6th NUMBER『希望を見たかった』
シェルターに逃げ込んだ後は片隅の壁に彼女と共にもたれかかった。時折わずかな振動を感じるものの、子どもたちが無邪気に駆け回る足音に混じって緊迫感はさほど感じられない。外部からの音は全くしない。かなりしっかりした造りなんだろう。
(全然怖がらない子もいるんだなぁ。というか、何故生物学の研究室にこんな沢山の子どもが居るんだろう。今まで見たことなかった)
すっかり僕の胸元と一体化した小さな女の子の背中を撫でながら辺りをぼんやり眺めていた。
一方でこの世界の皆のことを凄いと思った。子どもたちが沢山いる理由はひとまず置いといて。
春日雪之丞は明治生まれだけど、その生涯は短かったから戦争を経験していない。昭和の終わりの方で再び日本に生まれた磐座冬樹も然り。こんなのは初めてだ。
何故こんな危険な世界に転生しなきゃならない仕組みなんだろう。元の世界にだって戦争のある国はあるし、正確には何処も安全とは言えないけど……僕がもし神様ならもっと平等で伸び伸びと過ごせる世界を作るのに。
こんなのに耐えているなんて凄いよ。ナツメのようにいつしか甘えることを忘れがちな大人になっていくのもわかる。
「ナツメおねぇちゃん……」
「ん。どうした、シラン」
「僕、も……」
「ふふ。デイジーが羨ましくなったか。おいで」
ナツメの膝の上に乗ったのは気弱そうな男の子。僕が抱っこしてるデイジーちゃんと同じくらいの年に見える。張りのある胸に頰を寄せて安らいでいる。ちょっと羨ましい……なんて、こんなときに何を考えてるんだろう、僕は。
一方、僕の白衣の胸元は生温かい湿気を帯びていた。デイジーちゃんが眠ったらしい。涙か
ねぇ、本当に叶えてはいけない未来なのかな。
僕らに課せられた運命がどんなに残酷でも、どんなに容赦のない世界でも、命は生まれ育っていくんだ。
君といつかこんな家庭を築いてはいけないのかな。このぬくもりを手放してまで磐座冬樹の身体に戻る必要なんて……やっぱり僕にはわからない。
そして再び我に返る頃。
「え……あれ?」
僕の周りには四人の子どもたちが集まっていた。白衣の裾を引っ張ったり、柔らかな癖毛を触ったり、勝手に僕の膝下を枕にしている子までいる。首から下げた名札を見つめ首を傾げている子、多分読み方がわからないんだ。
「かすが、ゆきのじょう」
「ゆき?」
「そう。ユキって呼ばれてるよ」
「君は子どもに好かれるのだな、ユキ。きっと将来は……」
頰を緩めて見つめていたナツメの瞳にまた切なさが宿る。
将来は……何。続きは言ってくれないの?
戦火の気配は感じたものの、街が焼かれる様子とか負傷者と目にしてないから、もちろんそんな被害は起きないに越したことはないのだけど、僕はまだ実感に乏しく、なんだか腑抜けたことばかり考えてしまっていた。
警報が解除されてシェルターから出るときが来た。
生物保護班はシェルターの開錠と施錠が担当。もう覚えたよ。僕は厚かましいかもとは思いつつも施錠の為に残っている人に尋ねた。もし良かったら操作を教えてくれないかと。
相手は驚いていたけれど、胸に抱えたデイジーちゃんと僕の白衣の裾を両側から掴む二人の子どもを見るなり、微笑みを浮かべて頷いた。デイジーちゃんはそっとナツメに預けた。
シェルターの装置はよく見なければわからない位置にあるくらいで操作自体はそれほど複雑に感じられなかった。まぁ、いざというときは誰でも開けられるくらいでないと困るよね。だけど万が一、侵入者に悪用されるなんて事態を防ぐ為に目立たなくさせているんだろう。
一通り教わった後はナツメと一緒に研究室に戻ろうとしていた。
「あ、いたいた。雪之丞くん」
呼び止められのはちょうど歩き出したときだ。
「ドクター」
「突然のことでびっくりしてしまったよね。そんなときに悪いんだけどちょっと話をしてもいいかい?」
「は、はい……」
「大丈夫、そんなに固くなるような内容じゃないよ」
僕の体力とナツメの怪我が回復するまでずっと看病してくれていたドクター。ナツメも信頼を置いている人物なのか特に警戒する訳でもなく二人きりにさせてくれた。
ドクターの先導で、歩いて数分程の距離にある応接間らしき部屋へと入った。
「さっき、シェルターの中に居るときの君の様子を見ていたよ。ううん、今日だけじゃない。研究班での仕事っぷりもナツメさんからよく聞いている」
向かい合わせで椅子に腰掛けるなり、ドクターはそう切り出した。眼鏡の奥が星を一粒ずつ抱えた三日月みたいになっている。
