3rd NUMBER『今度こそ守りたいから』
身体で感じる変化の次には目に見える変化が起こり始めた。観客役の隊員たちの表情ははっきり見えないけど、皆が腰を浮き上がらせて周囲を見渡している。
霜の降りた壁や床が銀色の煌めきを見せる。何処からともなく吹雪が巻き起こり、僕の目の前に居るはずの
やがて吹雪は座席中央あたりで螺旋を
――――!
思わず、息を飲む。
白いローブに身を包んだその者は、遠目からでもなんとなく自分と同じくらいの背丈だとわかる。それだけじゃない、体格も。フードの隙間から覗く茶の髪は僕よりずっと短いけれど癖毛具合がよく似ている……というより、懐かしい。
「雪之丞……」
震える手を思わず伸ばそうとした。そのとき、館内全体に振動を与えるような不思議な響きがあの名を紡ぎ出す。
『ナツメ』
そう、やはりそうだったんだと確信した。
『ナツメ……罪人に囚われし僕の姫。やっと逢えたね。いま解放してあげるからね』
「イヴェール君! その
舞台裏からクー・シーさんの叫ぶ声がした。だけど僕は先程の激しい吹雪に目が眩んでとっくに
「後ろ!!」
教えられたときにはもう遅かった。紐状になった雪の群れが僕の身体をきつく縛り付ける。思わず呻きを漏らしたのも束の間、今度は雪之丞がこちらへ一直線に飛んでくる。ローブをはためかせすうっと宙を滑るその姿はまるで幽霊のようで僕の唇は
「そうはさせない!」
クー・シーさんが魔力の塊を構えた。しかし激しい吹雪が再び起こり、彼の行く手を阻んでしまう。
風をきって、憎悪に満ちた顔が間近に迫ってきた。先程の
やっと向かい合った僕同士。白い二つの影。過去と
「君が……SNOW。そうなんだね?」
問いかけるもそれに対する返事は無く、青白い顔はただただ冷たい。そのまま細い指を僕の胸に宛てがって。
『ナツメを返してもらう』
ぎゅっと指先に力を込められた瞬間。
「ああああぁぁッッ!!」
「せつ……ッ、イヴェールくん!!」
身体の奥に幾つものヒビが入って砕かれていくような衝撃に僕はたまらず悲鳴を上げた。身体は嫌でも反り返っていく。必死にSNOWの腕を掴むも彼の指先は僕の胸にしっかり固定されて離れない。血管も内臓も急激に冷やされ脈動は今にも止まってしまいそう。
『ずっとこうしたかった。ナツメがその幽体の中に降りてくるのを待っていた。彼女は貴様の為に自分の命を犠牲にした。そして今もなお貴様に縛り付けられてその魂を捧げている。僕が目を覚まさせてあげるんだ。こんな男と魂の伴侶でいたって幸せにはなれない……!』
低くて冷たくて、切ないSNOWの声。氷のような表情を決め込んでいたって切実に伝わってくる。虚ろになっていく意識の中で僕は理解していく。
今、僕と一つになっているナツメを引っ張り出そうとしているんだ。普段の彼女は魂のみの存在。実体は無く空気に溶け込んでるとも言えるから、この機会を狙わなくては彼女に触れることが出来なかったのだろう。
そしてナツメも今、同じ痛みに耐えているってわかる。このまま意識を手放してなるものか。
「すの……う……だめ……ナツ、メは、連れて、行かせない……!」
『身の程を知れ、罪人が!!』
「だめ……っ、おね、がい、きい、て……」
もう、無理なのか。届かないのか。
無念に唇を噛み締めたそのとき、拘束がふっと解けた。SNOWの指が僕から離れ、がくりとバランスを崩すのが見えた。
「アリエス隊長!」
「ああ!!」
舞台のすぐ下に鉄パイプを持ったミモザさんが居る。どうやらSNOWの足元を掬ったらしい。彼女はそのまま舞台上に登って今度は僕のすぐ後ろでパイプを大きく振るった。ギャア! と鳴く声がした。
「あっ、そんな……」
床に打ち付けられた白い
僕の身体のスレスレのところで火炎が巻き起こった。クー・シーさんがSNOWに向けて魔力を放ったのだ。
「イヴェールさん、この鳥はSNOWが作った動物型の兵器です。本物の鳥じゃありません! 絶対に触らないで!!」
でも……と、本当は言いたかった。ピク、ピク、とまだ微弱に動いている鳥から断腸の思いで目を逸らした。
やがて炎と吹雪の一騎打ちとなった。相反する能力、それも互角なのか見事に相殺している。ミモザさんはしゃがんだまま僕を庇い、舞台裏に逃げるタイミングを伺っているようだ。だけど攻撃を受けて砕けた床の一部が火の粉を纏った木片となって降り注いでくるからなかなか上手くいかない。
「イヴェールさん、立って。今です」
耳元で囁かれ、僕は一度頷いた。実際いまの僕に出来ることなんて無い。クー・シーさんの戦いの邪魔になるくらいなら一回退くのが正解だろう。
僕はミモザさんと共に立ち上がった。壁面に沿うようにしてそっと、でも素早く、舞台裏へと走り出す。しかし。
『その罪人を何処に連れて行く気?』
背後から届いた地響きの如く低い声に足がすくんだ。一瞬の
「雪那くん! ミモザ!」
振り返るとクー・シーさんが僕らに片手を伸ばしている。緊迫した表情、僕の本名を伏せることさえ忘れて。
だけどそれどころじゃなかった。青白く光る塊が僕らへ真っ直ぐ迫っていた。間もなくして僕は強く押し倒されて背中を打った。目の前の状況がわかる頃には遅く。
