第7章 お姉ちゃんの結婚
第13話 お姉ちゃんの結婚
その日、私はガタガタという音で目が覚めた。
「あれ……? 今日って土曜日だよね……。なんでこんなにうるさいの……」
時計を見ると、まだ普段の休みの日なら眠っているはずの時間だった。
「何の音……?」
その音は、隣の部屋から聞こえてきた。でも、隣の部屋は……。
服を着替えて廊下に出る。やっぱり音は隣のお姉ちゃんの部屋からだった。
開いているドアの隙間から覗くと、そこには今年の春から一人暮らしをし始めていた姉の
「お姉ちゃん?」
「あ、おはよう。起こしちゃった?」
「うん、うるさい」
「ごめんねー」
「冗談だよ。もうちょっとしたら起きる時間だったから……。でも珍しいね、お姉ちゃんが家に帰ってくるの」
会社の近くだと通勤に便利だから、という理由で家を出たっきり連休でもほとんど帰って来ないのに珍しい。何かあったのかな?
……不思議に思っていると、お姉ちゃんがやけにおしゃれをしているのに気がついた。
「ってか、どうしたの? そんなよそ行きの格好しちゃって」
「変かな?」
「ううん、なんか清楚に見える」
「普段は清楚じゃないとでも言いたげね」
「――で、どうしたの?」
お姉ちゃんの言葉を無視して、もう一度尋ねると、何故か恥ずかしそうに口ごもった。
その態度に、普段とは違う何かを感じて……思わずお姉ちゃんのおでこに触れた。
「え、何? 熱でもあるの?」
「違うわよ。……あのね、あんたには言ってなかったんだけど」
「なに?」
「今日、挨拶に来るの」
「誰が?」
「彼氏が」
「……お姉ちゃん、彼氏なんていたんだ?」
そんな話、聞いたこともなかった。モテるはずなのにずっと一人だったお姉ちゃんに、ついに彼氏が……!
私のことじゃないのに、なんとなく嬉しくなる
けど……わざわざ家まで挨拶に来るってことは、最近付き合いだし丈じゃないだろうし、もしかして……。
「だから、一人暮らし始めたの? うちだと彼氏呼べないから?」
「うるさいわね」
どうやらあたりだったようで、恥ずかしそうにお姉ちゃんはそっぽを向いた。
「ごめんごめん。で?」
「でっ、て何よ」
「その彼氏さんが何の挨拶に来るの?」
「……結婚の挨拶に決まってるでしょ」
「っ……ええええ!?」
思わず叫び声をあげた瞬間……家の中に、チャイムの音が鳴り響いた。
「…………」
下から、声が聞こえる。
「あ、来たみたい」
聞こえてきた声に、お姉ちゃんはそう言うけれど……。
「え……?」
そんなわけない。
だって、この声って……。
階段から下を覗き込むとそこには――たもっちゃんの、姿があった。
「たもっちゃん……?」
「そう、私――保と結婚するの」
お姉ちゃんの言葉が、頭の中で響く。
誰と、誰が、結婚……?
もう一度、下を見る。
お母さんとたもっちゃんが何かを話している。
たもっちゃん、スーツなんか着てる。いつものワイシャツにパンツ姿もいいけど、ああいう姿もカッコいいな……。
現実逃避をするかのようにそんなことを考えていると……お姉ちゃんが私の名前を呼んだ。
「美優……?」
「え……?」
「だから、聞いてる? このあと保と一緒に、お父さんとお母さんに挨拶するからあんたも来てね」
「なんで……?」
「家族なんだから当たり前でしょ」
先に行ってるからね、そう言うとお姉ちゃんは階段を下りていく。
お姉ちゃんの姿に気付いたたもっちゃんが、照れくさそうに笑うのが見える。
「嘘、だよね……」
嘘だと信じたいのに、目の前で繰り広げられている光景が、嫌でもそれが真実であることを突きつけてくる。
お姉ちゃんが、たもっちゃんと、結婚……。
「美優―。いい加減降りてきなさいー」
お母さんの声がする。
感情がぐちゃぐちゃでどうしていいかわからない。
けれど、呼び声を無視するわけにはいかず……私はしぶしぶ下へと降りて行った。
「なによ、起きてるんじゃない。ほら、挨拶しなさい。保君が来てるのよ」
「……おはよう」
「おはようございます、先生」
精一杯の抵抗で、普段は呼ばない先生なんて呼んでみるけれど……そんな私の反抗心に気付く人は誰もいない。
みんな非日常の出来事に浮足立っている。
「でも、まさか保君が真尋とねー。ビックリよ」
「ご挨拶が遅くなってすみません」
「いいのよー。そんなの気にするような年でもないしね」
「どういう意味よ」
和やかな空気の中、会話が繰り広げられていく。
ただ一人、私だけを除いて――。
「美優? どうかしたのか?」
「え?」
「元気ないぞ?」
そんな私の態度に気付いたのか、たもっちゃんが心配そうに尋ねてくれる。
でも……。
「大丈夫だよ」
強がることしか、私には出来ない。
「たもっちゃん、お姉ちゃんと結婚するんだね」
「おう。……知らなかったんだな」
「知らなかったよ」
でも、だから――。
「だから、この間好きな人について聞かれたときに私の方見たの?」
「あー……気付いてたのか。そう、美優が知ってると思ってたから、内緒にしてくれって意味で……。でも、知らなかったなら意味わかんなかったよな」
ごめんな、なんてたもっちゃんは笑う。
でも、私は上手く笑い返すことは出来なかった。そのかわり……。
「結婚、おめでとう」
