでない?」

「ああ、こうやって海の中に隠しておくのさ。便利だろ?」

「うん! ニッポンのお船ってとっても変!」

「……」


 変なのはこの船だけだと言いかけた彩兼だったが黙っておいた。


「さ、いくぞ……」

「うん!」


 リアデッキが海に浸かり始めたところでマイクロ酸素ボンベを加えて海に飛び込む。するとすぐに人魚の姿に変幻メタモルフォーゼしたファルカが、彩兼をからかうかのように周囲を泳ぎ始める。


 太陽の光を受けた金色の髪が海中で炎がうねるかのようになびき、艶かしいラインを描く白い肌、そして淡く白い光を放つ鱗は、青の世界にその優美な姿をくっきりと映し出す。


 海面付近を泳ぐファルカの美しさに、彩兼はしばし呼吸をすることすら忘れて魅入ってしまった。


 メロウ族の水中での機動力は凄まじいの一言だ。海中をとてつもない速さで、まるでジェット戦闘機の曲芸飛行のように自在に泳ぎ回る。その能力は半人半魚の姿でありながら、一般的な魚類の動きを遥かに凌いでいた。


 鰭の動きだけではどうしても説明のつかない動きを見せていることから、おそらく魔法で海水を操りながら泳いでいるのだろう。これが魔力を帯びて進化した魔獣や魔族の力なのだ。


 ひとしきり彩兼の周辺を泳ぎ回ると、海中で惚けていた彩兼にその手を差し出す。人魚の手引き、これが足ひれも水中モーターもいらない理由だ。誘われるようにその手を取る彩兼。するとファルカの頭上で海水が渦を巻き始めた。それはドリルのように螺旋を描き、彼女の進行上の水の抵抗と障害物を排除するメロウ族の奥義……


「行くよ! コホリンドリュー!」


 彩兼の手を引き、ロケットのように陸に向かって加速する。


「ふがががが! ふががひぎふぇふー! (痛タタタ! 腕がちぎれるー!)」

「うん? なんか言った? アヤカネ?」

「ふんが……ふんがが……(いいや、なんでもない……)」


 ファルカに手を引かれて海中を移動し、ついに未知なる大地へと上陸を果たした彩兼。人目につかないように草木の影に隠れてマイクロ酸素ボンベを外すと息を整える。


「……ふぅ、腕がちぎれるかと思った」

「アヤカネは人なのに泳ぐのがうまいんだね」

「あ、ああ……日本人舐めるな……よ」


 幼い頃から訓練してきた彩兼は、人の中でも泳ぎは達者な方だ。しかし、メロウ族との差は歴然である。ファルカにとっては、オリンピックの水泳選手も、犬かきする犬も大して変わらないだろう。


 それでもファルカが彩兼を気に入ったのは譲治が発明したマイクロ酸素ボンベのおかげだった。


 メロウ族は人と同じく肺呼吸であり、水中で息ができるわけではない。しかし肺活量は相当高く、特に無理をせずに水中で5分以上息が続く。マイクロ酸素ボンベによって彩兼がで自分たちと同じぐらい息が持つことに驚いたのだ。


「また一緒に泳ごう? いいところいっぱいあるんだ。案内してあげるよ」

「ああ、そのときはぜひ」

「うん。約束だよ?」

「あ、ああ……」


 生まれて18年。彩兼はこの日、人生で初めて女の子とデートの約束をした。



***


 

 無事上陸は果たした彩兼とファルカ。だが、森はかなり深い上に起伏も激しく歩きづらい。そのためあまり奥には入らないようにして、海岸沿いを慎重に進む。


 森の中には、彩兼が初めて見るような巨大植物がところどころ見られるが、大方は日本でも目にする植物だ。


 ファルカによるとこの国の土地の殆どはこのような樹海に覆われており、人々は一部の平野を開拓して生活しているという。


 フィールドワークはお手のものな彩兼だったが、ファルカもなかなか慣れたものだ。裸同然の格好でパンツも靴も履かず大丈夫かと心配した彩兼だったが、どうやら魔法で足の裏や体の一部に海水の膜をつくり保護しているらしい。


 あと、長い髪は地上を歩くのに邪魔になるようで、ポニーテールにしている。


「それにしてもアヤカネ? どうしてこんなにこそこそしているの?」


 身を隠して周囲を伺いながら森を進む彩兼。そのへんてこな行動に疑問を持ったファルカが、小さく首を傾げる。


「それはね、俺がこの国のビザを持っていないからだよ」


 内緒話をするかのように声を潜め、人差し指を立てて説明する彩兼。


 人目を避けている理由。それはやってることが密入国だからだ。


 世界最強と言われる日本のパスポートは、190カ国でビザを免除されるが、その中には当然だが、異世界の国家であるルネッタリア王国は含まれていない。


「ビザ? なぁにそれ?」

「その国に入国してもいいよっていう証と言えばわかるかな?」

「なんだ。手形のことか」


 呼び方は時代がかっているが、意味は通じる。


 ボロ布を纏っただけのノーパン人魚は、見た目は原始人でも意外と教養がある。学校に通っているというのは伊達ではないようだ。


「そうそれ。無いとどうなる?」

「手形を持たずに他所の領地に入ってるのが見つかったら、たしか何日かの労働と罰金だったかな? 私達メロウには関係ないからあんまり覚えて無いんだよね」

「ふぅん。結構軽いんだな」


 王国というからには、国土は幾つもの領地に分けられ、その領主によって治められた独立自治区の集合体であると考えられる。ならばその行き来は厳しく管理されていているはずだ。


 かつての日本も一般庶民は自由に旅行したりすることはできなかった。

 領地を超えて旅をするには現代のビザとパスポートをかけあわせたような通行手形の発行が必要であり、それを持たずして領地を越える関所破りは重罪であり、極刑が当たり前だったのだ。


 そのためファルカの口にした刑罰は軽すぎると感じたが、やはり罰則はあるらしい。


 住所を持たず、海で気ままに暮らすメロウ族だけは対象外らしいが。


「でもアヤカネはニッポンジンだから……」

「うん? そうなんだけどさ。わかってもらうまでに捕まったり尋問されたりしたらやだし」

「うーん。ダイジョブだと思うよ? アヤカネは見てすぐわかるマイヅル案件だし」

「……今、舞鶴って言ったか?」


 一瞬耳を疑った彩兼。マイヅル。ファルカ達が使う言語の中にあって違和感のある響きの言葉で、そして彩兼もよく知った地名だ。海上自衛隊の基地があることで有名な京都府舞鶴市。アリスリット号がUFOと遭遇した場所も、そこからそう離れた場所ではない。


 この国の言葉に偶然同じ響きのものがあったのだろうか? それをファルカに確かめようとしたときだ。


「いたぞ! あそこだ!」


 森の奥から若い男の声が聞こえた。

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