「ひ……っ! あぁぁぁッ!」
「ミモザさん!!」
パキパキと氷の育つ音が鳴り響く。僕の上に覆い被さったミモザさんの背中から幾つもの氷の柱が生えている。
刺さっているのかと思って慌ててそこへ触れた。その僕の手も凍っていく。電流のような強烈な痺れまであって正確な状況などとても掴めない。焦燥ばかりが増していく。ただひたすら叫んだ。
「やめてSNOW! この人は何も悪くない! クー・シーさんも、会場のみんなも、君が恨むべき相手ではない!! お願い、逃げないから、この魔力を解いて……!」
炎と吹雪はまだ吹き乱れている。クー・シーさんとの戦いを続けながらもSNOWは冷酷な声をこちらへ響かせる。
『そうだよ。みんな貴様のせいで犠牲になっていくんだ。貴様はそういう存在だと思い知らせてあげているんだ。その人の身体は今に全て凍り付いて心臓も止まるだろうね』
「そんな……お願い、みんなを巻き込まないで! 僕だけでいいじゃないかッ!!」
『だったら自分の力でなんとかしなよ。誰一人助けられない無力な罪人にナツメを任せられる訳がないでしょう』
舞台の下から、裏から、隊員たちがどんどん加勢しようとしてくれているけど、どんどん足元を氷漬けにされて動きを封じられているようだ。視界の端ではパイプ椅子が幾つも宙で踊っているのが見える。
目の前のミモザさんは……もう息遣いが弱くて、エメラルドの瞳は虚ろ、顔色も真っ青だ。ぐっと僕は唇を噛み締める。思わず呻きが零れた。
――死なせない。
それは僕の願い。だけど何か違うとすぐに気付いた。僕の心の声と重なるように、確かに“声”として届いたんだと。
気が付くと僕の胸元の生地がぎゅっと掴まれていた。途切れ途切れな吐息を零すミモザさんが潤んだ目で僕を見つめる。
「お前は、絶対に、死なせない……」
「ミモザさん?」
「
いつもと明らかに違う口調。弱っていたって凛とした表情。瞳の奥が漆黒の深みで満ちていく。
そして震える唇で微笑みの形を作る。大きく包み込む大海のような波長。かつての僕に掻き乱された痛々しい姿などではなく、本来の
「
うんと言わなくたって、もうわかる。間違いないと。
「お前は……いや、お前たちは、例え生まれ変わったって、実体があろうが、なかろうが、俺の大切な……弟たちだ……」
「命さん、なんで……? 僕は貴方に酷いことを……」
「馬鹿。俺は……お前を恨んだことなんて、ねぇよ」
苦笑を見せた後は、頼り甲斐のある兄貴の表情から聡明な淑女の表情へと変わっていく。続けて僕に言う。
「そして私は、現世の意思で、イヴェールさんに……憧れました。貴方を、失いたく、ありません」
触れるのも恐れ多いと思っていたその人が、僕の頰を優しく撫でてくれる。涙が幾つか降り注いで、僕のものと混じり合う感触がした。
前世の意思も現世の意思もそれぞれ独立していて、だけど大切に思ってくれているのは同じだった。こんな僕を。
「僕だって……」
凍りかけの手でぎゅっと抱き締めた。貼り付いていた皮膚が少し剥がれたみたい。少し痛みを感じたけど……
「もう傷付けたくないし失いたくない。あなたを……!!」
幽体の力は魔族、妖精族だけのものじゃない。人間にだって力が備わっている。
――だったら自分の力でなんとかしなよ――
(僕にだって出来るはずだ!!)
身体の芯に熱が灯って僕は叫びを上げた。自分が変化する瞬間は痛みが伴うのだと知る。
だけど今やこの身体は僕一人のものじゃない。ナツメが僕を選んでくれること、大切に思ってくれる人がいること、こんな優しさに未だ包まれているという実感が僕に力を与えてくれた。
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嗚呼 凍つく籠の中
傷付け合った魂が
寄り添い互いを癒していく
やっと辿り着けたこの時を
嗚呼 閉ざされてなお
温め合える喜びよ
もう繰り返しはしないと誓う
やっと訪れた雪解けに
必ずここから抜け出そう
互いの幸せを願うから
自由であることを願うから
自責の鎖を断ち切って
さあ 今こそ解き放て
高く 高く
決して諦めはしない
広く 広く
籠の外まで響いてゆけ
嗚呼 凍て付く籠の主よ
情があるなら聴いておくれ
許し合った僕らの歌に
いっときだけでも耳を傾けておくれ
☆✴︎☆✴︎☆
以前からその存在は明らかになっておりましたが、今回初めて姿を現したキャラクター。“彼”の紹介の場も用意させて頂きました。
✴︎
三度目の雪之丞のデータを元にマグオートの手によって造られた存在。稀少生物研究所内でもその姿を見た者は少ないことから『人工知能SNOW』と呼ばれてきたが、形としては機械の身体に人工知能が搭載されている状態、つまりロボットである。元は魔力を原動力としていたが、雪那への恨みが膨らんでいくに連れて魔力も暴走と言える域へと増大した。雪那を脅し続けた脅迫状の犯人と見られている。
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