第37話 砂漠の民

 空白地帯の北東部に、バルディア王国、カラル王国、ティムガット王国、ローゼン王国に囲まれるように、広大な砂漠が広がっていた。


 乾燥した過酷な環境故、ここを通行する者も居ない。時折、物好きなトレジャーハンターが古代遺跡を求めて足を踏み入れる程度だ。


 砂漠の魔物は危険なモノが多い。

 武器が通り難い硬い甲殻と二本の大きなハサミと毒針を持つ尾で獲物を襲うデザートスコーピオン。

 生物なら魔物から人間まで、何でも捕食する巨大なサンドワーム。

 体表に砂を纏い砂に擬態し、獲物を襲うサンドリザードなどなど、一癖も二癖もある魔物が多く、その砂漠特有の気候以外でも人が住むのが難しい土地だった。


 そんな砂漠の空白地帯に近い場所に、水の絶えない大きな泉があった。

 砂漠地帯で唯一のオアシス。

 枯れない泉が朝の霧を生み出し、砂漠に草原が出来、木々を育み林を育てる。


 そこに暮らす少数の人間が居た。

 その数は、長い年月の間に減り続け、今では僅か50人程しか居ない。

 部族内の婚姻を繰り返し、血が濃くなり過ぎた影響か、このオアシスで子供が最後に生まれたのは十数年前になる。

 滅びを待つ彼等が砂漠を出て行く事はない。

 それは彼等の保つ特殊な神印が原因だった。





 オアシスに警戒を報せる鐘が鳴り響く。


「子供と年寄りは建物に避難しろ!」


 集落の巨漢の戦士が大斧を抱えて走りだす。


 オアシスに近付くのは、砂漠の殺し屋デザートスコーピオン。

 尾には強力な毒を持ち、鉄をも容易く断ち切る巨大な二本のハサミと、鉄の鏃をものともしない甲殻に守られた厄介な魔物だった。


 その時、影が大斧を担いだ戦士の頭上を高速で飛び越して行く。


 餌を求めオアシスへと近づく3メートルを超える巨体を硬い甲殻に守られたデザートスコーピオンへ上から急降下するのは、背中にある透明な二対四枚の羽で飛ぶ一人の女。目にも留まらぬ速さで急降下すると一撃を加えて離脱する。残されたのは、頭に穴を穿たれたデザートスコーピオンの死骸だった。


 空中でホバリングしてデザートスコーピオンが死んだ事を確認する女。そこに大斧を担いだ巨漢の男が駆けて来た。


「お嬢! あまり先に行かないでも下さい!」

「ごめんなさい。オアシスに随分と近付いていたから」


 お嬢と呼ばれた女が地面に降り立ち、背中の四枚の羽が魔素となって空気中に拡散して消える。


 そう、彼等の保つ神印は「蟲の神印」。獅子や狼の神印のように、身体能力を上昇させるだけでなく、その身に蟲の能力を擬似召喚できた。その力は絶大で、癖のある強力な魔物が闊歩するこの過酷な砂漠で、彼等が生きていける理由の一つにして、同時に人間社会から忌避され、おおよそ人の住む環境にないこの地で暮らさねばならない原因だった。






 鍛え抜かれた鋼の肉体をもつ壮年の男が、オアシスを吹き抜ける風に身を任せ、腕を組み仁王立ちをしていた。

 その眉間に刻む深い皺は、男の悩みの深さを表していた。


 この砂漠の民も空白地帯に暮らす部族と同様に、大陸にある国から弾き出された人達だった。

 原因は大きく二つある。


 一つは、空白地帯に暮らす遊牧民族や蛮族と同じく彼等の肌も白くはない。その見た目の違いで蔑まれた。

 そしてもう一つの原因が前述したように、彼等を砂漠に追いやった最大の原因であり、彼等が隠れ住まなければならなかった理由。それは彼等の持つ特殊で強力だが、この大陸の国々で忌避される蟲の神印にあった。



 彼等は人族でありながら、高い確率で特殊な蟲の神印を授かって生まれ来る。


 それは蟲の神印を宿す一族。


 蟲の神印は、総じて身体能力の強化幅が大きく、更に様々な特殊能力を得られるが、この砂漠の民の様に、一つの部族全てが蟲の神印を保つ事は奇跡だろう。


 百足や蜘蛛、蜂や蜻蛉、その神印の見た目故、人々から忌避され疎まれる蟲の神印だが、その力は絶大だった。

 獅子や狼の神印を超える身体能力をもたらし、さらに蟲の特殊能力をその身に授かる。ある意味蟲の神印は、伝説で語られる「幻獣の神印」のダウングレード版ともいえる強力な力だった。


 その規格外な神印のお陰で、彼等の戦闘能力は非常に高く、全員が精強で知られる蛮族をも超える一騎当千の戦士だった。


 だが、彼等が迫害された原因となったのも、その高過ぎる戦闘能力も関係していた。


 自分達より優れた力、強い力を持つ者を恐れ排除しようとするのが人間だった。それに抗うだけの力が無ければ、彼等のようにひっそりと隠れ住むしかなかった。



 部族の行く末を悩む男に、一人の美しい女性が話し掛ける。年の頃は二十歳位だろうか、長い黒髪に意志の強そうな黒い瞳は見るものを惹きつけずにはいられない。この環境でなければ、多くの男達から求婚されるだろう美女だった。


「お父さん、どうしたの?」

「外では族長と呼びなさい」


 眉間に深い皺を刻む壮年の男は、この部族の族長で、その名をガース。そのガースを父と呼ぶ美女は、彼の娘の一人フロル。父が思い悩む原因も分かっている。そしてそれを解決するすべも無い事も分かっていた。だから出来るだけ父の気持ちが楽になるよう、気を配っていた。


「でも珍しいじゃない。ボォと外を見ているなんて」

「……うむ。何故かは分からないが、何かが起こりそうな気がするのだ。それが良い事なのか、悪い事なのかは分からんがな」


 砂漠の民の中で、その人格だけでなく、戦闘力でも最強の存在が族長のガースだった。その身に宿す神印は『#百足__ムカデ__#』。並外れた身体能力の向上に加え、人間離れしたタフさを持つ。




 そこに砂漠の民の中で最年少の少女が駆けて来た。


「お父さーん! お姉ちゃーん! ご飯だよー!」

「ふぅ、外では族長だと何度も言っているのに……」

「フフッ、マニには言っても無駄よ」


 ガースの娘、フロルの妹のマニは天真爛漫で天然なところがある。それがまた彼女の良いところでもある。


 姉のフロルが宿す神印は『雀蜂』。高い身体能力、それも疾さと力に優れ、部族でも五本の指に入る戦士でもある。


 妹のマニが宿す神印は『#甲虫__カブトムシ__#』。まだ幼いながら砂漠の民の中でもその膂力はトップクラス。戦士としても将来が楽しみにされている少女だ。


 妹のマニは、十歳になったばかりだが、姉のフロルは今年で二十歳になる。それもガースの悩みの一つだった。

 このオアシスに居ては、集落の中での婚姻になり血が濃過ぎる。それ故、年頃のフロルに結婚相手を探すのが難しい。このまま此処で滅びを待つには、若い二人には不憫過ぎる。


 部族の存続を願い、一か八か新たな土地へと歩み出すのか、緩やかな滅びを座して待つのか、その答えに大きな影響を与える存在が近付いて来る。


 その出会いは、大陸に戦禍を呼ぶ切っ掛けか? それとも人々を平穏に導く救いなのか……



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