第6話 背徳行為
あんなにうるさかったセミの声も聞こえなくなって、わたしも日傘から開放される。荷物がひとつ減って、肩の力も抜ける。
「梨……」
大きな梨が、八百屋の店先にでーんと座っていた。
「それで買ってきたの?」
「目が合っちゃったの。絶対、梨の精っておじいちゃんだと思う。『わしを買っていけー 』って脅されたの」
「なんだよそれ、食べたらヤバくないか?」
「……ヤバいかもねぇ」
たまには、と、ふたりでお風呂に入る。今日は黎の帰りが早めだったから。
浴槽にふたりで入るのは無理なので、交代で入った。
「お風呂出たら、梨おじさん、食べる?」
「怖いけど、食べてみよっか」
黎はまだ笑っていた。
「
「今週は土曜日、どこか行こうか?」
「この前、ピザ食べに行ったじゃない?」
「それとは別で、ふたりでさ……。
「ああ……」
気まずい沈黙が空気の中に澱んで、ふたりとも何も言い出せない。
「黎のすきなとこでいいよ?」
「ディズニーでも?」
「……」
わたしは乗り物にすごく弱い。
「黎が行きたいなら、ディズニーでも」
「……プラネタリウムとかは? 静かだし、怖いこともないし」
「行ったことないかも」
「気にいると思うな。……途中で寝るなよ」
寝るわけないじゃん、と思いつつ、ご丁寧にブランケットまで貸してくれてヤバいかも、と思う。
イスもリクライニングになっていて、黎が、倒し方を教えてくれる。ああ、まずい、これは気持ちが良すぎる……。アイマスクがあったらアウトだなぁ。
「どう? 座り心地」
「リクライニングシートなんて、驚いちゃった
」
「あの真ん中の黒いやつ。あれがスクリーンに星を投影するんだよ」
「ふぅん……」
落ち着いた声のお姉さんのナレーションで、星空散歩なるものが始まる。始めは今日の今の空。それから、街の明かりがふっと消えて……。
「すごい……」
黎がわたしのぽつりと言ったひとことに気がついて、手を繋いでくれる。
秋といえども、まだ天の川と夏の大三角形が幅をきかせているらしい。
結局、わたしは眠ることなく興奮してプラネタリウムを出た。
「すごかったねー。あんなに空には星があるなんて知らなかった」
「気に入った? 今度、清里とか行ってみる?
星がよく見えるらしいよ 」
「そうなんだぁ。帰ったらネットで調べる」
黎はそんなわたしを見て、にこり、と笑った。
「え? ここ、入るの?」
「いいじゃん、たまには。せっかく瑠宇のために働いてるんだから、これくらいさせてよ。この間のピザの埋め合わせ」
連れていかれたのは、ちょっとしたホテルのランチビュッフェだった。つき合ってた頃ならともかく、もう夫婦なのにこんなに無駄遣いしていいのかと、尻込みする。
「うわー、ローストビーフとお寿司、ライブビュッフェだって」
なんだか目がチカチカする。
すごくたくさんの種類の食べ物が並んでいるのはわかるんだけど、うーん……。
「食べたいものだけ、食べたい量食べるんだから、瑠宇には向いてると思ったんだけど」
「なんか目移りしちゃうよ」
「じゃあさ、好きそうなもの、持ってきてあげる」
その間にジュースを取りに行く。これ絶対、果汁100パーセントだな、と思う。
「これでどう?」
「お子様ランチみたい!」
「デザートは後で一緒に取りに行こうね」
黎はいつも、限りなくやさしい。
帰り道は話すことがいっぱいありすぎて、黎が、
「おしゃべりな口だな」
と電車の中でわたしの鼻をつまんだ。何を話しても面白くて、大学生に戻ったみたいだった。
「楽しかった?」
「うん……ありがとう。無駄遣いさせてごめんね。黎が一生懸命、働いてくれてるお金なのに」
「いいんだよ。ぜんぶ、瑠宇のためだからね」
おでこに軽くキスされる。
なんて贅沢なんだろう。わたしはソファに座って、クッションに顔を埋めた。
ああ、こんなときにスマホが点滅している……。こんなに良くしてもらったのにスマホを開けてしまったら、本当に背徳行為だ。
「軽く飲もう、明日、休みだから。おつまみ、ちょっと作るね」
「うん」
スマホを持ち上げて、また少し迷う。開けてみたい気持ちが抑えられない。
……わたしはそんなに巧に会いたいのかな?
何もかも捨てる、とか、ぼんやりしてるとあの時の巧の目を思い出すけど……少し怖くなる。
『月曜日にうちに来ない? 休講あって、午後まるまる暇なんだ 』
固まる。
今日くらいは黎の気持ちに応えていたい。好きで結婚した人なんだから、巧が言うように簡単に離れられるわけじゃない。
「どうかした?」
「着信あったんだけど、ダイレクトメールだった。ほら、ネット通販の」
「ああ、あれって『お友だち 』になっちゃうとうるさいよな。通知オフにしたらいいのに」
「そうだね、気がつかなかった」
……返事はしなかった。
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