処刑場のドン・キホーテ

川根ゆさき

第1話 処刑場のドン・キホーテ

馬車に乗り込む、ひどいあばずれ女よ

お前の渇きは男で癒される

家に帰って眠れば、飲み干した血のことも忘れる


 それは、一人の「未亡人」と、恐ろしい処刑人の恋物語。



 ある中都市に、一人の司祭がおりました。彼は、信仰と希望に燃えて、聖職についたはずですが、今となっては全ては虚しい思い出。

「父よ、御名が崇められますよう――」

「こんな時に、慰めかよ」

 司祭は、囚人からかけられた言葉に、ほんのちょっぴりだけ、胸を悪くしました。でも、司祭はこの仕事に慣れておりましたので、取り乱したりはしません。

 囚人の為、最後の祈りを続けます。

「わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから――」

 そしてきまり通り、十字架を囚人の唇に触れさせようとすると、囚人は目をむいて、こんな風に怒りました。

「そんなご大層なお飾りは、てめぇの……にでも、突き立てときな!」

 あまりに口汚い言葉に、司祭は胸元で十字を切りました。

「汚れし言霊から解放されたし、アーメン!」

 もはや、何の祈りなのか、司祭にも分かりません。とりあえず、救われたくもないという罪人のため、最後の祈りを捧げるというのが、司祭の今の仕事のようでした。


 全てがどうでもいいことでした。


 周囲できゃーきゃー騒ぎ立てる群衆も、野蛮だと顔をしかめつつ、残酷なことが大好きなやんごとなき人々も、この死刑制度にいちゃもんをつける人々も、そこに関わる司祭や処刑人たちにかけられる、悪魔を呼べそうに汚い言葉も。


 全てがどうでもいいことでした。


「司祭様、お疲れ様です」

 全てが滞りなく終了し、罪人が天に召されるのを見送った後のことでした。いつものように、律儀に頭を下げた男に、司祭はよそいきのすまし顔を作りました。

 そして、胸を張って、彼に労いの言葉をかけました。


 彼は、この素晴らしい処刑装置の持ち主であり、この装置を操作するひと。つまりは処刑人と呼ばれる人でした。司祭とも顔なじみで、いつもこんな挨拶を交す仲でした。

 ただ、この日はいつもと違うことがありました。処刑人が、こわばった顔で司祭に話しかけてきたのです。


「ところで司祭様、ひとつ折り入って、大切な相談があるのです」

「はい、なんでしょう」

 司祭は、上手く取りつくろいつつも、少しだけ、面倒に感じていました。

 というのも、この男、鈍くさいというのでしょうか。少々足りないところがありました。司祭に持ちかけてくる相談も、たいていは、自分一人でどうにかできるようなことばかりなのです。


 でも、この時は少しばかり、様子が違いました。

 彼はしばらく顔を赤くして、もじもじとしていました。しびれを切らした司祭が何度水をむけても、ちっとも話が進みません。

 ただ、うなるばかりです。

 この様子に司祭は、ぴんときました。


 そう、恋です。きっと、この愚鈍な男は、恋をしたに違いありません。

 それならば、少しは司祭でも相談に乗れるでしょう。何といっても、司祭は恋のプロフェッショナルです。未亡人から、人の妻まで……まぁ、とにかく、司祭も人の子です。若い頃は、人並みに無茶もしました。


