08・失踪の事件 と 漆黒の歴史 の 話

08-1



 ◆◇◆◇◆◇



 イローヌ。ロンディーグの北東に位置する、現在は牧畜と漁業で生計を立てている小さな町である。歴史的に見れば古代の史跡があちこちに見受けられ、時折歴史の授業の一環で学校の生徒たちが訪れることもある。だが、普段は静かでやや閉鎖的な町だ。


「本当にこんなところにいるんでしょうか?」

「少なくとも、彼はここで消息を絶っている。何の手がかりもない以上、まずはここから捜索を始めなくてはな」


 牧場を横切って海に続く道を歩きつつ、マーシャとエルロイドは会話を続ける。


「あ、可愛いウマがいます。おいで」


 マーシャの視線がエルロイドから、こちらに向かって近づいてきた一頭のウマに向けられた。


「まだ子供かな?」


 とことこと近寄ってきたそのウマの大きさは、どう見ても子馬である。


「それは既に成体だよ。ポニーだ」

「えっ、こんなに小さいのに? 可愛いです」


 ずいぶんと人なつっこい性格らしく、マーシャが柵から手を伸ばして頭を撫でても、ポニーは大人しくされるがままになっている。


「体が大きくて力が強ければ、それだけで優れた種として確立するのではない。生態系には様々なポジションがあり、そこに様々に適応した生物がおさまっている。ただ単に大きくて強くて硬い生物が勝つだけの単純な生態系ならば、今頃この星は恐竜のものだ」


 急に生物学の講義を始めるエルロイドだが、マーシャはポニーに夢中で聞いていなかった。



 ◆◇◆◇◆◇



「やはりこの辺りですね」


 その後ポニーに別れを告げたマーシャとエルロイドは、海岸を歩いていた。マーシャはしきりに周囲を見回し、エルロイドはその後に続いている。


「君には見えるのか。便利なものだ。さあ、速やかに目的地を見つけるんだ」

「教授、人を猟犬みたいに言わないで下さい」


 そう言いつつも、彼女はあちこちに目を凝らす。


「ここです。この洞窟が入り口のようです」


 やがて、二人がたどり着いたのは海岸沿いにある大きな洞窟だった。


「出入りはあるかね?」

「いいえ。出入りした様子はありません。閉じています」

「ふむ。……穴居生活を営んでいる、というようでもなさそうだな」


 マーシャの答えを聞いて、エルロイドは中を覗き込んだ。


「では、頼む」

「はい」


 一度うなずいてから、マーシャは一歩前に進み出る。その二枚目の瞼が開かれ、深緑の左目が薄暗がりの中で輝いた。それは妖精の秘密を暴き、その姿を白日の下にさらす妖精女王の目だ。


「……洞窟に門とは、いやはや恐れ入るよ」


 彼女の目によって、洞窟の闇を吹き散らすようにして中から姿を現したのは、錆びた鎖の巻き付いた門だった。



 ◆◇◆◇◆◇



「先程から、まったくこれはいったい何なんだ!?」


 錆びた鎖はマーシャが触れただけで崩れ落ち、門はやはり彼女が触れただけで開いた。それを横目で見つつ意気揚々と中に入ったエルロイドだったが、半時間もしないうちにうんざりしたと言わんばかりの声を上げていた。


「なんだか、お話の中にいるみたいです。ねえ教授?」

「それも、まるで幼児向けの絵本の中だ。古来の神話伝説の類を簡易化して再現しているようだな」


 二人が今いるのは、どういうわけか森の脇を通る街道だ。


「助けて下さい! 英雄様!」


 少し離れた森の入り口では、古めかしい馬車が横倒しになり、火が燃えている。巨大なドラゴンに連れ去られようとしているのは、ドレスを着た妙齢の貴婦人だ。


「やかましい! 私は英雄ではない。私はヘンリッジ・サイニング・エルロイド。むしろ英才である!」


 必死に助けを求める貴婦人に、エルロイドはにべもない。


「助けて下さい! 英雄様!」


 だが、貴婦人は絶望する様子もなく、まったく同じ調子でまったく同じ台詞をまったく同じように繰り返している。これで四台目の馬車と四人目の貴婦人だ。


「さあ、俺がお前をさらってやる。付いてこい」


 続いてウマにまたがってあらわれたのは、装飾過多の鎧を身につけ、しかし兜をかぶらずに素顔をさらした騎士だ。白い歯を見せてワイルドに笑いつつ、マーシャに手を差し伸べる。