その一言を、自然な様子を装って伝えるので精いっぱいだった。
――そこから先のことは覚えていない。
ただ、気が付くと、公園のベンチに座っていた。
「大丈夫?」
「なんで……」
目の前には……何故か貴臣君の姿があった。
「どうして、貴臣君が……?」
「美優が、呼んだんでしょ」
「私……?」
手の中のスマホを見ると、確かに貴臣君にメッセージを送っていた。
「ごめん、なんで連絡しちゃったのかな……覚えてないや……」
どうしちゃったんだろう。
無意識のうちに、それも貴臣君に連絡してただなんて……。
「今から来てなんて言われたもんだからドキドキしちゃった」
「ホントにごめんね……」
おどけていう貴臣君に、私はもう一度謝ると――貴臣君は困ったような顔をして、それで? と言葉を続けた。
「いったい何があったの?」
「あ……」
「ゆっくりでいいから、話せるようなら話してみて」
貴臣君は隣に座る。その頬に、汗が流れ落ちるのを見て――必死に走って来てくれたんだと分かった。
「ごめんね……」
「え……?」
「急に呼び出しちゃって……。走って来てくれたんだね……」
「あー……いや、ちょうど走りたい気分だったから」
「ふふ……」
そんなわけあるはずないのに……私が気にしないようにと言ってくれているのが分かる。
そんな貴臣君の優しさが痛いほど伝わってきて……私は小さく息を吐いた。
「あの、ね……。その……」
けれど、いざ話そうとすると……どうやって言えばいいか分からず、言葉を続けることができない。
だって、まさかたもっちゃんが――。
「もしかして、藤原先生絡み?」
「っ……」
「正解、か」
呆れただろうか……。たもっちゃんのことで一喜一憂してしまう私のことを――。
けれど、貴臣君は優しく微笑んだ。
「まあ、しょうがないよね」
「え?」
「好きな人のことで、テンションが上がったり落ち込んだりする気持ちはよくわかるからさ」
「貴臣君……」
貴臣君は優しく私を見つめて、そして――。
「なんてね」
そう言って笑った。
「まあ、俺のことは気にしないで。俺がしたくてここにいるんだからさ。だから、俺で良ければ力になるよ」
「ありがとう」
覚悟を決めると、私は目を閉じて、そして――。
「……たもっちゃんね、結婚するんだって」
「……そっか」
私の言葉を聞いても、特に驚いた様子のない貴臣君に、思わず私は尋ねた。
「もしかして、知ってたの?」
「なんとなく、そうかなって思ってた」
「どうして……」
「……この間さ、宝石店から女の人と出てくるのを見たんだ」
「それで……」
だからあの時、私が両思いかもしれないと浮かれていたあの時、貴臣君はあんな表情をしてたんだ……。
「笑っちゃうよね……一人で勘違いしてさ」
「そんなことないけど……。でも、どうしてわかったの? 先生が結婚するって」
「…………」
「美優?」
答えない私を、貴臣君は心配そうに見つめてくれる。
私は覚悟を決めると、口を開いた。
「……お姉ちゃんなの」
「え?」
「結婚相手、私のお姉ちゃんなの」
私の言葉に、貴臣君が息を呑むのがわかった。
「それ、は……」
「ビックリだよね」
どうして気付かなかったんだろう。
たもっちゃんの言った内容に当てはまるのは、何も私だけじゃない。私なんかよりも、ずっとずっとたもっちゃんの隣にいた人がいたのに――。
「うん……。でも、気が付かなかったな……。あれが美優のお姉さんだっただなんて……」
「似てないでしょ?」
「そんなこと……」
「いいの。綺麗で、頭も性格もよくって……でも涙もろいところもあって……私とは全然似てなくて……」
たもっちゃんと同い年で、隣に並んでも変じゃなくて、お似合いで……。
それで……それで……。
「朝、ね……たもっちゃんが家に来たの」
「え?」
「結婚の挨拶ってやつ。スーツ着てさ、ピシッとして……カッコよかったなー」
「美優……」
思い出すだけでドキドキする。
あんな場面じゃなければ、もっとちゃんと見ることができたのに、動揺していたせいか、あまり思い出すことができない……。
「でも、私ビックリしちゃって。それで……」
「それで、家を飛び出してきたの?」
「まさか! そんなことするわけないよ、心配かけるしさ。……ちゃんと二人を祝福して、それで……宿題のノートが切れたからって……コンビニに行ってくるって言って……」
「そっか……。よく、頑張ったね」
そう言うと……貴臣君は私の頭を優しく撫でた。
その手が優しくて……温かくて……気が付くと、涙が溢れていた。
「ホントに、ホントに好きだったの……」
「うん」
「好きだって、いつか伝えたかった! 絶対うまくいくなんて、そんなこと思ってなかったけど、でもそれでもいつか好きだって伝えて、たもっちゃんの中で幼馴染の妹としてじゃなく、一人の女の子として見てもらえたらって……ずっとそう思って……」
「うん、うん……」
頭を撫でていた手を止めると、貴臣君は私をそっと抱き寄せた。
「っ……」
貴臣君の体温が、伝わってくる。
そのぬくもりが心地よくて……私は、溢れる涙を止めることができないまま泣き続けた。
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