第82話 さく(4)満開

 薄い色の青空に、満開間近な梅の花。春は近い。お嫁入りは近い。


 最近は痛み止めの薬のせいでうつらうつらしている事が多いらしいが、今も、浅い眠りにあったようだ。

「梅本さん。お客様ですよ」

 看護師さんが声を掛けるまでもなく、梅本香里さんは目を開けて、こちらに顔を向けて来た。

「まあまあ。珍しいお客さんだこと」

 ニッコリと笑うその笑顔は、今日、明日、と言われているにしては、穏やかで温かい。

「おはようございます。はじめまして。御崎 怜と申します」

「おはようございます。はじめまして。町田 直です」

「おはようございます。梅本香里よ。よろしく。

 さあ、そこに掛けて」

「失礼します」

 僕と直がベッドサイドの丸椅子に座ると、梅本さんは、スンスンと香りをかいだ。

「良い匂いだこと。梅ね」

 僕達は、梅のフレグランスを振ってきていた。

「梅はお好きですか」

「大好きよ。昔、梅の木の下で約束をしたの。梅の花が満開になる頃、お嫁に行きますって。事情があって、叶わなかったけれど。

 ああ。花岡さんも、あれからお会いできないままあっちにいらっしゃったわねえ。

 でも、もうじきに会えるわね。合わす顔が無いのだけれど……。どうしましょう」

 しみじみと、おっとりと喋る。

「大丈夫ですよ。花岡洋二さんは、今でもあなたが大好きです」

「まあ。嬉しいわ」

 ぱあっと顔を輝かせて、梅本さんは女学生のように、華やかに笑った。

「もう、今年は、梅の花は咲いたのかしら……」

 うっとりと言いながら、また、眠りに入る。


 田所さんの様子は、初日とは激変していた。頭を抱えてブツブツと言ってみたり、絵に向かって拳を振り上げては止められたり、僕達4人に向かって怒鳴り散らしてみたり。田所サラリーローンは営業していたが、社員は皆、応接室の様子を窺って、ピリピリしていた。

 様子の変わらない舞さんは、大物なのか、愛情が冷めているのか。

「落ち着いて下さい、田所さん」

「落ち着けだと?今夜死ぬかも知れないのにか?」

「殺させはしません」

「これまで何もできなかったのに、何ができると!?」

 エドモンドは困ったように、ロイを見た。

「田所さん。今日は僕達が担当します」

 田所はギロリと僕を睨み上げた。

「子供に、何ができる」

 取り合わずに、絵の前に立つ。

 八分咲きの梅にもたれかかる若い梅本さん。春を待つ。正しく、梅本さんも花岡さんも、春を待っていたのだ。

「そろそろ時間ね」

「うるさい!」

 舞さんが言うのに、田所さんが灰皿を投げつける。

 舞さんに当たる事なく、灰皿は灰をまき散らして壁にぶつかった。

「なあ、何もしなくていいのか。もう、夜中になるぞ」

 エドモンドが心配そうに言う。

 直はエドモンドに、

「取り合えず、今は花岡さんを待ってるところだから。今日は、見ててくれるんでしょ?」

と、黙っておけよと釘をさす。

「エドモンド。今日は黙って座っていろ」

 ロイがダメ押しのように言って、エドモンドを椅子に座らせる。

 僕は絵から目を田所さんに転じた。

「春を待つ。待っていたんですよ、本当に」

「何?」

 気配が濃密になり、冷気が流れ、恨みの臭いのこもった念が満ちる。 

「花岡さん、お待ちしていました」

 田所さんの真後ろに、霊体が現れる。

「ヒイイッ!」

 田所さんは腰を抜かして床に座り込み、失禁した。

「何だ、貴様は」

「梅本香里さんにお会いしてきました」

「……」

「春を、今も待っているようでした」

「香里は」

「ご病気で、今日か明日には……」

「香里……会いたい。どこにいたのか……」

「絵を」

 絵と梅本香里さんとに、パスをつなぐ。すると、木にもたれていた女性が立ち上がり、病室で見た姿になると、満開の笑顔を浮かべた。

「花岡さん。そこにいらしたのね」

 霊体の花岡さんは、絵に近付いて行って生前の姿をとった。

「香里さん。探しました」

「ごめんなさい。父が、破産して」

「いいんです。全てわかっています。あの田所がしたことです」

「もう昔のことよ。私も、ほら、こんなにおばあちゃん」

「僕だってこの通り」

 2人は、長年連れ添った老夫婦みたいだった。

「もう、お嫁にはいけないわね、これじゃ」

「とんでもない。僕の妻は、香里さんだけです」

「まあ、嬉しいわ」

 2人は見つめ合って、微笑んだ。

「香里さんが亡くなるまで、傍にいます。それまでは、生きて下さい」

「そんなにお待たせしないわ、きっと」

「香里さん……」

「あら。死ぬのが怖くなくなったわ。むしろ楽しみよ。ふふふっ。

 お見舞いに来てくださってありがとう、御崎君、町田君」

「いいえ」

「はい」

「おい、田所。お前のした事は、今じゃなくてもきっとお前自身に返るだろう」

 花岡さんは最後にそう田所さんに言い捨てると、2人で、絵の中に消えて行った。

 静寂が、満ちる。

 気配もなく、微かな梅の香りだけが残る。

 田所さんは突然笑い出した。

「良くやった!よくやったぞ!良し!」

 それに応える者は無く、エドモンドとロイは、深く詰めていた息を吐いた。

「怜、お疲れ」

「直もお疲れ」

 僕達も、ほっと息をつく。

「料金は協会に支払うだけでなく、お前らにも別口でやるぞ。ボーナスだ」

「いえ、規定ですから受け取れませんので」

「何だ、固いな。ガハハハハッ」

 大笑いしていられるのも今の内だけどな。

 思っている内に来客があり、こんな夜中に誰が、と出て行った舞さんが連れて来たのは、警察だった。

「詐欺容疑で逮捕状が出ています。こちらは、家宅捜索令状です」

 田所さんはヘナヘナと座り込み、舞さんが、

「はい、どうぞ」

と、淡々とそれを見る。

「やったことが自分に返って来たねえ」

「花岡さんの言った通りだな」

 僕達4人も、一応絵の前で待機する。

「お疲れ様。流石でしたね」

「お疲れ様です。そんな、大したことはないですよ」

「それより、ロイ、あなたの目的は試験の監督ですか、本当に」

 直がニコニコしながら直球で訊く。

 ロイは少し考えてから、

「まあ、いいか。

 実はそれ以外にもうひとつ。日本霊能師協会と、御崎 怜を探る事。危険な存在ならば、排除する事、というのが目的でした。むしろ、こちらが本命です」

「排除?殺すってことですかあ」

 ロイは、直の質問に笑って明言を避けた。

 僕は嘆息した。

「約1年前に体質変化して以来、色々と面倒臭いなあ。でも、まあ、これも悪くないか」

 絵を見ると、満開の梅の木の下で、梅本さんがこちらに体を向けて、こぼれんばかりの笑顔を浮かべていた。





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