出会い


 バルバ=ゴーリェが、シェル=エプティノスを初めて見たのは、グランドパルマ島でのパーティーに参加したときのことだった。ゴーリェは、シェルに群がる来賓客をかき分けパーティーの主役に声をかけた。


 「こんばんは! エプティノスさん。凄い人の数ですね。さすが、天才ショーディーラーだ」


 「失礼だが、お会いしたことがあったかな?」


 シェルは、ゴーリェのお世辞にも表情を変えることなく切り返した。


 「こちらこそ失礼しました。お会いするのは初めてです。ワックスマンブーバーのバルバ=ゴーリェと言います。ファンドのセールスをやっています」


 「私は投資のことはうとくてね。お話し相手になれそうにもない」

 

 「教えて欲しい、過去を忘れる方法を――」


 ゴーリェ自身も、なぜいきなりそんなことを言ってしまったのか説明出来なかった。一瞬、ほんの一瞬だが、シェルの口元が歪んだように感じた。シェルが答える前に、人影がゴーリェとシェルの間に割って入った。スリムなスーツ姿の女、少女と言っていいような透明な空気をまとった女。冷たい青い瞳がゴーリェを威圧している。


 女がシェルに何かを耳打ちして、シェルがうなずく。失礼、と会釈するとシェルは人込みの中に消えていった。挨拶を交わしただけのささやかな時間だったが、ゴーリェのなかで何かが確信に変わった。


 ゴーリェは、父親に誉められたことがなかった。政治家だった父は、もしかしたらゴーリェに自分の地盤を継いでもらいたかったのかもしれない。事あるごとに、お前は他の人間とは違うんだ、特別なんだ、何しろ俺の息子なのだから、と言って聞かされた。ゴーリェは、そんな父親が大嫌いだった。だからこそ、たまたま大学の先輩から働いている投資銀行の話を聞き、面白そうだと入社試験を受けて合格した。


 投資銀行の仕事は甘くはなかった。学歴も親のコネも役に立たない実力主義の社会でゴーリェはもがいた。朝から夕方まで顧客を訪問し、ぱっとしない運用成績のファンドを売り歩いた。ゴーリェの顧客は、みな金持ちだった。事業で成功したもの、親の遺産を相続したもの、投資で大儲けしたもの。傲慢でクズのような輩もいたが、魅力的な人物もいた。ある新興企業の若き経営者は、ゴーリェに成功者の秘訣を語ってくれた。


 「ゴーリェくん、君が考える成功の秘訣は何だい?」


 「ええっと……、努力でしょうか?」


 「もちろん、努力も成功のひとつの要素だね。だが努力しているにも関わらず日の目をみない人も大勢いる。私はこう考えるんだ。成功の秘訣は過去を忘れることじゃないかと」


 「過去を忘れる?」


 「ああ、ほとんどの人間は過去に囚われて、自分にブレーキをかけてしまう。過去の失敗で恐怖心をもつ。結果として決断が遅くなり他者に出し抜かれる」


 ゴーリェは、身を乗り出して、若き成功者の言葉を聞き漏らさまいとした。


 「しかし、失敗から学ぶことも多いのでは?」


 「いい質問だね。多くの成功者が挫折の経験を語る。その経験を糧に成長したのだと振り返る。たが彼らの記憶は都合よく書き換えられている。嫌なことを忘れ去り、何度も繰り返す事の出来る、言うなればアホだ」


 成功者をアホだと言う彼のセンスにゴーリェは思わず苦笑いを浮かべた。


 「あなたも、過去を忘れることが出来たのですか?」


 「完全には無理だ。誤魔化しながらなんとかやってはいるけどね。そうだ……、一人いるな未来だけを見ているやつが」


 シェル=エプティノス、彼の口にした名前を手帳にメモすると時々思い出したように見返した。ある日、ゴーリェは、マルドゥック市の近郊にあるリゾート地、パルマ・デ・ラ・マノ諸島に新しいカジノがオープンするという話を聞いた。カジノのオーナーはシェル=エプティノス。オープン記念のパーティーに仲のよい顧客の付き添いという形で潜り込み、ついにシェルとの面談が実現したというわけだ。


