死んだつもりで、地獄を進め

叶 遼太郎

死んだつもりで、地獄を進め

第1話 復讐者の凱旋

 モヤシが死んだ。

 九月の新学期、登校して来た私たちが最初に盛り上がった話は、夏休みで誰と誰が付き合いだしたとか、イメチェンしたとか、終わってない宿題をどうするかとか、新しい教師が来たとか、そういう平和的なものではなく、同じクラスだった安田祐樹が昨日自殺したという話だ。

 安田は、いじられキャラだった。モヤシとあだ名を付けられるのも納得の、細くて色白でひょろっとした体型をしていた。話し方も気持ち悪かった。モスキート音でももっと聞き取れるだろうってほど小声で、それでいてぼそぼそと話すから、相手は苛立つ。私が気づいた、おそらく彼の唯一の長所であろう相手の感情を読む力がこのとき逆効果を発揮し、モヤシは更に縮こまって声がかすれていく。で、結局言いたい事をきちんと伝えられず相手を苛立たせて終わり、というパターンが出来上がっていた。

 私もまだ十年ちょっとしか生きていないが、人間は安心を欲しがる生き物だと気づいた。そして、安心を得る最も簡単な方法は、自分より下だと思える存在を作る事だ。

 モヤシは、私たちにとって下に見れる格好の的だった。そんなクラスの共通認識が出来上がると、後は簡単。モヤシはいじっても良い。そんな暗黙の了解が簡単に構築された。連日、モヤシはクラスの男子たちの的になった。執拗に絡まれ、からかわれる日々が過ぎていった。最初は、嫌悪感があった。放っておけば良いのにと。けれど、それが続くと、日常の風景の一部になる。当たり前になる。脳が麻痺し、慣れてしまう。いつからか、私たち全員が、それを見ていて見ていない、見て見ぬフリではなく、認識しないようになっていた。結局の所、私たちもそれを見て、安心していたのだ。いじられるモヤシと、いじる男子を見て、あんな馬鹿な事をする連中よりも、自分たちは上なのだと。

 そして、モヤシは昨夜、どこかのビルから飛び降りた、らしい。

 らしい、というのは、誰も状況をキチンと把握していないからだ。ただ、モヤシが昨日家族宛に遺書めいたメールを送っていただとか、どこかの百均でロープを買っていただとか、そういう目撃情報が人の口と頭と耳を通るたびに変化して、モヤシが出席して来ないという最後のピースがはまって『自殺したらしい』という話に行き着いた。本来なら、同じクラスの仲間が死んだかもしれない、なんて話になる方がおかしい。不謹慎だ。けれど、こういう変化をしたってことは、このクラスの全員がそうあって欲しい、その方が面白いと、心のどこかで思ってしまった結果ではないか。だって、そう『考える』ことは、何一つ罪じゃないから。

 面倒で退屈な始業式の間も、皆の想像力と無神経と刺激を渇望する心からひねり出されたモヤシ死亡説は続いた。

「樹海に行った」

「いやいや死ぬなら断崖絶壁だって」

「馬鹿、それは二時間サスペンスの犯人を追い詰める場所だよ」

 無責任が法律上無罪の服を来て充満していた。私は積極的に参加せず、ただ想像だけしていた。本当に彼は死んだのか。もしそうなら、彼は最後の時、一体何を考え、何を思い、決断したのか。罪ではないからと、あらゆる可能性を考え、人間像を勝手に想像する。

 校長の長い話の間考えたが、当然、答えなどでない。彼の事は、彼にしか分からない。結局の所は。


 始業式が終わり、戻った教室では明日から始まる通常授業や、学園祭などのイベント予定について先生から話があった。後「変な憶測で安田の事を話さないように」と釘を刺していた。さて、これで終わりか、とクラス中の誰もが思ったとき、先生は「それと、もう一つだけ」と口にした。ただでさえ休み明けの学校ほどだるい物はないのに、ようやく終わったと思った生徒の出鼻を挫くことほど罪深い物はない。

