14-2



 ◆◇◆◇◆◇



「二人とも、これを見て」


 森林公園の道を歩きつつ、ダヴィグが外套のポケットから地図を取り出してマーシャたちに見せる。


「カラスが金属類を集めたり盗んだりした場所と、その日付が書いてあるんだ」


 独自に調査したのか、それとも警察から情報提供を受けたのかは不明だが、彼の所属する自然保護団体はこの事件に本腰を入れているらしい。


「ずいぶんと分かりやすい図式ですね」

「うん。僕たちの相手は、自分の居場所を隠す気がないようだね。恐らくカラスを端末にして操り、金属を集めさせているようだ」


 シディの発言にダヴィグは同意する。実に分かりやすい地図だ。この森林公園を中心に、石を投げ込まれた水面のように被害が拡大している。あからさまに、この森林公園付近が怪しい。


 不意にカラスの鳴き声が聞こえ、マーシャは目を上げた。近くの大木の枝に、一羽のカラスがとまっている。そろそろ日が暮れる。カラスたちはこの公園の中で夜を明かすのだろう。そのカラスがひょいと枝から飛び降りると――――。


「消えた!?」


 マーシャの隣にいたシディが驚きの声を上げる。カラスの姿はどこにもない。


「向こう側に移動したと言った方が近いね」

「似たようなものじゃないですか」


 ダヴィグが発言の内容を訂正し、シディはやや嫌な顔をした。マーシャが木の根元に駆け寄ると、そこには根が盛り上がってできた空間がある。カラスの姿はその隙間に吸い込まれてしまったようだ。軽く左目が反応する。明らかに妖精郷か、それに類する場所への入り口だ。


「さて、これでだいたい元凶のいる場所は突き止められたようだね。どうする?」


 マーシャの背中に、ダヴィグの落ち着き払った声がかけられた。


「君たちは盗まれたエルロイド教授の懐中時計を取り戻したいんだろう? この先にそれがある可能性は高いよ。もちろん、まだどこかのカラスが自分の巣に置いている可能性もあるけどね」


 マーシャとシディに、彼は意味深な笑みを浮かべる。


「いったん引き返すかい? それとも、このまま突入するかい?」


 その腹に一物ある態度に、シディが眉を上げる。


「何が目的なんです? エルロイド家に恩を売るのが目的なんですか?」

「さあ。どうだろうね」


 さらに何か言おうとしたシディを遮る形で、マーシャは口を開いた。


「ダヴィグさんの方こそ、このまま引き返すという選択肢はないのではありませんか?」

「ほう、どうしてだい?」


 挑戦的な彼女の物言いを受けても、ダヴィグは面白そうな態度で応じるだけだ。何となく、彼は妖精のような人だ。マーシャはふと、そんなことを思う。ここにいるのにいないかのような、希薄であやふや、異質で奇妙な存在感がそっくりだ。


「もちろん戦力が不足しているのでしたら、撤退も止むなしでしょう。しかし、ダヴィグさんは昨日、ご自分が自然保護団体に所属しているとおっしゃっていました。カラスの本能をねじ曲げ、人間に敵対するような行動を取らせる元凶がここにいるのでしたら、速やかに是正するのが自然保護団体の一員としての責務ではないでしょうか?」


 マーシャの持論にしばらくダヴィグが無言で耳を傾けていたが、ややあって大きく同意する。


「ああ、そのとおりだよ。君は本当に明晰だね、マーシャさん」

「特別そんなことはありませんよ。ただ――」


 手放しで誉められても、マーシャは照れる様子もない。なぜならば……。


「教授でしたら、そうおっしゃると思っただけです」


 エルロイドのように考え、彼のように発言した。マーシャにとってはただそれだけのことである。


「それで、戦力はいかほどでしょうか。こちらは見ての通り、腕っ節に自信のある二人ではありませんが?」

「ご冗談を。君の炯眼に従わない妖精など滅多にいないよ。暴力など妖精の前では無力だ。だけど、君の目はすべてを見通し、すべてを従える」

「だったら、むしろあなたの方がオレたちに助力を願うんじゃないかな?」


 すかさずシディがイニシアチブを取ろうしてそう言うが、曖昧にダヴィグは笑うだけだ。


「そうでもないよ。僕はこう見えても、それなりに妖精のあしらい方は知っていてね。まあ、君たちは懐中時計を取り戻したい。僕は歪んだ自然を元に戻したい。目的が一致したね」

「ええ。そのようですね。でしたら……」


 そう言って、マーシャは静かに大木の根元に目をやる。一見すると、ただの穴もしくは隙間でしかない。


「この目を使うのに、異論はありませんよ」


 マーシャの左目が緑色に輝く。それは虚飾を壊し、真実と露わにする妖精女王の目だ。彼女のその目を、ダヴィグは極めて高価な宝石を見るかのような目で見ていた。



 ◆◇◆◇◆◇



「な、何なんだ、ここは!?」


 大木の根元の穴は、確かに妖精の住まう場所への入り口だった。今回は、分かりやすい扉やドアのようなものは現れない。ただ、三人がその穴に足を踏み出した途端、吸い込まれるようにして中に入ってしまっただけだ。体が液体のように溶けてしまったのか、それとも縮んでしまったのかは定かではない。


