第4話悪意と幻惑の迷宮を脱出

 仲の悪い父親が一人いるだけなので、現世への未練は殆ど無い。

雇い止めを貰ったのを機に、ゆっくりと作成し続けていた迷宮に移り住んだのだ。巻き込まれ型主人公のように振舞っている理由は、自己暗示とカモフラージュが半分ずつ。

迷宮の効果により放り込んだ女達は満貴に疑念を抱き辛いが、立ち居振る舞いには気をつけなければならない。


 女達を連れてきた理由は、ハーレム要員としてである。

それだけでも反吐の出そうだが、この上彼女らには、「好感度が上がりやすい」呪詛が掛けられている。

魅了や暗示より時間はかかるが違和感が薄く、また本来の自分との同一性も高い。その為、長期的にはこちらの方がリターンが大きい…はずである。

迷宮に移って5日後、3人は7階に到着。周囲の風景は病院風に変化した。


「帰りは桐野さんが送ってくれるけどさー、行きが辛いよね…」

「わかるー!いちいち歩いてかなきゃならないし、階段も探さなきゃいけないじゃない?」

「確かにしんどいっすよね、中継地点とかあればいいのに」


 楓、海加ともに、満貴に随分と慣れてきたようだ。

楓など昨晩、台所に敷いてある寝床までやってきた程だ。彼女は大学の友人や、実習先の学校の様子を懐かしそうに語って聞かせてきた。

高校からの友人と、実習先が同じだった事は話している時は実に楽しそうだ。以前の生活に、充足を感じているのが分かる。


「どうやったら帰れるんですかね」

「うーん…一番奥まで潜ったら出入口がある…とか、ありませんかね?」

「あー、どうなんでしょうね。とりあえず行けるところまで行ってみようって思ってますけど」


 それで当たりだけどな。

あまり長くても面倒臭いし、満貴は脱出に際しての特別な条件を設けてはいない。

最下層の29階にある扉から出れば、外界に帰る事は出来る。


 地下10階に到達した頃、満貴一行は1人の女と出会った。

切れ上がった目尻にまっすぐ通った鼻梁は、美形と言っていい。顎くらいの長さで揃えたストレートボブが、細面を縁取る。

胸はやや小ぶりだが、尻は安産型で大きい。吊り眉に引き結んだ口元が、剣呑な雰囲気を発散している。

女は満貴らを一瞥すると、一言も発する事無く踵を返す。その背中に楓が声を投げた。


「あの、待って!?私達と一緒に」

「どうして?」

「どうしてって…、人数多い方が安全だと思うし…」

「独りでも戦えてるから要らない」

「でも…」


 引き下がろうとしない楓の前に、女は雷電の威嚇射撃を放つ。

言葉を失ったと見ると、不機嫌そうに大きな足音を立てて去って行った。


「何、あの人!!」

「追う?」

「うん。やっぱり一人じゃ――」

「いいよ!本人が来るなって言ってるんだし!」


 海加は声を尖らせながら、女とは別方向に2人を招いた。

景色が変り、現れる魔物の顔ぶれにも若干の変化があった。

血色の悪い白衣を着た男女、楓を一飲みに出来そうなほど巨大な蛙、身のこなしの素早いワーキャットなど、総じて上層より打たれ強い。

しかし、満貴らも入ったばかりの頃とは違う。満貴が自分を含む3名の能力を底上げし、海加が切り込む。仮に傷ついた場合は、楓が治療する。

戦闘に参加したがらなかった為、発覚が遅れたが、彼女は負傷を癒す力を得ていたのだ。


 女――霜月梨夏(しもつきりか)と顔を合わせる頃には、2人とかなり距離を縮める事が出来た。

部屋にあったディスクで映画を見ている時、肩をぴったりと寄せた時の反応で、それを確信した。

探索中に助けるまでも無く、ただ寝床を提供しているだけで好感度が上がる。枕を交わすまでにそう時間はかかるまい。心の中でほくそ笑んだ。



 まるで雨に打たれているようだ。

海加は牝鹿のようにしなやかな肢体を、温かな滴で濡らしながら、迷宮に入る前の生活を思い出していた。


(正樹…)


 思いを寄せている男友達。

幼馴染の萌と交際を祝福しつつ、彼女は心の奥底で妬む自分に気づいている。諦めきれていない。

それが今は遠い。訳も分からず地下通路をさ迷い歩き、初めて怪物を倒した時、使った凶器は己の手足。

自らの意志で生き物を抹殺した感覚。そうしなければ自分が傷つくのだとは理解しつつ、生理的な恐怖は未だ拭えない。


(だから……安心したんだ)


