9th NUMBER『全部守りたかった』
――ありがとう、雪那くん。
突如低い声色を受けて
ありがとうって何故。何故このタイミングでお礼など口にしたのだろう、この人は。
だけどなんだかわかってきたような気がした。空になったレモネードの瓶をぎゅうと音が鳴りそうな程きつく握り締めているクー・シーさん。瞬きを忘れ脂汗らしきものまで滲ませたその顔。
「クー・シーさ……」
すくっと立ち上がる彼の動作で僕の予感はいよいよ確信へと変わる。見上げる僕の額にもじんわりとしたものが滲んでくる。
何かに辿り着いたんだ。
「急で申し訳ないんだけどちょっと席を外させてもらうね。もしかしたら今日はもう戻れないかも知れない。護衛の者なら素性を隠した状態で神殿内に潜入させている。何かあったらワダツミ様に言って」
「あの」
「こちらアリエス。星幽神殿での聞き込みを一旦終了する。ああ、ミモザに至急折り返しの連絡をするよう伝えてくれ」
声をかけようとするもクー・シーさんは凄い早口で無線の相手に指示を出している。もはや入り込めない勢いだ。
「それじゃ雪那くん。出来ればまた夜に、それが駄目なら明日必ず来るから」
「あのっ!」
足早に進みドアへと手をかけたクー・シーさんへ少し強めに呼びかけた。これは極秘捜査だ。はっきりとは答えてもらえないかもと予想しつつも問いかけてみる。
「何かわかったんですか?」
「それは……」
「……居たんですか? 脅迫状の犯人が。今の僕の話の中に」
クー・シーさんの手をがドアノブから離れた。だけど振り返るには至らない角度、視線はドアの方を向いたままだ。
唇を一瞬、固く結ぶのが見えた。それから小さな声で僕に言う。
「クリスマス公演を装った作戦は立てているけど、実行する前に犯人が確保できればそれに越したことはない。先日のボヤ騒ぎのような事態も避けられるし、君を舞台に立たせずに済む。もちろん作戦通りに進めることになった場合でも必ず守る。そこは僕たちを信じてほしい」
はい、と返す僕の声も弱々しいものになる。信じていないとか、我が身に関する心配とは違う。不安なのはそこじゃない。
だって今の僕の話の中には、稀少生物研究所の人しか出てこなかった。
「だけど雪那くん。一つだけお願いがあるんだ」
僕は自然とかぶりを振ってしまう。目を大きく見開いたまま。
確かに誰が僕を恨んでいたっておかしくないと思っていたよ。無関係である教会まで火をつけられた。止めなきゃいけないのはわかってる。
でもいざとなったら認めるのが怖くてたまらない。
当時の雪之丞は周囲に感謝する程の余裕も無かったけど今なら思い出せるんだ。研究所の皆と共に過ごしたときの温かさ。根は優しい人ばかりだった。本来なら罪など犯さずに済んだはずの人ばかり。
そんな誰かが罰せられるなんて……!
呼吸まで浅くなってきた僕は息を切らしてクー・シーさんに縋り付く。だけど今度は彼がかぶりを振る番だった。
「駄目だよ。もし君が信頼を置いていた人物が容疑に問われることになっても、庇うなんてことはしないでほしい。罪を見逃すことは誰の救いにもならない」
「だれ……なんですか……?」
「それを確実にする為に今から向かうんだ。まだ言えない。不安だとは思うけど、今の君が最も大切にしているお客様の為でもあるんだよ。わかるよね?」
クー・シーさんが今まで見たことがないほど鋭い目つきをしている。ここへ来てやっと親衛隊長らしい貫禄を感じて僕は息を飲んだ。そうだ、彼の本来の仕事はこっちなんだ。僕の心のケアばかりじゃない。
実感を覚えたら、僕の両手は自然と力を失った。解放されたクー・シーさんは迷わずドアを開け、部屋を後にした。
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星幽神殿を出て数十分後、クー・シーは王室にて既に出発の準備を済ませているミモザと合流した。休む間もなく再び車を発進させる。
目的地が近付いてきた頃、二人はほんの少しだけ会話を交わした。
「ねぇ、ミモザ。僕は君の前世を怪しんでいた時期もあったんだ。すまなかったね」
「気にしないで下さい、アリエス親衛隊長。前世の私が早まった行動を取ったのは事実。そう思えても仕方がないと思います」
