第64話 動揺の渦

 事の発端は、渚沙が純粋に母国、日本のことを想い、不可能と思っていたひとつの願望を心の中に抱いていたことから始まった。

  

 渚沙が、スピリチュアル系の書籍にほとんど触れたことがなかったために、その種の書籍のすべてはまだ否定していない時だった。二人の著名な知識人WとAが、世界のベストセラー書籍、主に精神世界のものを多数訳していることをちらりと見聞きし、彼らの名前だけは知っていた。二人が関わった、世に出ている書籍は三桁の数になる。特にWは学歴、職歴でもエリート中のエリートコースを歩んでいたため、社会で一目置かれる存在だった。スピリチュアル系たちからは悟った人のように崇められ、よく催し物のゲストとしてあちらこちらに招かれていたようだ。


 当時、渚沙にとっては、日本の代表的な優秀な翻訳家という認識しかなく、もし、彼らが自分の代わりにナータのメッセージ本を和訳してくれたらどんなにいいだろうと、単純に叶わぬ夢のように考えていた。

  

 ある日、ナータと話をしていた渚沙は、ふいに思い出して彼らの話をした。といっても、「日本にとても著名な翻訳家がいるんです」と、そう一言だけ口にしてしまっただけだ。

 ところが、意外にもナータは「連絡してみたらいいのではないか」とさらりと返してきた。その口調は、特に積極的だったり、興味を持ったりしている感じではなかった。

 あまりにも簡単に「連絡してみればいい」といわれたが、取り合ってもらえないほど多忙な著名人のはずだ。渚沙はまったく期待していなかった。

 

 翌日、試しにネットで検索したらすぐに連絡先が出てきた。驚いたことに、WとAにメールをしたら即本人たちから返事がきた。二度ほどやりとりをしただけだが、WとAはなんとナータに興味を持っていて、すぐにこちらにやって来るというではないか。渚沙は単純に喜んだ。ナータの貴重なメッセージを、多くの人々に伝えることができる機会になることを期待した。今思えば、これほど事が調子良く進むことを、十分に怪しむべきだった。

  

 間もなく、日本の著名人WとAはトラタ共和国にやって来た。とても感じのいい人たちだった。だが、少し話をしただけで、英知にはまったく無縁な人たちであることが渚沙にはすぐにわかってしまった。彼らが悟っているなんてとんでもないことで、多くの人と変わらない迷った人たちだった。それだけなら、まあ仕方がないと思えた。そう簡単に悟りなど得られるものではない。第一、訳者なのだから悟っているかどうかは関係ない。

 

 さらに、ボランティアたち、訪問者たち全員が、Wが毎日決まって見せる奇行にすぐに気づいた。

 数人の人が怪訝けげんそうに「あの日本人、精神病だよね」と渚沙に確かめてきたのだ。

「そうかな……」渚沙は複雑な気持ちで、すぐに認めることができなかった。

 しかし、ナータもまた同じように、Wが精神疾患患者であることを渚沙に伝えたのである。後に、精神医学の書でも確認できる症状であったことが判明した。

 これには相当なショックを受けた。おそらく、日本の勘違いスピリチュアルの極僅かにまともな部分を支えているエリートの知識人、稀に貴重な人物だろうと思っていたその人が精神病だったとは!

 失望した話はまだ続いた――


 WとAは、米国の奇妙なセミナーに毎年のように参加しているという。名前は聞かなかったが、男女混合で真っ裸になるという異様なセミナーの内容から、あのテロリストの自称神シンニョの組織のように思えた。あるいは、過去にシンニョから影響を受けたスピリチュアル系が妄想で考え出したセミナーの可能性も大きい。関係があるかは不明だが、後に、二人は本当に、トラタ共和国のシンニョのスピリチュアル施設に訪れる。そのことは、ブログで明かしていた。

 訳者であるWが精神的に病んでいるのは、そういう「勘違いスピリチュアル」の毒物にあれこれと手を出していたせいかもしれない。または、単に西洋のスピリチュアル系の病人たちが書いた多数の書籍を訳しているうちに、自然に洗脳されておかしくなったとも想像できた。


 だが、Wの精神的病は先天性ではないかと思った話を聞いた。長年共に過ごすAが、Wから長いこと虐待されていたこと、二人とも引きこもりで、うつと思われる不健全な状態で何年も暮らしていたことを渚沙に打ち明けたからだ。彼らを知る人は、DVなどでも最近知られる「依存、共依存」の関係にあると見ている。

 加えて、Aが折々にWに注意しなければいけないほど、ベストセラー書籍はもちろん、あらゆる諸外国の書籍をWがえらくいい加減に訳していることまで渚沙に隠すふうでもなく、平然と話したのである。いい加減に訳しているというより、病による妄想のせいでそうなってしまうのではないだろうか。そのような適当な本が、三桁になるほどの数で日本に出回っていたとは――。


 後に、Wはネット上でこの時のトラタ共和国訪問について、親切に接してもらっていたナータについて無礼に表現し、嘘も吐いていた。いや、嘘ではなく、Wの場合は妄想というべきだろう。Wは、自分の座っていた場所、後列からはまったく見えない人々の表情について描写していたのである。渚沙の位置からは毎日全員の顔が見えていたから、Wの話は明らかに真実ではなかった。

  

 この日本の著名人WとAの一件では、いつも冷静な渚沙らしくなくかなりこたえた。

 その時既に、日本の新興宗教組織全般が間違ったことをしていることも、インチキ本を出しているフォース社のようなスピリチュアル系出版社の存在も、テレビに出ている偽霊能者たちのことも知っていた。渚沙の伯母が経営するファッション・カラースクールに出入りしていた、当時まあまあ名の知れた「母親系」の占い師が、伯母の執筆したカラーの知識に関する文書を事務所から盗んで出版してしまった事件もあった。


 それでも、まだ日本の霊性面のすべてを否定していたわけではない。興味がある分野ではないが、そういった勘違いスピリチュアルやスピリチュアル詐欺師、病的な人たち以外に、幾らかは「真のスピリチュアル」が残されているだろうと無意識に信じていたのだ。WとAのような、その分野で日本でも、おそらく世界でも信頼されている知識人が関わっている限り。

 このWとAの一件は、渚沙の中で日本の「スピリチュアル」というものが噴飯物であり、「インチキ」「虚偽」「妄想」「狂気」としてみなされ、完全に否定されてしまった出来事になった。

 ナータは相変わらず淡々としていた。何食わぬ顔でナータが、この二人に接してみるように提案した理由は、渚沙にお粗末な日本の「スピリチュアル」の実態を知らせるためだったと考えられる。いかにも、ナータらしい。

  

 WとAが帰ってすぐ、渚沙はショックから立ち直れず、屋上に上がって空を仰いだ。洗濯物を干す他、気晴らしに皆が利用する場所だが、その時は渚沙以外誰もいなかった。昼間だったが、晴れていたのか、曇りだったのかは思い出せない。曇っていた気がするのは、心の中で誰にもいえないおもりをひとつ背負ってしまったように感じていたからだろう。


 日本の虚偽だらけの「スピリチュアル」は、日本という国にとって大丈夫なのか? 九十年代の、カルト団体による無差別テロで多くの犠牲者が出て、国が激痛と恐怖に襲われた。日本のスピリチュアル問題、偽宗教問題の膿は世界を戦慄させたこの大事件だけでおしまい、というわけにはいかない気がした。


 母国への想いゆえ、不快な表現しがたい重みと行き場のない憂慮、誰とも共有できないかすかな苦しみの感覚が何年も、孤独な渚沙の中でくすぶり続けるのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る