「司祭様。司祭様は、結婚式も挙げてくださるのですか?」

「まぁ、それも務めですからね」

 そう胸を張ったものの、実をいうとこの司祭、ここ数年は結婚式など携わった事がありませんでした。式次第だって、忘れかけています。

 しかしそれはそれ。何とかなるでしょう。

 どうせ結婚式なんて、何度も挙げるものではありません。他の何とどう違う、なんてこと、分かるはずがないのですから。

 もし何度も挙げていたとしたって、澄ましていれば分かりっこありません。


「じゃあ、俺の結婚式を挙げてもらいたいんです」

「ご結婚、なさるのですか?」

 あまりに急な話なので、司祭が目を丸くしていると、彼はこくりと頷いて、熱のこもった目で話し始めました。


「きちんと、世間様に認められたいんですよ。俺はこんな職だし、それに相手の女性が、その、あんまり評判が良くねぇ女で」

「と、申しますと?」

「いえね、本当はとても心根の優しい女なんですよ。それはうぶな人なんでさぁ。でもねぇ、最初の男が悪かった。とんでもねぇ呑んだくれの、悪党で」

 司祭は何だか、胸がざわざわしました。良くない予感というのでしょうか。目の前の処刑人は顔を真っ赤にして憤っているようですが、司祭にはすぐに分かりました。

「それ以後は、もう目も当てられねぇ。聞くも涙、語るも涙の連続です。次から次へと無理矢理、悪党と関係を結ばされて」

「はぁ」

 曖昧な返事をし、司祭。心の中で、ははぁ、と納得しました。初心な処刑人は、どうやら悪い女に引っ掛けられたようなのです。


「世間の言い様も、まるで娼婦のようだと言いやがる。とんでもねぇ、彼女は心根の綺麗な人でさぁ。ただ、運が悪かっただけだ」

 運が悪いのは処刑人です。聞くも哀れな身の上話は、娼婦達の手練手管の一つなのです。それを知らないのは、それこそ「うぶな」男と田舎者くらいでしょう。


 可哀相に処刑人は、悪い娼婦に引っかかったに違いありません。娼婦ではないようですが、とにかく金の為に道を外した、悪い女でしょう。それならば、同じです。

 少なくとも、神の教えを説く司祭にとっては、どちらも同じことでした。


「いや、最近では良く、ぷろれたりあーとって言いやがる、アレですか? 何かお上品な奴等が、よく言うような奴ですよ。貧乏は俺らが悪いんじゃない。犯罪も俺らが悪いんじゃない。お偉方とこんな世の中が悪いんだっていう奴です」

 これは間違いありません。プロレタリアートというのは、最近はやりの新しい教えのようでした。社会主義というこの新しい思想は、カイキュウトウソウと叫びながら、金持ちを殺そうとする過激な宗教だったはずです。その教えによれば、司祭達まで敵とされるはずですが、この男はまるで、そんな事は知らぬようでした。


 それは無理もない事でした。本当なら、この男には、分かるはずもない言葉なのです。

 しかし、娼婦というのは、実は普通の人間より、学のあるものなのでした。大体、女を買う男というのは自分の素晴らしさをひけらかす為、そうした話をするものですから。

 恐ろしい事に、あの女達は、司祭達よりよほど上手に語れました。そうやって、どんどん間違った悪魔の教えを広めて行くのです。


 司祭は思わず身震いしましたが、彼は全く気づいていませんでした。

 いつも、そうなのです。男は、きちんと口に出して言わないと、全く分からぬ男でした。


「俺は学のない男ですがね。あの言い様には感心しますよ。何せ、処刑人に学はいりませんからね。親父は俺に、読み書きでさえ覚えさせちゃくれなかった。下手に学をつけりゃ、おかしな知恵をつけてくるってね。だから奴等のように、世間を変えることなんざ、出来ないんです」

 司祭は、顔はにこにこしておりましたが、その実、ちっとも笑ってなどいませんでした。むしろ、心の中では、聞くに堪えない言葉を吐いておりました。


 何を言っているんだ、この男は。知識を入れてやっても、お前の頭はちっとも理解しないだろうに!