「まさか
そうして辿り着いたのは稀少生物研究所。
クー・シーとミモザは出来るだけ穏やかな微笑みで研究員たちとの挨拶を済ませ、廊下を進んでいった。
王室が昔から信頼を置く機関であり、生態系研究の結果もしばしば王室へと報告される。観賞用の植物の提供も行っている。ゆえに親衛隊員と顔見知りな者も少なくない。表向きは定期的な巡回とか、所長との対談目的くらいにしか見えなかっただろう。
しかし目的の場所に辿り着くと空気が張り詰める。
話を聞くべきその相手は、早速意味を察したのか緊張に顔を強張らせた。
「アストラル王室親衛隊長のクー・シー・D・アリエスです。急な連絡にも関わらずお時間を作って頂きありがとうございます」
「隊員のミモザ・I・レーヴェンガルドです」
まずは丁重に挨拶を述べる。どうぞと促されクー・シーたちは揃って椅子に腰かけた。
テーブルにはお茶が用意されていたけれど、悠長にしている暇など無かった。本題はすぐさま切り出すこととなった。
「確かにこの研究所内にあったはずなのに、この頃では誰も見かけていないそうですね。管理していたのはあなただと聞いています。もし盗まれたのなら、高度な技術が用いられているものだけに相当な騒ぎになるはず。何故隠しているのですか?」
「…………っ」
「教えて下さい。どういうつもりで“あれ”を造ったのですか」
「“あれ”なんて言わないで下さい! 心を持っているんです。私にとっては我が子も同然なんです!」
悲鳴にも似た声を荒立てるその人をクー・シーはじっと見つめた。その哀しげな表情から意図を探るべく。
確かに保身の為だけではないように見える。我が子を守ろうと威嚇する草食動物のようでさえあるが……
「僕も二枚の写真を見ました。ナツメさんの生前に撮られたものと死後に撮られたもの、あまりにそっくりで驚きました。脅迫状の筆跡と一致する理由にも納得です。あなたと雪之丞くんは利用し合うだけの仲ではなかったんですか? なんの為に……いや、誰の為にあなたはここまでしたんですか」
しばらくの沈黙があった。
クー・シーと向かい合うその人もまたお茶を一滴も口にせず、代わりに乾いた唇を噛み締める。膝の上で握った拳が震え出した頃に答えが返った。
「……ナツメさんの為です」
打ち明けたその人の眼鏡が曇り、つうっと涙が伝い落ちる。悲しい言葉が後に続く。
「だけど彼女は喜んでくれなかった」
――ああ、なんということだ――
「むしろ悲しませてしまいました。だから私の側に置き、ひっそりと育てていたんです」
なんということだ。クー・シーは内心で呟く。
今まで数々の罪人に尋問をしてきた。この人の言うことに嘘は感じられない。嘘だと言うのなら相当の役者だ。
「本当に悪意ではなかったんですね」
「もちろんです」
とは言え、事態は大きくなってしまっている。例えきっかけは善意だったとしても、この人は罰を受ける他ないだろう。
「では行き先に心当たりは……」
クー・シーが次なる問いかけを口にしたとき、その人が深々と頭を下げた。テーブルに額を打ち付けそうな勢いで、全身全霊で懇願する。
「お願いします、親衛隊員さん! あの子を……
正しいことしているはずなのに良心が痛む。これは一体どういうことかとクー・シーは皮肉を感じた。考えあぐねて視線を逸らすと、遠いデスク上にも見覚えのある写真が置いてあった。
「僕だって出来るなら全て守りたいですよ。でも……」
切なさに占められた心は、気休めの言葉さえ紡ぎ出してはくれない。
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一体どんな罪だったのだろう
今に誰かが裁かれる
責められるべきは僕ではないのか
神様はまだ教えてくれない
いいや
この世に生を受けし者だけで
僕たちの力だけで
見つけ出さねばならない答えなんだろう
この世には
皆が皆
何かを背負って
罪や責任の重さを感じてる
道は険しく
長い 長い
後悔は深く
痛い 痛い
今、苦痛にむせび泣き悔やんでいるのは誰なのだろう
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