「紹介が遅れたが、実は、新学期から新しい先生が赴任する事になった」

 寝耳に水の出来事に、嫌そうな顔をしていた誰もがえっと驚いた顔をする。


 ここで、色々とおかしな事に気づくべきだった。

 新しい先生が赴任するのなら、まさに始業式で挨拶くらいするものだという事に。

 担任の先生が、尋常じゃないくらい汗をかいていた事に。話し方が以前よりも少し棒読み気味だった事に。

 時計の針が十二時丁度から全く動いていない事に。

 担任の先生の紹介で現れた先生が、先生とは思えない雰囲気を出していた事に。


「初めまして」

 重く、太い声が私たちの腹に落ちてくる。

「山田一郎といいます。担当は数学です」

 数学って顔じゃない。誰もがそう思っただろう。山田と名乗った新任の先生の顔には、無数の傷跡があった。目立つのは右頬に走った横一文字だ。口裂け女もかくやで、耳の下まで伸びている。体格だっておかしい。ストライプのスーツが体の線に沿ってパンパンに張っている。少し力を入れれば張り裂けそうだ。袖から出たゴツイ手も傷だらけで、手のひらは肉刺が何度も潰れた後があった。数学の教科書より、銃やナイフを持っていた方が様になる。

「授業は明日からですが、今日は担任の金島先生にお願いして、皆さんに挨拶をしておきたかったのです」

 「もう終わると思っていたところに、時間をもらって申し訳ない」と山田先生は苦笑を浮かべた。彼なりの冗談なのだろうか。

「さて、高校一年生、十代半ばの貴重な時間を費やしてもらってでも、私には君たちに伝えたい事があります」

 改まって、山田先生は口を開いた。

「君たちは、ファンタジーを信じるかい?」

 全員の頭に疑問符が浮かんだ。

「だから、ファンタジーだよ。漫画でも小説でもよくある、あのファンタジーさ」

 質問の意図が分からない。恐る恐る、探るように、誰かが「いいえ」と答えた。信じていません、と。私もだ。この年になって、ファンタジーを信じている人間などいない。

「なるほど、それは良い」

 満面の笑みを浮かべて、山田先生は私たちを睥睨した。

「とても良い。うん。じゃあ、きっと良い経験になる」

 一体、何を言っているんだこの人は。

「私の担当は数学だ。数学は、実はファンタジーに通じるものがある。君たちはファンタジーが、魔法とか、自分たちの技術体系とはまた別のものだと思っているかもしれない。けれど、実際は違う。魔法は、実に理論的で、理屈にあった法則で出来ている」

 やばい、この人やばいよ。そんな声がクラスの中で囁かれ出した。聞こえているはずなのに、山田先生は注意する事はなかった。

「今の私の話、覚えておいて損はない。必ず、役に立つ。私の時は、こんな助言なんか一つもなかったからね」

 私の時って何だ。まるで、自分がさも魔法に出会ったような話しぶりだ。

「ちょ、おい・・・」

 誰かが呻いた。その声で、山田先生の顔から私は意識を背ける事が出来た。

「外、何かおかしくないか?」

 言葉に従うように、私の顔は外へと向いた。

「なぁっ・・・」

 喉から漏れ出た声が引き攣る。窓の外には、赤い世界が広がっていた。日本特有の、うだるような暑さが続く九月の昼間の景色は微塵もなく、ただただ赤い、荒野が広がっていた。

「ようやく、繋がったか」

 彼の言葉が、再び私たちの意識をひきつけた。

「予定よりも少し早いな。まあいいか。少し早足で講釈を垂れようか」

 山田先生が口の両端を吊り上げた。牙を向いたような笑みが、彼の本性を表していた。

「ご覧の通り、この教室の外は、もう日本ではない。地球ですらない。向こうの世界の名はリムス。これから、君たちが課外授業に向かう場所だ」

 課外授業って何だよ、日本じゃないって何の冗談だよ、クラスの男子が叫んだ。お調子乗りの、クラスのメンバーでも中心にいる男子だ。名前は

「落ち着けよ『日高』クン」

 薄笑いを浮かべて、山田先生は男子を諌めた。いや、待って欲しい。どうして、今日初めて会うはずの彼の名前を知っている? 名簿を見た? でも名前と顔がすぐに一致するものなのか? 言われた当人である日高も呆然としている。