 話の通じる相手に出会った。

今や強いて距離をとっていないと、縋り付いてしまいそう。


「ううぅぅう……」


 海加は自らの肩を抱えると、心の奥底から湧き上がってくる熱を発散するように呻いた。

この空間で過ごす時間が長くなるほど、3人で過ごした記憶からは現実感が薄れている。異常な経験に加え、満貴がかけた呪いが彼女から正常な思考を奪っている。


「………」


 蛇口をひねり、シャワーを止める。

自宅のそれとは大違い、まるで安心できないが、薄暗い店舗の隅で眠気が去るのを待った時間に比べれば楽園だ。

そう考えながら、海加は、ひたひたと足音を立てて浴室を出た。



 最下層の28層に到達するまでに、結局40日近くかかった。

その間、梨夏以外の者とは一切出会う事なく――満貴が手配したのだから当たり前だ――彼らは3人きりで過ごした。

満貴は目論見通り、2人の女と関係を結ぶことが出来た。ただし、場所は桐野家ではない。


 梨夏ともある程度の協力関係を築く事に成功し、彼女の家を拠点にした探索が可能になった。

もっとも、拠点を貸すだけで、3人と距離を縮めようとはしなかったが。

満貴のテレポートあるいは脱出術の効果は、正確には迷宮から脱出。安全地帯とした霜月家も帰還先に含める事が出来る。

しかし、その位置は迷宮10階。28階まで潜るなら、野営が必要になる。16階以降の日本の御殿内を思わせる空間、満貴は第18層の角部屋、北と西に面した襖を閉める。

そこで敵を寄せ付けない臭いを放つ香を焚き、簡易な拠点とした。現場はそこだ。


 関係を持ったのは、僅差で楓が先。

満貴が目星をつけておいただけあって、素晴らしい肢体だった。海加が起き出すと、もはや眠るどころではなかった。

結果、満貴らは和風の迷宮が終わるまで少しばかり臭い思いをする羽目になった。

地下22階から28階までは、水路の多いエリアだ。壁は無く、降りた地点から階層全体を見渡せるので、まるで海の上に浮かんでいるような錯覚に陥る。

周囲に敵がいないことを確認し、3人は身体を拭った。


 そして最後の地下28階。

壁に埋め込まれるようにして、石造の門が口を開けている。

扉の代わりに、白い霧が向こう側を覆い隠していた。満貴の予想通り、楓と海加は霧に飛び込むべきか思案するように見ている。

満貴は2人の様子を窺い、躊躇いがちに口を開けた。


「あの…俺が先に行くよ」

「え!危ないんじゃない?」

「でも誰か行かないと…」


 楓と海加が顔を逸らす。

脱出したくない訳ではないが、この先に何があるか不安なのだろう。


「霜月さん…も一緒の方が 置いてくのもどうかと思うし」

「そうそう!どうせなら4人で帰った方がいいって!」


 2人は努めて明るく言った。

ボロを出したら困るので、梨夏にはお前らとは行動しないように言ってあるのだが…。

だが、それならそれで良い。延長戦だ。満貴は後何回情を交わせるか計算しながら、2人の女と共に霜月家に帰還した。

梨夏は2人の説得にも頑なに耳を貸さなかった。最下層に辿り着いたその日は、そのまま一泊。


「私達、もう行きますけど…使えそうな物置いていくから、使って」

「ありがとう」

「それじゃ…」


 入手したアイテムを、必要なもの以外を譲渡して再び最下層に向かう。

満貴の視点からすればひたすら茶番なのだが、この退屈は展開の都合上発生する税のようなものだ。

2人は今度こそ、霧の向こうに歩を進めた。まず海加が片手を突っ込み、何もいないことを確かめてから、一息に踏み込む。


「海加さーん!そっち大丈夫―!?」


 返事はない。楓の表情に不安が浮かぶ。

満貴の表情も硬く、それゆえ楓が内心を悟ることは無かった。


「俺、見てきます」

「待って、一緒に…」


 楓と満貴はタイミングを合わせて、霧の中に飛び込んだ。

門の先は漆黒の空間。左右には霜月家の扉と桐野家と扉が浮かんでいる。その場で正気を保っているのは満貴1人。

霧を通過した瞬間、2人のその精神は決定的な変容を迎えた。記憶と人格が破壊されたのだ。

直後に同じように再構成されるも、過去への終着がごっそりと削れている。今この場にいるのは神戸の女子高生と横浜の教育実習生ではなく、満貴の太鼓持ち2名だ。


 満貴は2人を伴って霜月家の扉を開ける。

迷宮内ではついぞ見せなかった蕩けた笑みを浮かべて、梨夏が主を出迎えた。

彼女は満貴の傀儡である。楓達を地下に放り込む以前に、洗脳に等しい手段で引き込んだのだ。


「お疲れ様」

「そっちこそ悪かったね。今まで放っておいて」

「本当です!ちゃんと埋め合わせしてくださいね。さ、早く早く」


 梨夏は猫撫で声を出しながら擦り寄ると、満貴の腕を引いた。霜月家の扉が閉まる。

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