3rd NUMBER『残酷に愛さないで』
――ワダツミ様が知っていらっしゃる――
事実確認をするだけだったら何も出家までする必要はなかっただろう。前世の記憶はとてもデリケートなもの。凶悪犯罪者の生まれ変わりだってもちろん居るし、そこまでじゃなくたって過去の記憶の中には何かしら傷が存在するのが普通だ。ワダツミという人が僕の過去を知っていたところで、そう容易く教えてくれるものではないのだろうが……
人生そんなに甘くないよねと踏んでいた僕の予想は見事に的中した。ワダツミ様に会って過去の恋人のことを教えてもらいたいと言った僕に、神官を名乗る七、八歳ほどの少女がまずは私の元で働きなさいと答えた。出家までしようと決めた其方の真の目的を見失うなと諭した。
それから約二年後。十七を迎えたつい最近になって知った。実はこの少女こそがワダツミ様だったのだと。
いくら神に仕える身となったとは言え、僕だってそんなに出来た人間じゃない。何故二年ももったいぶったのか。全ては教えてもらえなかったとしても、せめてご自身がワダツミ様であることくらい教えてくれても良かったのに……と、煮え切らない思いでいた。
しかし、クリスマスまであと少しとなった今日。あの書館から戻ったばかりの僕に。
――雪那。
その人の声が届いた。この時点で僕は随分と驚いていた。ずっと
そしてもう一つ、目の前に佇む神々しい姿に目を奪われた。いつも顔の半分以上を覆っているベールを脱ぎ去った我が師匠の姿だ。“
凛とした佇まいの我が師は言う。
「時は満ちた。私はそう判断した。ここに一つの
「まさ、か」
「ナツメが其方に遺したものじゃよ」
「…………!」
今でも変わらず愛して止まない彼女の名を耳にするなり、僕は血相を変え、這いずるようにしてワダツミ様の手元へと縋り付く。ついに逢える。我が最愛の恋人に逢えるのだと、何かはき違えた感動が胸を支配し、昂ぶる想いが僕の奥を激しく揺さぶる。
いつになく興奮しているのが伝わったのだろうか、ワダツミ様は手紙を持った小さな手をひょいと奥に引いた。落ち着けと一言制した後に、ここまで秘めてきた理由を教えてくれた。
「もうだいぶ思い出しているのじゃろう。其方の前世は実に複雑じゃった。霊力が強すぎる為に前々世と混同している部分もあったと思う。其方の中で時系列の整理くらいは出来ていないと、この文の内容を受け入れるなどとても不可能。私はそう考えておったのじゃ」
つまりは僕が精神崩壊を起こさないよう配慮していたのだと知った。一時は恨めしく思ったことを反省した。しかしそれ以上に逸る気持ちが抑えられない。
「どんな真実でも受け止めます。覚悟は出来ています、ワダツミ様。どうか……その文を僕に」
覚悟を決めたように頷いたワダツミ様の手から、ついに。白い封筒に納まった文が僕の手の中へと渡った。ここで読んでも? と、恐る恐る問う僕に、ワダツミ様はもう一度だけ頷いてくれた。
カサ、という乾いた音を一つ二つ。震える手でようやく紐解いた。シンプルな罫線に乗せられた懐かしい彼女の筆跡が一つ二つ、少しずつ、確かに、僕の中へと流れ込む。
彼女が遺した言葉。それはまるで、ガラスの破片のように煌びやかで鋭利なものだった。
【最愛なる雪の君へ】
私は君をそう呼ぶことしか出来ない。この手紙を手にしているということは、君が私の名を思い出したということ。しかし私は現在の君の名を知ることが出来ない。
そんな君へせめてもの駄文を連ねることを許してほしい。こういうのはあまり得意ではないのだ。
君は今まさに、真実に手を伸ばそうとしているところなのだろう。もう明確にわかっていることもあるだろう。だが念の為だ。順を追って語らせてもらうぞ。
私はナツメ。フィジカルに於いて前世の君『磐座冬樹』と恋に落ちた女。
私の前世は秋瀬夏南汰。前々世の君『春日雪之丞』と同性でありながらも惹かれ合った男。
君が耐え忍ぶ冬ならば、私は奔放な夏だった。随分と君を翻弄してしまった。そんな過去を覚えているかい?
