第10話『ファルプ世界』

「まったく、ひどい目にあった……」


 冷たい海から這い上がり、シャワーを浴びてさっぱりした後バスローブ姿でコーヒータイム。

 熱いコーヒーが体にしみる……


(我ながら良い塩加減だ……)


 彩兼、コーヒーは海軍式を好む。


「アヤカネが悪いんだよ! レディーに向かって失礼なこと言うんだもん……モグモグ、このパンおいひぃ」


 ぷりぷりしながらバケットを噛みちぎるファルカ。シャワーを浴びてる間、これでも食って待ってろと彩兼から渡されて、もう半分以上が無くなっている。細い体に似合わず中々の健啖ぶりである。


 ちなみに、猫舌なようで、彼女の飲み物は冷たいレモンティーだ。


「悪かったよ……」


 この世界の女性にとっても体重はあまり触れられたくないところらしい。たとえ人魚であってもだ。


「ところで、ファルカはこれからどうするんだ?」

「うん? 近くの港町に行く途中だったんだけど、アヤカネははここで何してたの?」


 彩兼は優雅な仕草でコーヒーを口に含みカップを置いて一言。


「俺、実は迷子なんだよね。日本に帰るにはどっち行ったらいいかわからなくってさ」


 それを聞いたファルカ。バケットを齧るのを止めると目を見開いて彩兼を見る。


(可愛い顔、いただきました……)


 可憐な乙女がパンを咥えながら、青い目を目をぱちくりさせている表情を心に焼き付ける。


 いつも心に余裕を持つこと。でないと宝物を見逃してしまう。これ冒険者の嗜み。


「日本人って呑気だね」

「いや、世界で最も忙しい民族っていわれてるけど?」



***



 アリスリット号は名目上は海洋調査船となっている。しかしその建造に携わった者はこう呼んだ。


 万能クルーザーアリスリット号と……


「ここが操縦室だ」

「すごい……外が透けて見える……」


 アリスリット号の操縦室は広く外を見わたすことができるように戦闘機のようなキャノピー型になっている。

 このキャノピーは厚さ50ミリの防弾アクリルに、スモークに、UVカット、熱反射加工だけでなく、小さな傷なら自己修復する特殊なガラスでコーティングまでされている。


 操縦室に入ったファルカ。アクリル製のキャノピーに目を見張り、それから操縦室内の機材を眺め早速あれこれ聞いてきた。


「アヤカネ! これは何?」

「スーパーマイクロ波レーダー。水中でも広範囲を感知できるんだ。これが普及したら潜水艦は終わりだな」

「ふぅん。これは?」

「VRシステムの筐体だ。通常の操船では使わないが、水中を観察したり……あと火器管制……ゲホゲホ。まぁ、色々使う……」

「ほほー。うわぁ、可愛い! これは?」

「航海安全祈願の住吉大社のお守り。聞いててわかるのか?」

「ううん、全然わかんない」

「おい……」


 ファルカが住む世界はそれほど文明が発達していないようで、電気で動く機械のようなものは知らないようだった。

 おかげでこの船に積まれている色々やばい装備にも気が付かない。


(見た目は原始人みたいだけど……)


 それは単にファルカが着ている服(実際には巻いているだけのボロ布)を見てそう感じるだけで、実際には木綿相当の生地を仕立てる技術があり、また学校へ通っているとの発言から社会も相応に発展していると考えられる。


 百聞は一見に如かず。実際に見に行くのが早い。彩兼は操縦席へと腰を下ろす。


「よし! 発進しよう! アリス機関始動!」

『水素タービンエンジン起動します』


 水素タービンエンジンが稼働を始めると、その音にファルカが顔をしかめる。


「何これ、うるさい」


 現代人にとってこの程度のエンジン音は大したことはないだろうが、ファルカは機械の音に慣れていないのだろう。


「ああ、水素タービンエンジンな。小型船舶に積めるくらい小型軽量ながら、最新の軍艦に匹敵する出力が出せる。とはいえやっぱオーバースペックでさ、これでも全力の1割も出してないんだぜ?」

「ふぅん」


 その後ゆっくりとアリスリット号が動き始めると、ファルカの気もそっちに逸れたようで、子供のように歓声を上げた。


「うわぁ、帆も鰭も無いのに動いてる! すごい! ねぇ、どうやって動いてるの?」

「ああ、この船にはアークジェットを発展させたイオンパルスブースターが2機搭載されているんだ。本来なら星間航行用の宇宙船に使われるような代物なんだけど。……で、言ってることわかってる?」