「その反応、とても新鮮ですね」

「ああ、本当だよ」


 周囲を見回して驚きの声を上げるシディを見て、マーシャとダヴィグは平然とそんなことを言う。まるで初心者があたふたする様子を見て楽しむベテラン勢だ。


「どうして二人ともそんなに落ち着いているんだよ!?」

「慣れてますから」

「珍しくもない景色だからね」


 あくまでも落ち着いたマーシャとダヴィグの反応に、シディは途方に暮れた様子で額に手をやる。


「頭と目がおかしくなりそうだよ……」


 彼がそう言うのも無理はない。およそ、縮尺というものがこの場所は徹底的に狂っている。普通に立っているだけで目が眩み、まともにまっすぐ歩くことさえおぼつかない。


 三人がいるのは、どうやらロンディーグを模した場所らしい。家々が立ち並び、あちこちには跳ね橋や時計塔など、見覚えのある建物らしきものも見える。しかし、そのいずれも平面的だ。どうも、この場所は巨大な球体らしい。内面に空から見たロンディーグの映像が貼り付けられている。


 そのくせ、近づくにつれて建造物は立体感を増してこちらに向かって立ち上がってくるのだ。完全に二次元と三次元が入り混じっている。恐らくこれは、空を飛ぶカラスの視点から見たロンディーグなのだろう。遠くの景色は鳥の視点から形作られ、近くの景色は地に足がついた人間の視点から再構成されている。


 そんな二重の構造に、シディが慣れる暇もなかった。


「カー! カー! 侵入者発見! 侵入者発見!」


 カラスの鳴き声と人間の大声とが混じったその声は、三人の頭上から投げかけられた。


「カー! カー! 人間発見! 人間発見!」


 すぐさまマーシャは真上を見上げた。羽音が聞こえる。それもカラスのそれにしては、ずいぶんと大きな羽音が。


 建物の屋根付近で、二羽のカラスが羽ばたきつつホバリングしている。だが、その姿は軍服を着た人間が混ぜ合わさったデザインだ。言うなれば、カラスの頭と翼を有する天使のような姿である。軍服を着た上に手に小銃を持った天使など、前代未聞ではあるのだが。二羽のカラスはこちらを見て、しきりに大声で叫んでいる。


「おやおや、早速ばれてしまったようだね」

「ちょっと、どうするんですか! 見つかっちゃいましたよ!」


 ダヴィグはのんきに空を見上げているが、シディは焦る。明らかに連中はこちらを歓迎してはいない。


「連中は空を飛べるんだ。歩くしか能のない僕たちなんかすぐに見つけてしまうよ。それに僕たちはこの領域の異物だ。どうせすぐに見つかる」


 ダヴィグが状況を説明しているうちに、二羽のカラスが小銃を構えたままこちらに向かって降りてくる。


「動くな!」

「手を上げろ!」


 だが、姿を現したのは彼らだけではなかった。二羽の上げた警戒の叫びが周囲に伝わったのだろう。次から次へと、四方八方からカラスたちが三人の周囲にやって来る。


「人間だ!」

「人間がいるぞ!」

「なんでここに?」

「しかも三人!」

「三人もいる!」

「大きいのとちっちゃいのと中くらい!」

「人間だぞ!」

「珍しいな!」

「ちょっとこっち向いてくれよ!」

「あ、こっちも!」

「目線お願いします!」

「サインも!」

「スマイルも!」

「笑って! ほら笑って!」

「もっとよく見せてよ!」


 カラスたちは、ある者は地面に降りてこちらを覗き込み、ある者は上空を旋回しながら興味深げにこちらに視線をやり、さらにある者はホバリングしつつ穴の開くほどこちらを見つめている。どうやらマーシャたちに興味津々らしい。口々にがなり立てるその声はやたらと響き、一斉に喋られると鼓膜がおかしくなりそうになる。


「ものすごくうるさいですね……」

「まあ、本質はカラスだからね……」


 さすがに顔をしかめるマーシャに、ダヴィグは苦笑する。これはカラスの姿を取る妖精の一種だろう。本来無形の妖精がわざわざカラスの姿を取るのは、その特性を真似るためだ。群れをなして行動し、やかましく、さらに好奇心旺盛なのは、すべてカラスの習性である。


「なぜ人間がここにいる!?」

「目的は何だ!?」


 狂騒とも言えるカラスたちの騒ぎが少し収まってから、マーシャたちを発見した二羽のカラスがこちらに質問してきた。鳥によく似たその手は、今も油断なく小銃を構えている。


「あなた方のリーダーに、会いたくて」


 マーシャは銃を恐れることなく、端的にそう答えた。



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