「そんなに驚かなくてもいいじゃないか。だって、私は、全員の顔も名前も知っている。なんなら、一人ずつ当てていこうか?」

 そして山田先生は、出席を取るように一人一人の顔を見て、名前を言い当てていった。

「篠山朱里」

 私の名前も、間違わなかった。会った事がない人間に、名前を知られているというのが、ここまで背筋を寒くさせるとは思わなかった。

「皆納得したようだし、脱線した話を元に戻そう」

 納得など誰もしていない。ただ、目の前にいる人間が、得体の知れない何かに見えて、怖くて口も利けないだけだ。

「君たちにはこれから、課外授業を行ってもらう。申し訳ないが、これは強制だ。君たちに拒否権はない」

「拒否権って、そんなの学校としてどうなんですか」

 恐怖に打ち勝ち、声を上げた者がいた。委員長の柴田だ。勝気なつり目が山田を睨む。真面目だが融通が利かず、男子だけでなく同じ女子でも苦手にしている子は多い。私もその一人だ。確か親がPTAの一員だったか。なら、強気に出るのも勝算あっての事か。

「親とか、黙ってないと思うんですけど。許可とか取ってるんですか?」

「許可? どうして?」

「だって、事前に連絡もなしにこんなことしたら、問題に」

「ならないよ」

 心底馬鹿にしたように山田はいった。もう、こんなやつ先生じゃない。

「どうやって訴えるんだ? さっきも伝えたが、ここはもう異世界だ。君たちの御両親の中に、どなたか転移魔法が使える方がいたら話は変わるがね」

「異世界って、そんなの、何かの冗談か、トリックでしょう?」

 思春期特有の意地を張る柴田。それに、何人かの生徒は続いた。柴田の取りまきだ。彼女らは山田に対して暴言に近い悪態をつく。学校の責任追及だとか、SNSで顔を晒して拡散するとか、現代社会では効果的な脅しだった。

「そこまで言うなら、外に出て見ればいい」

 ため息一つ、山田がドアを指し示した。

「一応話を聞いてから行くことをお勧めさせてもらう。後悔しても、私は責任を取らない」

 忠告を柴田は鼻であしらい、カバンを引っつかんで教室のドアを開けて一歩踏み出した。その後に続いて、一緒になって悪態をついていた生徒も続き、戻ってこなかった。

「まだ転移の途中だったからなぁ、どこに落ちるか分からないのに。運が良ければ生きているだろうが」

 まあいいか、と山田は残った私たちに向き直った。

「これから君たちが向かうのは、リムスにある国の一つ、ラテル守護国。傭兵家業の盛んな国だ。治安は・・・日本とは比べるべくもないが、リムスの中じゃマシな方かな。それなりの秩序が保たれているから。酷いところだと犯罪が横行していたし」