「あはは! 全然わかんない!」


 満面の笑みで答えるファルカ。


「仕方ない。では実際に体感してもらおうか! この船の性能を!」


 アリスリット号の操縦席はまるで最新の戦闘機のようだった。

 正面にはタッチパネルのモニター。ステアリングのようなものはなく、操縦はサイドレストから伸びた操縦桿で行う。

 完全自動操縦に対応したアリスリット号の操縦系は全てOSを介した電子制御になっている。

 そのため手動操作にはフライバイワイヤが採用されていた。

 なぜそこまでするかといえば、譲治の趣味もあったが、このアリスリット号が3次元機動を行うからである。

 推力変更パドルによって自在に噴射ベクトルを変えることが出来るため、ジャンプや若干の空中機動も可能なのだ。


 コクピットには固定されたシートが4つ。まず1番前に操縦席。その後には船長席と呼ばれる席がある。この席は座席が上に伸びて天井のハッチから外に出ることができる。この船長席後の2つ席はコンピューターとソナーなどの観測機の前に配置されている。

 しかし彩兼はファルカにそれらの席ではなく、操縦席の隣にある折りたたみ式の補助席を開いてそこに座るように促した。


 ファルカは床に折りたたまれていた補助席が開く様子が面白かったらしく、目を輝かせながら言われるがままにちょこんとそこに座った。


「シートベルト着用」

「ふえ?」


 補助席に座るファルカの体にシートベルトを付ける。4点式のしっかり固定するタイプのもだ。

 その際、胸やら腹や脇に触れるが気にしない。ライフセイバーの訓練で男女ペアにでもなればそれくらいは当然であり、そこで恥じらってる余裕なんてないのだ。あとで感触を思い出してニヤつく程度である。


「アヤカネ? これって?」


 丈夫な合成繊維のシートベルトはファルカの力でも引きちぎれるものではない。体を拘束されてさすがにファルカも不安そうな顔をする。

 仕方なく一度ロックを外し、安全ベルトは自由に脱着できるもので、決して危害を与えるためのものでは無いことを説明する。

 何故それが必要かは、これから身を持って理解してもらうことになるだろう。

 彩兼もバスローブ姿のまま操縦席に座る。


「さて、ファルカ。それでどっちへ向かえばいいんだ?」

「もぅ、しょうがないから、助けてあげるよ」


 そう言ってファルカは「あっち」と大雑把に海に向けて指刺した。


 だがそれで十分だ。


「ありがとう! 助かるよ!」

「いいよ、あたしも助けて貰ったしね」

「あはは! トラブルに突っ込むのは冒険者の嗜みさ! その結果、この世界に来ちゃったんだけどね。ああ、そうだ……」


 彩兼は何か思いついたようにファルカに訪ねた。


「なあ、ファルカ。君たちはこの世界をなんて呼んでいる?」

「え? 世界?」

「ああ、俺がいたところでは自分達の住む世界を地球と呼んでいた」

「earth?」

「ああ、宇宙に浮かぶ惑星の一つ。人はそこに住んでいて日本はその地球にある国の一つだ」

「space? planet?」


 ファルカは口元に手を当て、その言葉を噛みしめるかのように呟いているが、その意味がまだわかってはいないようだ。

 その様子から、彩兼はこの世界には宇宙や惑星という概念がまだないのだろうと推測する。


「君たちの住む国は、海は、大地は、どこにある? そこをなんて呼んでいる?」


 ファルカはまたしばらく考えていたようだが、やがて合点がいったように微笑んで口を開いた。


「ファルプだよ」

「ファルプ?」

「そう! あたし達はこの世界をファルプって呼んでるよ」

「OK。アリス、シップス・ログを新しいフォルダで更新。名前はファルプだ」

『ファルプの名称で新規にフォルダを作成しました。以後シップス・ログは当該フォルダに記録されます』

「ん」


 彩兼は満足気にうなずくと、あらためて操縦桿を握る。


「アリスリット号は、これよりファルプ世界の探索を開始する!」


 次の瞬間、アリスリット号は凄まじい勢いで海上を走り始めた。

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