14th NUMBER『彼方の君へ、セレナーデ』


「それからの君は」


「はい、それからの僕は」



 ふう、と一度ため息をついた雪那ぼくが重い口を開く。



「二度、死にました。物質世界あちら幽体世界こちらで」


 正確に言うと三度か。小さく呟いたところでクー・シーさんが怪訝に眉をひそめたものだから、僕はすぐさま仕切り直す。


「いえ、春日雪之丞に関してはかなり複雑なので、ちゃんと順を追ってお話しします。ともかく物質世界で死んだ後すぐに幽体世界に渡ったのは、逢引転生の能力の影響だったみたいです」


「物質世界の人間にそんな影響を与えるなんて、磐座家の逢引転生は凄い能力なんだね」


 なんたってワダツミ様の子孫だから。でもこれは弟子の中でもほんの数人しか知らないことらしい。易々と言わない方がいいんだろうなと思って喉の奥へと押し戻した。



 段々、太陽が高くなっていくのがわかる。自分で狭苦しく囲ったこんな部屋でも。


 せいぜい椅子に腰掛けてもらったくらい。気の利いたもてなしも出来ない状態のままでもクー・シーさんは実に気長に付き合ってくれる。メモを取る手を一回止めたなら、僕の方へ向き直って更に問いかける。


「古傷を抉るようで申し訳ないんだけど、黙って遺骨を持ち出した……それは窃盗ということになる。君の過去の“罪”に関してはより詳しく聞いておく必要があるんだ。それにしても明け方にだなんて、よく誰にも気付かれなかったね。来客を装って、とかかな?」


「いえ、あの頃にはもう夏南汰を横浜の海へ散骨することが決まっていました。夏南汰の屋敷に保管されていると僕は知っていた。だから窓を素手で割って骨壷を」


「えっ! 素手で!? そんなことしたら血だらけじゃないか!」


「……多分、そうだったんでしょうね。でも薬のせいなのか痛みは感じなかった。よく覚えてないんです」



「ひぇぇ……」



「……引きました?」



 上目でちら、と伺うとクー・シーさんは見事に慌てふためいた。いや~とか、その~とか、汗だくになって思考した末に、胸の前で大きな手をぽんと鳴らして引きつった笑顔を浮かべた。


