第7話『人魚姫は穿いてない!』
「よし、もう大丈夫だから、離していいよ」
「う、うん……」
アームで持ち上げられてシードラがリアデッキに回収される。
怖かったのかファルカはしっかりと彩兼にしがみついてきた。むき出しの腕や顔に女の子の柔らかい肌が密着するが、ファルカの力は華奢な見た目に反して強く、彩兼は鼻の下を伸ばすどころではなかった。
(火事場の馬鹿力ってやつか!?)
シードラがリアデッキに固定されると、ようやくファルカの腕の力が緩んだため、彩兼はその腕をそっと外してファルカを床に下ろす。
あらためて見るとファルカはとんでもなく綺麗な少女だった。
背丈は160センチくらい。シャンパンゴールドの髪は膝裏に届くほどに長く、反射した光が頭部の輪郭に沿って天使の輪のように見える。
白い肌に深く青い瞳。スタイルも良く、胸のサイズは彩兼のクラスメイトの女子の平均を間違いなく上回っている。だが、顔立ちは幼い感じでおそらく歳はいくつか下だろう。
白い肌に傷などは見当たらず、どういうわけか無数にあったタコの吸盤の跡が既に綺麗に消えていた。
本来ならばアリスリット号を狙うスパイではないかという疑いは持って然るべきなのだが、彩兼の目にはどうにもこの少女がそういった類の存在には見えない。
まず身なりだが、胸と腰にかろうじて衣服と呼べるようなボロ布を巻いているだけで、装飾や腕時計のようなものも身につけていない。
メロウ族を名乗ったファルカの言葉にも疑問がある。未開の地に暮らす少数民族と見るにはファルカはあまりにも綺麗すぎるのだ。
長すぎるくらい伸びた髪を縛ることなく垂れ流しているが、その髪は潮風に傷んだ様子はなく艶やかな光沢を帯びている。
それに海を何キロも泳ぐには相当な体力が要る。なのに特に疲れた様子がない。
身体付きにしても胸はあるが、肩も腕も細く、それほど筋肉がついているようには見えないし、何より肌が白すぎる。
「うわー、すごいなー。こんな変な船見たことないよー」
それに言葉はたしかに英語なのだが、その発音はまるで日本の中学生のようだ。
「ねえ、アヤカネ」
「なんだい?」
「キミの言葉、なんか変だよ? ゴブリンみたい」
「……」
彩兼の扱う流暢な英語はどうやら彼女からはおかしく聞こえるらしい。だからといってゴブリンはないだろう。
(何者だ? この子……?)
きょろきょろとアリスリット号を眺めているがテクノロジーを盗もうという感じではなく、単に物珍しさからのようだ。
奇抜な船体形状やイオンパルスブースター、船外機より、リアデッキに放置していた空のペットボトルが気になるらしい。
「うわぁ、なにこれ。いいなぁ」
昨夜、星の観測をしながら飲んでいて、そのまま放置していたようだ。少女はその空のペットボトルを宝物を見つけたかのように眺めている。
「ねぇねぇ、これ貰っていい? ねぇお願い」
少女の身長は彩兼より10センチほど低い。自然と上目遣いになり、そんな少女の可愛いおねだりを無下にできるはずもない。
「え? あ、うん。いいよ。持って行きな」
普段ならただのゴミだ。しかし海で遭難する者にとって空のペットボトルの価値はある意味宝石よりも貴重と言える。
やはりこの子は漂流中だったりするのだろうか?
アリスリット号は水には不自由しないから、ペットボトルを1本少女に渡すくらいは全然構わない。
「いいの? ありがとう!」
ファルカはペットボトルをまるで初めて見るかのように、いじって、なぶって、眺め回していたが、すぐに彩兼に向き直る。
「ねぇ、これどうやって開けるの?」
「はい?」
少女はペットボトルの開け方を知らなかったようだ。やはり原始人かも知れない。
……荒廃した世界に生きる未来人かもしれないが。
彩兼はペットボトルのラベルを剥がし、少女にわかるようにキャップを捻って外し、中身を洗って再びキャップを閉めてからそれを少女に渡す。
少女は蛇口から水が出たことに驚いていたが、ペットボトルを手に取ると彩兼がやって見せた通りに真似してキャップを外して喜んでいる。
少女は何か思いついたのだろうか? 腰のボロ布……パレオの端をびりびりと破り始めた。
「うん? どうしたのぉぉぉぉぉぱっ!?」
さらりと長い髪が揺れ、パレオがめくれて目に入ったのは白くて形の良いお尻。そこにはあるべき布が見えなかった。
「ちょっと! 水着の下は!?」
少女は彩兼を気にする様子はなく、割いたパレオの端をストラップのようにペットボトルに結びつけようとしているようだ。
少女は不器用なようでその手際はあまりよくない。
「え? なぁに?」
「水着だよ! まさかさっきのエロダコに持っていかれちゃったのか!?」
「あー、最初から穿いてないよ。邪魔だもん」
「邪魔でも人前では穿くでしょう!?」
「あー、人ってそういうこと気にするよね」
「君は一体何を言っているんだ!?」
「え? それは……」
そのとき強い風が吹いた。少女の長い髪が風になびく。
膝裏に届くくらいある長い髪がすでに乾いていることに訝しむ。いや、それ以前にこれまで濡れた感じもさせていなかったように思える。
「あっ」
少女の手からペットボトルが、それは海へと落ちていった。
「あ、いけない」
迷うことなく自然に海に飛び込んでいく。
止めようとした彩兼だったが、途中で言葉を失った。
少女の両足が虹色の何かに包まれた。それは一瞬のことで、次の瞬間にはその虹色は白い鱗に覆われた美しい鰭へと変化していた。
その姿は御伽噺に登場する人魚そのものだった。
(ああ、なるほど。そりゃパンツ穿けないわ)
驚きよりも納得。彩兼も自分がピント外れなこと考えているという自覚はある。しかし仕方がない。UFOと出会い、どこか別の場所へ飛ばされ、次は人魚である。日常を逸脱した邂逅が続いた中で、唯一合理的に納得できたのがそれだけだったのだ。
ペットボトルを拾い、加速を付けるようにデッキの周辺を泳ぎ回る。そしてイルカのように空中へ高く跳ね上がった。
水しぶきが跳ね上がり、白いウロコがキラキラと輝いていた。
人魚は空中で身を翻し、2本の足でデッキに華麗に着地する。
「き、キミ……今、足が?」
「うん? ああ、
「メタモル……フォーゼ?」
「うん。キミは魔族に会ったことはないの?」
「ああ、無いな……」
母親は妖精とか呼ばれてはいたが人である。魔族という言葉はフィクションの中でしか聞いたことはない。
だが存在を否定しているわけではない。科学万能を信じているわけでもない。
現に先日未確認飛行物体と遭遇したばかりではないか?
人魚が、魔族がいてなにがおかしいというのだろう?
しかし、実際に人でない未知なる存在を目の前にして、ほんの僅かに彩兼の心の中に少女に対する恐怖が生まれた。けれどそれ以上の好奇心がそれを押さえ込み、そして新しい感情が生まれた。
なんとしてもこの少女と友達になりたいと、そう思った。
「……君は人魚だったのか?」
「うん? メロウ族だって最初にそう言ったじゃない」
「……ああ、そうだったね」
本当だったのだ。ファルカはお伽噺の中に存在する人魚そのものだったのだ。
(どうだ親父! 俺、人魚に会っちゃったぜ?)
人魚との出会なんて譲治の冒険譚にも語られていない。彩兼はあの世で悔しがってるであろう亡き父親の姿を想像して笑みを浮かべていた。
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