第473話 故郷の風(1)手伝い
鼻歌を歌いながら黒井さんが書類を作っている。流石に暑いので革ジャンではなくアロハシャツで、見た目はワイルドでロックな宇崎竜童なのに、好きな歌は演歌。
わからないものだと思いながら、僕は書き上げた書類をトントンとまとめた。
そして元々の体質として、感情が表情に出難いというのと、世界でも数人の、週に3時間程度しか睡眠を必要としない無眠者という体質がある。
その余暇を、料理をしたり本を読んだりいろいろな事に当てているのだが、色んな言語を覚えるというのにもはまっていたことがある。そしてそれは時々、役に立っている。
「御崎係長、ちょっと頼めますか」
こんな風に。
「はい。いいですよ」
申し訳なさそうに拝んで来る地域課員について行く。
すると、エキゾチックな顔立ちの女の子が、心細そうな顔付きで皆に囲まれていた。
「ラテンかなと思って、外事に頼んで、英語、ポルトガル語、イタリア語、スペイン語は試したんですがダメでした」
「南米っぽいですよね」
スリナムならオランダ語、スリナム語、パラグアイならグァラニー語、ペルーかボリビアならケチュア語、アイマラ語をまだ試していない事になる。
僕だってそんなに知らないから、知っているのにヒットしてくれればいいがと祈りながら、「こんにちは」と呼び掛けてみる。だが、オランダ語はダメだった。グァラニー語も、ダメだ。最後にアイマラ語で呼びかけると、ぱあっと笑顔になって、
「こんにちは。良かった」
と胸を撫で下ろした。
その様子に、周りの課員も胸を撫で下ろして笑顔を浮かべた。
「ペルーから来たんですか」
「はい。父の妹が日本人と結婚して日本にいるので、会いに来ました。
あ、私はアナ・アリサカ。叔母は川口ロサです」
「アリサカさんの年齢を聞いてもいいですか」
「15歳です」
「パスポートを見せてもらってもいいですか」
「はい」
カラフルなバッグから取り出し、渡す。
通訳しながらそれを課員に渡し、何があったのか訊いてみた。
「歩道橋から転落したんですよ。突き落とされた様にも見えたので、手当を兼ねて」
「アリサカさん、ケガは大丈夫ですか。痛い所とかがあったら、言って下さい。後で大事になったら大変ですよ」
「少し擦りむいただけだから、大丈夫です。ありがとう」
「歩道橋から、誰かに突き落とされたとか?」
アナは困ったように首を傾げた。
「町は人が多いから、よくぶつかる。だから、よくわからない」
それを通訳し、ついでに付け加える。
「アイマラ語を使う人は少なくて、伝わる部族でも、スペイン語しか話せないという若者が多いくらいですよ。何か訳ありなのかも知れませんね」
「とは言え、そこまではなあ。その叔母さんの所に送ってやるのでもういいでしょう」
「まあ、そうですね」
「と言うわけで、このまま放り出すのは心配だから、頼めませんか。お願いします」
アリサカさんはキョトンとしながらも、やっと冷たいお茶に手を出す余裕が出たのか、ゴクゴクと飲んでいる。緊張していたんだろう。
「わかりました。
アリサカさん。叔母さんの家はどこかわかりますか。ここに来てもらうか、僕が送って行くかしましょう」
僕がそう言うと、アリサカさんは、嬉しそうに笑った。
アオの目を通して辺りを見た直が、言う。
「ペルーの人かな。こっちを見張ってる人がいるねえ」
「やっぱりいるか」
アリサカさんは、戻って来たアオを可愛がって笑っているが、訳ありらしい。でも、本人にその自覚はなさそうだ。
「その叔母さんの所に送って行くのはともかく、その後、大丈夫かねえ」
「そうなんだよなあ。でも、ガードするってわけにも行かないし、大使館に相談するとかを勧めるくらいかな」
「そうだねえ。しかたないねえ」
僕と直は相談して、そう決めた。
叔母さんが住むのはここからそう遠くない所で、買い物先から帰るから、家に向かって欲しいという事だった。
言葉の問題があるからと僕が送って行くのを頼まれ、狙っている人がいるようだからと、ガードの為に直に同行を頼んだのだ。
そして、おばの川口ロサの家に向かう。
住宅街の中にある古い家で、内科と小児科の医院をしていた。川口氏が医師らしい。
「アナ!」
「ロサ!」
しっかりと抱き合う姿に、取り敢えず、安心した。
そして僕と直は中へ通され、昼休みになった川口氏を交えて、これまでの経緯を説明する。
「それで、周囲をペルー人と思われる人間が、見張っています」
3人は心配そうにしながらも、アナさんは、
「父の
と言い切った。
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