それでも君は一途に私を求めてくれた。いつだって私の為の選択をした。私の為に、二度も、その優しさゆえに魂の禁忌を犯してしまったのだ。
雪之丞は亡き夏南汰の後を追って自害したとされているが、正確に言うと雪之丞が生涯を終えたのはこのアストラルだった。まずこれが一回目。
冬樹さんは不慮の事故により生死を彷徨った。幽体のみアストラルに迷い込んだのだが、彼はフィジカルに還ることを拒んだ。これが二回目だ。
“現世の放棄”を二度犯すと、次の世からは二度とアストラルに転生することは出来ないと私は知った。君がそれを知っていたのかどうかはわからないのだが……私はそれをなんとしてでも阻止したかった。
魂が二つの世界で転生を繰り返すのにはちゃんと訳があるのだよ。記憶を有する世界と記憶を持たぬ世界、この二つがあってこそ魂は浄化され、いずれは天界へと導かれる。魂の伴侶同士もそこで一つとなるのだ。
フィジカルのみに縛られた君は、ただ魂をすり減らし、いずれは朽ちて消えていく運命を辿る。天界に受け入れられる未来は永遠に来ないということになる。それはいつか私と永遠に離れ離れになることも示しているのだよ。
だから……
寂しくてたまらなかったのは私の方だったのかも知れぬ。私だって、片割れの存在を失ったまま
君にどうかわかってもらいたいことが二つある。
まず一つ。確かに君の魂を救う為に大きな代償を伴った。しかし、私は決して自分を犠牲にした訳ではない。大切な者が傷付いていたら手当てをするであろう? 歩けなくなったらおぶったり、支えたり、そうして一緒に進もうとするであろう? 私は魂の伴侶として同然のことをしたまでだと思っているのだ。
そしてもう一つ。君の生きる世界にもう私は居ない。そう思っているのなら、それは間違いだ。
ユキ。私はいつだって君の傍に居るよ。この先もずっとだ。
迷惑でなければ、だがな。しかし君が私を想い続けてくれるというのなら、どうかこれを覚えておいてほしい。
『勿忘草』
フィジカルにのみ咲く青い花だ。私はこれを目印にして君とまた出逢える日を待っている。
次に逢うときの私の名にしようと思うよ。私の魂の名をどうか、忘れないでいて。
愛しているよ。君の幸多き人生を願い続けている。精一杯、今を生きて。君が望んだ通り強い君となって、私を迎えに来てくれないか。
そして呼んで下さい。いつまでも待っています。
【君の勿忘草より】
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賜りの間にてついにあの手紙をあるべき場所へと届けた。一つの役割を終えたワダツミは今、去りゆく弟子の哀愁漂う背中を見送っている。そこから吹雪を彷彿とさせる冷感が伝わってくる。
「想定の範囲ではあるが、のう」
動揺しないはずがない。傷付かないはずがない。彼が愛した夏はそれほど純粋で残酷なのだとワダツミはよく知っていた。
稀少生物研究所のヤナギとは、ナツメの死後間もない頃にある約束をしていた。いずれナツメに救われた魂の生まれ変わりがここを訪ねて来るだろう。その者の霊力の強さをよく見極めてくれ。極寒の冬を思わせる波長を感じたなら、その者を星幽神殿へ導くようにと。
何故冬なのか。それは限りなく天界に近い存在であるワダツミだからわかること。春日雪之丞の
ともかく約束を交わした頃にはすでに覚悟を決めていた。ナツメが救ったこの魂を引き受けるのは自分であると、ワダツミは心に決めていたのである。
「雪那よ」
扉が閉ざされる寸前でワダツミは彼を呼び止めた。ゆらりと傾ぐようにして振り向いた、虚ろな垂れ下がりの瞳に向かって今出来る最善を提案したつもりだ。
「其方に一週間の休暇を与える。足りぬならそのときはまた言いなさい。一度、其方の過去と対話する時間を設けた方が良いぞ」
「……過去、なんて。もう変えられないじゃないですか。ナツメは……戻って来ない」
弟子の放つ想像以上に陰気なオーラにため息をつきながらも、ワダツミは諦めることなく諭していく。
「良いか、雪那。過去は悔やむものではなく教訓にするものじゃ。その目でしかと確かめなさい」
あえて不敵な笑みなど浮かべて言い放つ。
「未来に行けばわかる」
今はわからなくても。あの奔放な夏を相手にしてきた強者ならばきっと乗り越えられるだろうと、信じているからこその振る舞いだった。
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(過去との対話……)
自室に戻った僕は、先ほどから茫然自失のまま脳内で同じ言葉を繰り返している。
窓も覆い隠されそうなほど積み上がった本だらけの部屋は、度々足を運んでいる書館の縮小版といったところだ。いい具合に陰を作ってくれる。膝を抱えて縮こまるのにちょうどいい空間、これがなんとも落ち着く。陰気な濡れ鼠に相応しい場だとつくづく思うよ。
思えば僕に陽気なときなんてあっただろうか……?
しかし幸せなら確かに感じてきた。そこには必ず君が居た。
――ユキ!――
――冬樹さん――
そう呼んでくれる君が居たから。時に無邪気に、時に妖艶に、真っ直ぐ僕を見つめてくれる君の存在が在ったから、だからこそ、僕は……
「無理だよ……」
君の居ない世界でなんて笑えない。ただ一つ、この世界に遺された彼女の想いの集合体だと知りながらも、僕は受け取って間もない手紙に
「ナツメの……馬鹿。これが自己犠牲じゃなかったらなんなの? ねぇ……!」
さすがに手紙を握り潰すのはためらわれて、行き場をなくした拳をダン、と床に叩きつける。痛みさえも現実とは遠く感じられた。
「夢じゃなかったよね。僕たち愛し合ったんだよね……? なのに……なのに、どうして傍に居られないの」
更に今世は同じ時代を生きることさえ許されないというのか。
今、鮮やかに感じられるのは遠い過去のぬくもりだけだ。近場にあった毛布を手繰り寄せ、心細さに震える身体を包み込むのが精一杯。
そんなとき。
――ユキ――
――何を泣いとるんじゃ?――
懐かしい響きで呼ばれた気がした。泣き疲れて眠くなってきたからだろうか。
「夏南汰……そこに居るの?」
――おいで、ユキ。あっためてやるけぇの――
遠い時代、遠い世界の君が小さな手を差し伸べてくれる。そんな優しい幻想が微睡みの中に見えて、僕は実に久しぶりの微笑みを浮かべた。
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35度の灼熱の夏
あったかいその手を取ったなら
何処までも連れていっておくれ
例え
君のぬくもりを力一杯抱き締めたい
僕を包むつもりでいる君だけど
僕は包み込む側でいたいんだ
与える側でいたいんだ
だって夏は寒がりだもの
表面温度はあったかいのに
低体温だった君だもの
凍える寒がり 寂しがり
僕が守ってあげたかった
誰よりも 誰よりも
傍に居たかった
35度の灼熱の夏
一人っきりじゃ生きていけないくせに
何度も僕を惑わせたね
無意識の故意なんだって
もっと早く気付いてあげれば良かった
君は夏
悪戯に焦がし焦がれさせる
真夏の太陽
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