 何かを思い出し、山田は肩を揺すった。

「そこで何をするかと言うと。別に何でもいい。自由だ」

 いささか拍子抜けの答えが返ってきた。

「何をしてもいい。権利は全て君たちにある。好きにするといい」

 山田が外をちらりと見た。景色が少し変わっていた。赤い荒野の遠くに、城壁が見えた。

「到着した。後は頑張れ。応援している」

「いい加減にしろよ!」

 再び、日高が立ち上がった。

「なあ、金島先生、新任の先生がこんな好き勝手していいのかよ。わけの分からないことさっさと中止して、家に帰らせてくれよ。今日は半日で学校終わる日だろ?」

 彼の男子グループが後に続いた。その声に後押しされたか、日高が前に出てくる。

「柴田さんたちの言う通りだ。異世界? ファンタジー? 馬鹿馬鹿しい。あんたの妄想に付き合ってる暇なんかないっての。妄想したきゃ一人でしてろよ」

 俺は帰るからな。日高が言い放った。

「帰るのも、自由だ」

 但し、と山田は続けた。

「帰れるものならな」

「どういう意味だよ」

「そのままの意味さ。時間は、ああ、もうすぐ夜だ。うん、まずは、今日を頑張らないと、帰る事は出来ないぞ?」

「アホらし」

 日高はリュックを背負い、教室のドアを開けた。

「・・・え?」

 日高の前に、何かが立ち塞がっていた。ドアから離れていた私には、開いたドアから全容を把握できた。

「恐・・・竜・・・?」

 それは、映画や博物館で見た事のある、恐竜の姿をしていた。頭が少しドアにぶつかるくらいだから、体高二メートルほどだろうか。大きい口に、その口からすらはみ出る鋭く長い牙。腕の先にある四本指にはそれぞれ鉤爪がついており、捕まえたら離さないという進化の果てと獲物を確実に捕らえるという意思が汲み取れた。日高が見上げ、恐竜モドキが見下ろし、一人と一匹の目が合う。

 あっけなかった。本当に、あっけなかった。映画のように、特別な効果音も演出もなかった。ただ、ひょい、という間抜けにも思える動作で、恐竜は大口を開けて日高の頭に噛み付き、あっけなく噛み砕いた。乱杭歯の隙間から血が飛びちり、教室を塗らした。一度ビクンと痙攣して、以降、日高は二度と動かなくなった。恐竜モドキは、動かなくなった日高をくわえたまま後退していった。ああ、巣に持ち帰るのかなと頭のどこかが答えをはじき出した。後には血の轍だけが残った。

 しばらくの間、誰も動けなかった。声すら上げられなかった。現実味がなかったからだ。誰かが死ぬのなんて。それも、目の前で、凄惨とも呼べる死に方をするなんて。

「良いのか? このまま放っておいて」

 山田ののんきな声が私たちを現実に戻した。

「やつらは血の匂いをかぎ付けて、仲間を連れて戻ってくるぞ? 餌がここにあると分かったからな」

 餌、自分たちの事を指し示すのに使われる言葉はたった二文字だ。ようやくパニックが起きた。男子も女子も区別なく、騒ぎ立てた。

「このまま騒ぎ続けるつもりかァ!」

 騒乱のなかであっても、山田の声は良く響いた。

「私は別に構わんがね。それでも。私は、君たちに同じ苦しみを味わって欲しいだけだし」

 同じ、苦しみ?