「君は人の心を開く
「そんな……ドクター、僕、本当は……」
ここに留まった真の目的を明かす訳にはいかない。だけど誰か少しでもこの胸の内を知っていてもらいたかったのかも知れない。何せ最愛の彼女にすら打ち明けられないのだから。
「僕は……僕の中身は、濁っています。時々凄く我儘なんです。自分でも抑えが効かないくらい」
「濁っている? 誰でも多少はあることだと思うけど。そうだね、
「では何故僕を褒めるようなこと言うんです? 僕がそう簡単に自分を肯定できないとわかっているのに」
「でも雪之丞くん、知ってる? 子どもたちは完璧な人間にはなかなか心を開かないんだよ。そして大人の中にも童心はある。整ってない方が親近感を覚えやすい」
「あの……ドクター、これはどういう話なんですか?」
なかなか本題を出さないドクターに、苛立ちとまではいかないけどもどかしさを感じた。得体の知れない恐れも胸の奥からじわじわと広がってくる。
ごめんと言ってドクターは苦笑した。仕切り直しとばかりに机の上で指を組み、少しだけ身を乗り出してゆっくり言った。
「私は稀少生物研究所の専属医師。言うまでもなく医学が専門だ。転生や幽体離脱については専門外なのだけど、君にはここに居てほしいと思っている。出来ればずっとナツメさんの傍に」
「え……」
まさか……
まさか、僕の真の目的を知り、それを否定しない人がいたなんて。
驚きを隠せない僕にドクターは哀愁の目をして頷く。
「無責任なことを言ってるかも知れない。だってもし元の肉体に戻らないと君が消えてしまうっていうのなら従うしかない。気付いてるかな? 実際君の身体は我々より若干半透明になっているんだよ」
「えっ!?」
僕は驚いて自分の手を見つめる。ドクターの手と比較してみて……確かに少し、と納得する。ナツメと周囲の目ばかり気にして、自分の姿なんてまともに見ようとしていなかった。時々霞んで見えることならあった、気がするけど、疲れ目くらいにしか思っていなかった。
ナツメがなんとか僕を肉体に還さなければと焦る要因の一つだったのかも知れない。僕自身が気付いてないなんて思いもしなかったのか。
「でもちゃんと形としてここにある。君はここに居る!」
突然ドクターに手を握られて僕は目を見張った。心底驚いた。
だって、ドクターの眼差しは今、藁にも縋るような懇願を感じさせる。
「ここだけの話だけどね、ナツメさんにはもう家族が母親しかいない。そのお母さんも現在は星幽記念病院に入院していて、もう先が長くないんだ」
「そう、なんですか……?」
「君だけなんだ、彼女の家族になれるのは。彼女が決して強くないことも君は見抜いた。出来るなら傍にいてあげてほしい。私は君が皆から確実な信頼を得られるよう協力したいと思う」
見抜いた?
見抜いたって言うけれど……
僕の胸がザワ、と音を立てる。
――よくわかるよ。確かに彼女は脆い人だね――
救助された晩も言っていた。それは多分、
見つめ返す僕の眼差しはきっと鋭く形を変えたと思う。思いがけず低く出た自らの声色で察しがついた。
「ドクター。貴方はもしかして、ナツメのこと」
「昔の話さ。付き合ったこともないよ。そして今は違う。ただ支えになりたいと思う」
うつむいたドクターの顔に自嘲の色が浮かぶ。なんだか親近感を覚えるような色。
「その為に君を利用しようとしている。私も
だけど今の僕には、下手な気休めよりかよほど信用できる言葉だと思った。
その日からドクターは僕をユキくんと呼ぶようになった。彼の名も知った。マグオートさんと言うそうだ。一人だけ名前で呼んでいても浮くから、結局皆と同じ呼び方の“ドクター”なんだけど。
変わったのは表には見えない動き。彼と僕の作戦が始まった。
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幼子を抱く君は
まるで聖母のようだった
それでいて勇敢な
ジャンヌダルクのようでもあった
戦火の中
ただ一人で
焼かれてしまうことのないように
僕が唯一無二となる
強き君の止まり木となる
独りでなど戦わせない
幼子を抱く君の横で
密かに夢見る
“いつの日か”
もっともっと
時代を遡って
いっそアダムとイヴにならないか
共に唇を寄せ
味わう果実が
禁断と称されるものだとしても
甘美となるよ
“いつの日か”
許されることは無くたって
お互いがお互いを許し合える
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