「なんというか、凄くホットでクレイジーだねっ!!」


 うん、クー・シーさん。なんだかかっこよさげな言葉に変換してくれてるけど、結局意味は“イカれてる”だからね。



 まぁでもそう思われても仕方ないというか、イカれてたのは事実なんだ。正直僕だってこれが自分の過去だと認めるのはかなり酷だ。そう思っていたのだけど……


「盗んだ後に死んだということは、やっぱり自分で命を絶ったのかな? 夏南汰くんの後を追って……」


「雪が降ったんです。夏なのに、雪が」


「え?」



「ねぇ、聞いて下さい。夏南汰ってばちゃんと約束を果たしてくれたんだ! 夏と冬が共に在る世界を僕に見せてくれた!」



 僕は目をいっぱいに見開きながら詰め寄った。クー・シーさんの凍り付いた表情に気付いていてもそれは止められなかった。


「夏南汰自身が雪となって」


「雪那……くん」


 僕は笑った。笑っているのに涙がとめどなく溢れた。震える両手を天へ伸ばし、あのときの感動を思い出す。



「それはもう最高に美しかったよ……! この世のものとは思えないくらいね」



 雪那ぼくが雪之丞に乗っ取られていく。




 骨壷を盗んだ雪之丞ぼくは、潮騒の鳴り響く断崖絶壁に佇んで朝日を眺めていた。胸に抱いた君と語り合う穏やかな時間だった。


「ねぇ、夏南汰。君の大好きな海だよ。水平線からだいだいに染まっていってる……綺麗だねぇ」


 壺を優しく撫でているうちに思い立った。そんな狭いところに閉じ込められている君が可哀想だと。僕が今見ている景色もこれじゃあ届かないんじゃないかと。


「今開けてあげるね。風も凄く気持ちいいよ」


 そう、心地よい穏やかな風のはずだった。しかし壺の蓋を開けた途端、そよ風が疾風に変わった。そして……



「あっ……」



 君をさらっていった。


 いいや、君を解放したんだ。



 それでこそ正解だと思えた。自由な君はやはりこうでなくてはと、自由な世界でこそ輝くのだと、実感を覚えた僕はひたすらに魅入った。



「こんなになっても美しいだなんて、君は」



 僕はついに意を決して壺の中身を全て風に託した。するとどうだろうか。真夏の空のもと、雪の妖精となった君が僕の周りをヒラヒラ、チラチラと、煌めきながら踊るんだ。



――夏と冬。共に在ったら素敵だと思わぬか――


「本当だ。素敵だねぇ」


 君の言葉を思い出して嬉しさが込み上げた。



――見てみたいと思わぬか?――


――のう、ユキ――


「うん、僕もそう思ったよ。だけど、だけどね……」


 そして嬉しさ以上の絶望が濁流の如く押し寄せた。幻想のきみの中で雫を散らす僕が、がくりと膝から崩れ落ちて叫んだ。



「僕が見たかったのはこんなのじゃないよ、夏南汰ぁ……ッ!!」



 綺麗すぎて余計に悲しくなる。だって僕は二人で見たかったんだ。二人で逢いに行きたかったんだよ。夏と冬が寄り添う幻想的な世界へ。


 僕らが祝福に満たされる世界へ。



 だけどもうわかったんだ。僕の欲しいものはこの世界には無い。君だけが先に行ってしまった。


 そして今、僕を呼んでくれている。一糸纏わぬ魂の姿で、華奢な腕をいっぱいに広げて微笑む君がはっきりと見える。崖っぷちの僕はそこへ手を伸ばした。地べたに座り込んだまま、上体だけが前のめりとなった。



 君が逝ったその自由な世界でなら、不釣り合いな僕らだってきっと一つになれる。ヒキガエルと結ばれる親指姫。泡にならない人魚姫。シンデレラ……実は少年だったりしてね。王子様はそれをわかっていながら結婚を申し込むんだ。


 男同士だからって誰の目も気にすることは無い。気にしなければ僕ももっと素直になれたんだろう。でもこれからはそんな性の隔たりを憎む必要も無い。ねぇ、今度こそ、叶えよう。



 呪縛から解き放たれたような感覚に全身が軽くなった。僕は真夏の雪の中へ全てを委ねた。



――ユキ!――



「夏南汰」



 真っ逆さまに。頭から飛び込んでいった。





 苦しみも何も感じないまま、再び目を覚ましたのは、薄ぼんやりした緑の間を蛍みたいな光の粒が降りしきる幻想的な森の中。



――その者、フィジカルの人間だな。何故こんなところに――



 黄色の目をいっぱいに見開いてこちらを覗き込む……妖精……? 芳しい花の香りがする。あぁ、夏南汰。君はやはり御伽(おとぎ)の国の住人だったんだね。



――今すぐに還りなさい。さもないと――



「……嫌だよ」



 弱ったこの身体を抱きかかえる妖精に僕は告げた。虚ろな意識の中ではっきりと保っている想いを。願いを。



「夏南汰……いるんでしょう? ここに居るはずだ。早く、あい、たい……僕の愛しい、人……」



――なんと憐れな。人の子よ――



 妖精の涙が僕の頰を濡らした。僕の髪を撫でながら、安らかにお眠り、と耳元で囁いた。可愛らしい動物たちと羽の生えた子どもたちが集まってきた。蛍の群れが僕の身体を包み込む。


 鳥たちがこしらえた草の寝床の上で僕は仰向けになった。半開きの視界が僅かに捉えた。腹の上で組んだ手の間に向日葵によく似た花がそっと挿されたところを。



 向日葵……この花言葉なら知っている。



 “私はあなただけを見つめる”……だね。



 こんな優しさに満たされながら僕は彼らに感謝の一つも伝えられないまま、実に身勝手に、ただ一つを願い続けていた。



 君に逢いたい。


 君に逢いたい。



 ただ愛していると伝えたい。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 君の居ない空虚の世で、僕は如何にして僕となることが出来よう。


 居させてくれまいか、君の傍に

 許してくれまいか、この軟弱者を


 カナタの君よ。


 この世の誰よりも愛した君と一つである為に、僕は


 君と共に、真夏の雪になる。





 これは遺書ではなく、最愛の姫に宛てたセレナーデです。家柄も性別も関係の無い幻想の世界へ辿り着いたなら、これを夏南汰に届けたいと思います。


 その為に僕はあなた方から奪う選択をしました。身勝手極まりないこの行為をもちろん許してくれとは申しません。



 お兄さん、どうぞ僕を恨んで下さい。決して許さないで下さい。黄泉の国で夏南汰を精一杯大切にします。それだけは約束します。本当にごめんなさい。


 夏呼さん、もちろん貴女も僕を憎んでいい。だけどお願いします。生きて下さい。その身体に宿った生命を誰よりも愛して下さい。


 みことさん、僕に希望を与えてくれてありがとうございます。これは決して貴方のせいではありません。僕のことなど忘れて愛する人と幸せになって下さい。


 父さん、母さん、美晴姉さん、最後まで心配かけてばかりでごめんなさい。強い男にはなれませんでした。ただ一人、この生涯を終えても守り抜きたい人を見つけました。僕は逢いに行ってきます。もう帰れないけれど、今まで大切に育ててくれてありがとうございました。このご恩は忘れません。



 そして僕は逝く前に、一つの願いをこの世へ置いていきます。



 愛し合った僕らは男同士でした。僕はこの気持ちをおおやけには出来ず、内側で燻らせるばかりでした。どんなに想っても、想っても、決して結ばれることは無いとわかっていたから歯がゆくて、いつの間にか優しささえ失ってしまいました。


 愛する者同士、同性であれ異性であれ、国籍が違えど、家柄が違えど、心置きなく寄り添える世が実現しますように。



 黄泉の世界から見ています。きっと叶うと信じています。


 さようなら。




 春日雪之丞


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