Episode.6 行きはよいよい、帰りは恐い

進めなかったのだ。

目の前に貼りつくされた無数の透明の糸がキラキラと輝いているのが見える。

気が付けば私の行く道後ろも前もまるでトラップが張られているかのように透明の糸が張り巡らされていた。

嘘、さっきまでこんなのなかったのに。

しかし、驚いている暇は無い。

私と透明な糸の間は数センチもなく、呼吸をするだけで触れてしまいそうだった。

触れてしまったらヤバイ、そんなの見ればわかる。

私は完全に身動きが取れなくなってしまった。

女の子は私の隣にいるまま動かない。

逆を言うとこんなに糸が張りめぐらされているのに全く動じているようには見受けられなかった、それどころか、表情も見受けられない。

しかしよく見ると、女の子の方は震えていた。

もしかして怖がっている?

私が様子をうかがっていると女の子はこらえきれないという風に笑い出した。


「すごい!すごい!!おねぇちゃん、まさかかんいっぱつでよけるなんて!はんしゃしんけいいいね!」


そう、女の子は無邪気に私に話しかけてきた。

そこだけ聞くと普通の子供。

しかし、圧倒的に状況が子供じゃない。

この子も受験生なのだろうか。


「本当はね。この糸に触っちゃってこっぱみじん!ってなるはずだったんだけど…。」


とても残念そうにこちらを見上げてくる。

普通に見ると目がぱっちりしていて、人形みたいでかわいらしい子なのに。何て恐ろしい。

女の子はしばらく人差し指を顎に当て何かを考えていると、思いついたのか、パッと花が咲いたよなかわいらしい笑顔をして私から数メートル下がった。

糸はどうやら女の子には効かないようでまるで何もないようにスルスルと女の子の体をすり抜けていた。

まぁ、仕掛けた張本人だし、これで食らったらお笑い種どころじゃないか。

女の子は私とそこそこの距離をとると何かを掴むアクションをした。すると、なにもないところから手斧が出てきて、それを少女は軽々しく持ち上げる。

しかしただの手斧ではない。手持ちの一番下の部分、長く鎖がつながれていて、鎖の先に六角錘のおもりがついている。

それが何を意味するのか想像もつかないが、不吉なことに変わりはない。

女の子はニコニコ笑顔は変わらず、手斧の持ち手から鎖へと持ち替えた。


「動かない的なら当てやすいよね!」


女の子は私にそう語りかけ、鎖を軸に手斧を振り回し始めた。

あぁ、鎖はそのためか。駄目だ、もう逃げ場がないから現実逃避しかできない。

ここまで、突飛な状況に陥ると崖っぷちでも涙なんて出ずに、むしろ笑えてくるもんなんだな。


「じゃあね、おねぇちゃん。バイバイ!!」


女の子の屈託のない笑顔。

なんなんだろう、この試験受けている人たちは人の最後にしっかり挨拶をするよう教育でもされているのかな。

そんなどうでもいいことを考え、私は目を瞑り、自分の一生に幕を下ろす覚悟をした。

金属がはじかれる音。

続いて、金属が地面を滑る音。

またしても私に刃物が当たることはなかった。

ゆっくりと目を開けると、見覚えのある背中。彼だ。和服の青年。彼がまたしても私を庇い、命を救ってくれた。

女の子は驚いた顔をしているが狼狽えてはいない。すぐに笑顔に戻ると鎖を引いて手斧を手元に戻した。

手慣れている。


「おにいちゃん、王子様みたいだね、かっこいい!でも、いつまでお姫様を守れるかな??」


もう一度投げる構えをする。

青年は女の子から目を離さず私の周りで鎌を振り回した。

すると、私の周りにあった糸は全部振り回された鎌によって切られ、動けるスペースが広がった。

もしかして、彼は私に配慮して振り回してくれたのかな。

彼は、私に一目やると女の子に睨んだ。


「邪魔だ、下がっていろ。」


青年は私にそう言った。

言葉選びに正直カチンとくるところがないではないが、ここは私の出る幕ではない。

彼は私が指示におとなしく従うのを確認すると、再び鎌を構えなおした。女の子が手斧を投げる、青年が鎌ではじき返した。地面に刺さった手斧を引くと青年に向けて手斧が飛んで行く。

息をのむ暇もない殺伐とした、命の懸かった本物の戦い。改めて実感が湧いてきて軽く震えた。

二人はほぼ互角でやりあっている。しかし、若干青年の方が劣っているのか、攻撃を食らってはいないものの、反撃はできていない。

それもそのはず、隙がないのだ一回手斧を弾いて、間合いを取ろうとするとすぐに手斧が飛んでくる。

圧倒的に近距離の武器の彼には不利な相手だった。

どうしよう。このままじゃ、私のせいで彼が傷ついてしまう。

なにかないかと、周りを見渡しても、こんな道中に何かあるわけなんてなく、気が付けば、先ほどまでいた帰宅中の小学生や通行人はおらず、この道はガランと人気を失っていた。

それだけでなく、住宅街で騒いでいるのに、人っ子一人出てくることはなかった。

なんなんだこれは。これも彼らの力なのだろうか。

そう思っていると、後ろから人がやってくる気配がした。一瞬まずいと思ったがすぐに違う方向のまずさへと変わる。

やってくる人の右手が紫色に煌々と光っていたのだ、女の子と同じヴァイオレットに。

背後からやってきたのは私と同い年くらいの男子に見受けられた。彼もまた瞳が紫色で、近づいてきたときに気付いたが、彼の右手も女の子と同じ紋様が刻まれていた。

男子は私や青年に見向きもせずまっすぐ女の子を見ていた。

しかし、女の子は青年と戦うことに意識を持っていっていて、こちらへ来た男子に気付いていない。

男子がある程度声の届きそうな範囲にまで近づくと女の子に声をかけた。


「リマ、こんなところにいたんだ。さ、帰ろう。」


家族に声をかけるような、彼の声は穏やかだった。彼の表情もまた穏やかなもので、目の前の戦いをまったく気にしていない。

声をかけられた女の子は青年を攻めていたその手をピタッと止め、私の背後から来た男子の存在を確認すると、待ってましたと言わんばかりに大きくうなずいて、手斧をさっき出したのと反対に消して男子のもとへ掛けていった。

女の子が男子のもとまで追いつくと彼は私たちに一度目をやる。

それは、氷のように冷ややかな目だった。さっきの穏やかな表情が嘘みたい。

私はあっけにとられ、青年は向きを変えて鎌を構えなおす。

しかし、男子はすぐに女の子へと視線を戻すとその表情はまた穏やかなものへと戻っていた。


「リマ、今日は頑張ったからおやつはドーナツがいい!」


「わかった。」


「コトブキの手作りじゃなきゃいやだよ?」


そんなほほえましい会話をして、二人は呆然としている私たちを置いて仲良く手をつなぎ、帰って行った。

最後に女の子が振り返って「じゃあね、おねぇちゃん達、楽しかった。今度会うときはちゃんとけいやくして強くなってリマ達のところに来てね!」と言い残して。

私は力が抜けてその場で尻もちをついた。

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