「ああ。今くたばった日高には、もっと苦しんで欲しかったが、くたばったのなら仕方ない。どれだけ憎くても、死んだらそれまでだ」

 憎いって、今日初めて会ったはずじゃないのか? 私と同じ疑問を抱いた誰かが問う。どうして私たちがこんな目に遭うの。私たちが何をしたって言うの。

「何をした?」

 山田が笑った。おかしいから笑ったんじゃない。怒りだ。彼の怒りが、顔を歪ませているのだ。

「忘れたとは言わせない。君たちが、お前らが! 『僕』にしたことを!」

 先ほどの恐竜の恐怖を忘れさせるほどの、恐怖。明らかに恐竜の方が恐ろしいはずだ。なのに、体は彼の方が怖いと感じている。だから恐竜の恐怖が掻き消えている。

「そうか、この姿だから分からないのか。仕方ないじゃないか。あれから三十年だ。三十年、僕は戦ってきたんだから」

 何を言っているのか分からない。いや、分かりたくない。

「あの時は、死んだ方がマシだと思った。この地獄の中で生き続けるくらいなら、死んだ方がいいと。家族に遺書を残して、自殺のための道具を買って、誰にも知られないように死のう。そう決めた。けど、首を吊って、意識が遠のきかけた時、結び目がゆるかったかロープが解け、地面に落ちて、顔を上げたときにはリムスにいた。本当の地獄にいた。ここでの記憶が生ぬるく感じるほど、過酷な環境だった。死ぬ事すら忘れるほど過酷だったのは、誤算でもあった。だから生きた。必死で生きて、戦って、三十年だ。三十年もあると、色んな事を知る。その中にあった。元の世界に戻る方法が。その方法は、自分と同価値のものを代替物として生贄に奉げる、と言うものだった。つまり、リムスと地球で、僕と、僕と同価値の何かを入れ替えれば良いってことだ。このとき、僕はリムスでそこそこの地位と名誉を得ていたからか、そこそこの価値があるものでなければ等価とはならなかった。そこで思いついた。クラスメイトだった君たちを、生贄にすれば良いって」

 話していた山田の姿が、徐々に変質していく。

「ああ、そうか、これが揺り戻しか。元に戻ろうとする力で、この時間であるべき姿に戻るのか」

 変質が終わり、そこにいたのは、ストライプのスーツを着たモヤシ、安田祐樹その人がいた。

「ふざけんなよモヤシ!」

 男子の一人が喰ってかかった。日高と仲が良かった竹内だ。

「お前、何したかわかってんのか!」

「わかっているさ。わかってやってる」

「この!」

 竹内が殴りかかる。ためらいが全くなかったのは、モヤシを殴りなれていたためだ。彼がモヤシにしていた仕打ちが見て取れた。だが、結果はこれまでとは全く違った。モヤシは彼の拳を真正面から受け止め、掴み、捻りあげた。ゴリ、と嫌な音が響いた。軽く捻りあげたように見えたが、想像以上の力だったらしく、骨が外れてしまったのだ。

「ああ、ごめん竹内君。加減できなくて」

 脂汗を浮かべて蹲る竹内の腕を取り、軽く押し上げた。短い悲鳴と共に竹内がよろめいた。

「元に戻しておいた。外れたままだと不利だからね」

 モヤシが教室内を見渡した。その視線から逃れるように、私たちは身を屈める。逃れられるはずもないのに。

「君たちはまだ幸運だ。この世界で生き残った僕が、僅かだけど助言してあげるんだから。僕の時なんか何もなかったし、この時代よりももっと酷かったんだから。何が酷かったかは、行ってから確かめてくれ。まずは、あの壁の向こう、ラテル守護国に逃げこむと良い。後の事は自由にしてもらって構わない。力も義務も責任もないのに、権利ばかり主張する君たちには都合が良いだろう? ああそうそう、これは餞別だ」

 モヤシは教壇の下から袋を取り出した。

「ここには、僕が使っていた武器や道具のお古がある。好きな物を持っていってもらって構わない。もう、僕には必要ないけど、これからの君たちには必要なものだ。それとも、素手でロストルム、さっきの恐竜と戦うつもりかい」

 そろそろ時間だ。そう告げるモヤシの姿が徐々に薄くなっていく。

「待ってくれ!」

 これまで黙って、存在を失っていた金島先生が、モヤシの足にすがりついた。

「お、俺は言う事を聞いただろう! 俺は見逃すって言ったじゃないか! 一緒に、一緒に連れて帰ってくれ」

 裏でそんな取引をしていたのか。本当に先生かこいつ。失望のまなざしで私たちが見つめる中、モヤシは彼に言った。

「僕は約束を守ります」

「それじゃあ・・・」

「ただし、僕の約束を守ってくれた人に対しては、ですが。僕、言いましたよね。いじめを受けているから、助けて欲しいって。でも先生は、生返事ばかりで、何一つ行動に移してくれなかった。自分の担当クラスから、いじめが発生しているなんて認められませんでしたか」

「あ、あの時の事か、違う、違うんだよ。新学期から変わるんだ。手を打つはずだったんだよ。色々動いていたんだ」

「ああ、そうだったんですか」

「そう、そうだ、そうなんだよ」

「僕が死ぬ前に、打つべきでしたね」

 とんとモヤシが突き放す。尻餅をついた金島を無視し、モヤシは私たちに告げた。

「急いだ方がいい。ここで生き残る秘訣は、判断を早くする事だ。最初の一日目で全滅なんて、つまんない展開は止めてくれよ? 僕は待っている。教室で待っているよ。僕が味わった地獄を潜り抜けて、戻ってきてくれ。そして、感想を聞かせてくれ。君たちの中の、誰でもいい。お喋りしよう」