 マルドゥック市に戻ったゴーリェは、シェルにメールを送った。


『シェル=エプティノス様、あなたの成功の秘訣を教えて頂きたい。あなたの資産を増やすお手伝いがしたいのです』


 しばらくすると、返事が来た。


『三十分だけ時間をあげよう、明日私のオフィスに来たまえ』


 メールには、オフィスの住所が簡潔に記載されていた。ゴーリェが所属する投資銀行ワックスマンブーバーから、車で十分程度の場所だ。予想に反して、何の変哲もないオフィスビルの十階にシェルのオフィスはあった。受付には、マネキンが制服を着たような親近感のわかない長身の受付嬢が座っている。首筋に認識番号が刻印されているので、アンドロイドだと解るが人間と見分けるのが年々難しくなっている。


 「ワックスマンブーバーのバルバ=ゴーリェと申します。エプティノスさんいらっしゃいますか?」


 「ゴーリェ様、お待ちしておりました。ご案内します」


 受付嬢が案内してしてくれたのは、応接室ではなく、シェルのデスクだった。ゴーリェが部屋に入ると、皇帝緑エンペラーズグリーンの瞳がちらりとゴーリェの方に向けられる。

 

 「こんにちは、ゴーリェくん、そこに座っててくれ。すぐに済ませるから」

 

 シェルは、少し考えていたが机の上の書類に何かを書き込んだ。ファイルに書類を挟むと静かに閉じ、ゆっくりと立ち上がる。

 

 「紹介したい人間がいる。君の仕事のパートナーだ」

 

 「仕事、ですか?」

 

 「実はね、あれから色々と考えたのだが新しいビジネスを始めようと思ってね」

 

 シェルの真意を掴みかねて、ゴーリェは曖昧な笑みを浮かべるしかない。


 「ゲブリュル、お客様だ。俺のオフィスまで来てくれ」


 シェルは、腕につけたウエアブル端末に向かって言葉を発した。しばらくして、オフィスのドアがノックされ、細身の若い女が入ってきた。ゴーリェは、女に見覚えがあった。グランドパルマ島でのパーティーで、シェルの隣に付き従っていた女だ。


 「ああ、パーティーの時会ったんだったな、ゲブリュル、こちらはワックスマンブーバーのゴーリェくんだ」

 

 感情が浮かんでいないブルーの澄んだ瞳。長い髪は金髪と言うより白に近く、アップスタイルにしている。

 

 「ゲブリュル=シュヴァーンです。よろしくお願いします」

 

 「悪いが、俺はこれで席を外すよ。後はゲブリュルから説明を受けてくれ」

 

 あっけにとられているゴーリェの肩をポンと叩き、シェルはオフィスを出て行った。後には状況がつかめず所在なげにしている男と、そんな男を冷たい瞳でみつめる女が残された。

 

 「ねえ、何か言いなさいよ」

 

 「えっ!」

 

 急になれなれしく話しかけられ、ゴーリェは面食らってしまった。


 「シェルにどうやって取り入ったの? どうせ、米つきバッタのように頭を下げたんでしょ?」

 

 「米つきバッタ? なんだよそれ。」

 

 「教養がないのね、まあいいわ。さっさと仕事を片付けましょう。今からグランドパルマ島へ行くわ、準備して」

 

 ゲブリュルの上から目線の物言いにも驚いたが、今からグランドパルマ島へ行くという強引な展開に、ゴーリェは付いて行けなかった。

 

 「ちょっと待てよ! 説明もなしに行くって言われても、はいそうですかって行くわけないだろ!」

 

 ゲブリュルは、眉を上げて目を見開いた。

 

 「驚いた! シェルが仕事を依頼するって言ったから、少しは度胸があるのかと思ったら、ただの腰抜けだったなんて」

 

 ゲブリュルの言葉には嫌悪感と言うよりは挑発して面白がっている様子が感じられた。こいつはこの状況を楽しんでいる、ゴーリェにはそう思えた。いいだろう、この高慢ちきな女の鼻をへし折ってやる。

 

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