「でも、彼女はちっとも俺を馬鹿にしないんです。俺は、彼女を救ってもやれないうすのろですが、それでもちっとも俺を責めない。黙ぁって、横にいてくれる」

 それを聞くと、司祭はほんのちょっとだけ、反省し、この愚鈍な男に同情しました。

 そう、悪いのは彼ではありません。素直な男に誤った教えを吹き込んだ、その身持ちの悪い女のせいなのですから。


 さも知らぬように振る舞うのも、他の男に教え込むのも、全て娼婦の手。そして、哀れを誘う術も、男を満足させる術も、全てそう。皆、それを知っていて、夢を見る。それが遊びというものです。


 でも、処刑人は全く、遊びなれていないのでしょう。全く女の言葉を疑っていないようでした。

「だから、俺の満足でも良い。所帯を持ちたいんです。そうしていつか、俺がもっとマシな職業についたら、ちゃんと足を洗わせてやるんです」

 嬉しそうに夢を話す男が、ますます哀れになりました。


 司祭には分かっています。そうした娼婦のような女にとって、男の姿や性質など、どうでも良いのです。だから、この愚かな大男でも、優しく扱ってくれます。

 その収入があれば。

 でも、それは処刑人が処刑人であればこそ、です。確かに、処刑人は不名誉な職ですが、非常に儲かりました。女には、魅力的に映るでしょう。


 司祭は、身分こそ低いものの、とても賢い人でした。だから偉い司祭が話すような、真実の愛というものが、まやかしに過ぎないことを知っておりました。

 世の中というものは、綺麗なものよりも汚いものが多いのです。それでも厄介な事に、人の目は綺麗なものしか見たがらないものでした。

 司祭はよくそれを心得ておりました。でも、それはちょっとひねくれた人でも分かる事です。司祭の賢いところは、それを誰にも言わぬことでした。


 確かに、世の中は汚いもので満ちています。それでも心から信じれば、まやかしもまた真実、ゴミ捨て場も理想郷になるのです。


 だから、この可哀相な処刑人にも、笑顔で応えたのです。


「ええ、それはとても素敵なことですね。きっと、神も祝福して下さるでしょう」

「本当ですか!」

 処刑人は、とても嬉しそうでした。こんなに喜ぶ処刑人を見たのは、これが初めてだったかもしれません。これには、司祭も少しだけ、気が咎めました。

 でも、言っても聞いてはもらえないでしょう。司祭に出来るのは、せめて相手の女を、彼の良き妻となるように諭すことくらいです。


「では、式の前に相手の女性と会わせて頂けないでしょうか」

 色々、準備があるから。そういうと、処刑人は不思議そうに瞬きし、そして照れたように、笑ったのです。


「ああ、俺としたことが。確かに、司祭様が知ってるはずもないですね。いつも、こうして会うだけだ」

 何の事だと聞き返すより先に、処刑人は後ろを示しました。司祭はそちらへ目をやりましたが、誰もいません。

 せいぜい、あの最高の処刑器具があるくらいです。


 ふと、司祭はあることに気づきました。


「まさか――貴方の結婚相手というのは」

「ええ、名前は」

 処刑人は、でれでれと顔を赤くして、どこか得意げに「彼女」を紹介してくれました。

 司祭よりも巨大な背丈。二本の足はがっちりと台の上に立つ柱。やや、顔を赤らめさせるその部位に、しっかりと罪人を抱き、その胸に隠された滑らかな刃で押しつぶす、恐ろしい女。

「ギロチーヌというんです」

 司祭は呆けた顔で、幸せそうな処刑人とその彼女兼「相棒」を眺めるしかありませんでした。


 そう、処刑人の妻となる人は、処刑者に全く苦痛を与えぬように作られた、心優しい処刑者でした。発明者の名にちなんで、ギロチンと名付けられた、あの死刑執行者。

 賢い司祭ですが、さすがの彼でも、この素晴らしい処刑器具が、未亡人、というあだ名で囃されていた事は知りませんでした。


 人は、処刑を結婚と見たて、犯罪者とギロチンの最後の結びつきをまるで劇のように仕立て上げ、そのような陰口をたたいたのです。

 処刑人が怒るのも無理はありません。そう、確かに社会が悪いのです。「彼女」はただ、与えられた仕事をこなしているに過ぎないのですから。

 そう、彼女は全く正しい人です。処刑人と同じくらい、いえ、それ以上に。


 夕焼けのせいでしょうか。男の横に立った首狩り機械ギロチーヌ、改めギロチンは、少しだけ照れているようにも見えました。

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