 モヤシの姿がすうっと消えていった。それだけではなく、教室の全て、机も黒板も、床も壁も何もかもがうっすらとぼやけて、消えた。後には私たちと、我が身可愛さに生徒を売った先生と、モヤシが残した袋があった。最前列にいた生徒が、誘われるように袋に手を伸ばし、開けて中身をぶちまけた。ガラガラと、袋の大きさからは考えられないほどの量の武器が出てきた。剣に、ナイフ、杖、本などなど、まるっきりRPGだ。一人一人が、それを反射的に手に取っていた。何か手にあった方が安心するのだ。私が選んだのは細い剣だった。思ったよりも軽い。鞘から引き抜くと、白々とした刀身が私の顔を映していた。

「どうしよう、ね、どうしよう?」

 袋を開けた彼女は、それを呆然と見ながら呟いている。本当は彼女も、私も、みんなわかっている。もう、モヤシの言う通りに動くしかないということを。けれど、感情がそれをためらわせている。もしこの武器を取ってしまったら、取り返しのつかない事になるんじゃないかと訴えている。

「ね、先生?」

 裏切られたとはいえ、年長者である先生に、彼女は指示を仰いだ。先生は、虚ろな顔で生徒の顔を見返して「あの、その」と口ごもり、何も判断出来なかった。

 モヤシは言った。この世界で行きぬく秘訣は、判断を早くする事だと。先生はその真逆を選択し、ツケを支払う事になった。

 ロストルムと呼ばれたあの恐竜が戻って来たのだ。今度は二匹。その後ろからも土煙を上げて何匹ものロストルムが走ってくるのが見えた。ロストルムはへたり込んでいる金島に飛びかかり、一匹が首に噛み付いた。コリュ、と嫌な音を立てて、金島の首はあらぬ方向に曲がった。目の前で見ていた彼女が狂ったような悲鳴を上げ、すぐに悲鳴ごともう一匹のロストルムの口の中に飲み込まれた。

「逃げろ! 喰われるぞ!」

「いや、いやぁああああ!」

「マチが、マチが!」

 今度こそ、阿鼻叫喚の様が繰り広げられた。これこそが、モヤシが見た地獄だった。全力で、私たちは逃げた。一時の生を求めて、城壁の向こうを目指して。



 誰もいなくなった教室で、安田祐樹は教壇に座り、目を瞑って鼻歌を歌っていた。時間は既に夕方を過ぎ、夜に移行しようとしていた。部活の声ももう聞こえない。

 彼は待っていた。なんとなく、予感はあった。自分の感覚では、クラスメイトと分かれたのはついさっきだ。けれども、自分がそうであったように、相手もおそらく何年、いや、何十年越しかでこの教室に戻ってくる。そんな予感だ。

 時計の針が、流れる時間を無視して動き出す。針は十二時丁度を指し示した。

 安田は目を開いた。そして、歓喜で口元を緩めた。

「君かぁ」

 彼の前にいたのは、立派な鎧を着込んだ、一人の戦士だった。顔や手など、見える場所には多くの傷があった。おそらく鎧の下はもっと多い。醸し出す空気も、尋常ではない。当然だ。ここに戻ってこられたということは、自分と同等以上の地獄を潜り抜けたはずなのだから。その相手から伝わる殺意と怒りを全身に受けながら、安田は恍惚の笑みを浮かべた。

「待っていたよ。君も、僕に会いたかっただろう?」

 安田はゆっくりと、自分の剣を取り出した。長年愛用している相棒だ。家族よりも付き合いの長い相棒を構え、相手を見る。相手も、安田に対して武器を構えた。

「さあ、語ろう」

 二人は同時に床を蹴った。

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