「せっかくの申し出ですが、遠慮いたします」


 エルロイドとは違い、マーシャは丁寧にその誘いを断った。


「さあ、俺がお前をさらってやる。付いてこい」


 だが、騎士は気分を害した様子もなく、まったく同じ調子でまったく同じ台詞をまったく同じように繰り返している。これで五匹目のウマと五人目の騎士だ。


「頭が痛くなりそうだ。いや、既に痛い。こんなことなら頭痛薬をもってくるべきだったな」


 先程からの陳腐なやり取りに、エルロイドは額に手をやって目を閉じる。実際、門をくぐってからずっとこの調子なのだ。洞窟の中は幻想的な森に変じ、何度も何度も同じ光景と人物とやり取りが繰り返される。まるで寸劇だ。恐らく向こう側としては、エルロイドが颯爽と貴婦人を助け、マーシャが騎士の申し出に応じることを望んでいるのだろう。


「戻りましょうか」

「いや、構わん。下らんことはさっさと済ませよう」


 明らかに、これは妖精のいたずらである。だが、それにしても異常だ。出来の悪い学芸会を何度も繰り返しているに等しい。


「それにしても、どうして同じ台詞の繰り返しなんでしょうか。寸劇だとしても、もう少し台詞にバリエーションがありそうなものですが?」


 さすがに不信感を覚えたマーシャが、そんなことを口にする。


「その程度の知能しかないのだろう。あるいは…………」


 エルロイドはしばらく考えてから、仮説を口にする。


「老朽化してあちこちが壊れているのか」


 そう言われて、マーシャは周囲を見回した。まるで、書き割りに綻びを見つけようとするかのように。



 ◆◇◆◇◆◇



 ようやく二人がたどり着いた先は、丘の上に立つ一軒の豪勢な屋敷だった。


「終点がここか。思ったよりも小さな箱庭だったな」


 そう言いつつ近づくエルロイドたちの前で、屋敷の扉が開き、中から一人の人間が姿を現した。


「ようこそ。俺の領地に。歓迎しよう、異邦の客人たちよ」


 黒ずくめの格好にマントをはおり、帯剣した十代の少年である。


「ダラン・フーハンガーかね?」

「ふっ……」


 すかさず名前を聞くエルロイドに、少年は芝居がかった仕草で笑う。


「それはかつての俺の名だ。今はその名は捨てた。名も、人生も、過去も」


 そう言うと、彼は胸を張る。


「今の俺は漆黒公ツァーテス・シュテンヴェルム。この異界を治める領主だ」

「何だって?」

「漆黒公ツァーテス・シュテンヴェルムだ」

「すまないが、もう一度言ってくれないか。君はベールズ・フーハンガーの息子のダラン・フーハンガーだろう?」

「だから違う! その名はもう捨てたって言ってるだろ! 俺は漆黒公ツァーテス・シュテンヴェルム。漆黒公ツァーテス・シュテンヴェルムが今の俺なんだよ!」


 何度も本名を連呼するエルロイドに、ついに自称漆黒公ツァーテス・シュテンヴェルムが怒った。先程までの傲慢そうな態度をかなぐり捨てて、地団駄を踏みかねない勢いで大声を上げる。


「何が何だか分からないし分かりたくもないのだが、まあとりあえず数千歩譲ってそういうことにしておこう。漆黒公ツァーテス・シュテンヴェルム君」


 とてつもなく面倒くさい人間を相手にしている表情で、エルロイドはようやく折れた。


「よろしい」


 ほっとしたのか、ツァーテスは再び傲慢そうな顔でうなずく。彼の出で立ちはやや古めかしく、よい生地を使っているが、なぜか黒一色なのが寂しい。腰から下げているのは、異常に刃の幅が広い剣だ。


「せっかくだから、挨拶代わりに俺の力の一端を見せてやろう。なあに、俺が魔神から奪った力のほんの千分の一程度だがな」


 マーシャの視線が剣に向けられているのに気づいたのか、ツァーテスは得意げにそう言うと、すたすたと歩き出す。二人から少し離れると、彼は柄を右手で握りしめ、突然叫んだ。


「さあ、お前の力を見せてみろ! 天さえ喰らう混沌の魔剣よ!」


 彼は腰の剣を抜き放つ。それは、刀身が虹色に輝く光に覆われた不可思議な剣だった。


白日を切り裂き虹を創る剣ズェッターヒュング!」


 その名を高らかに叫ぶと共に、彼は剣を横薙ぎに振るった。次の瞬間、刀身に宿る虹色の光が刃となって大気を切り裂いて飛んでいく。


 ややあって、凄まじい爆音が遠くから聞こえた。遙か遠くの山の頂に、その虹色の光は衝突し、そこをものの見事に粉砕しつつ切断していたのだ。


「どうだ? こんなことができる帝国人など、どこにもいないだろう?」


 凄まじい破壊力を二人に見せつけることができ、ツァーテスは胸を張りつつ剣を鞘に収める。


「ど、どうして!?」


 無関心な様子のエルロイドとは裏腹に、マーシャは驚愕していた。いくらなんでも、ただの人間が剣の一振りで山の一部を粉砕するのはやり過ぎである。


「だから言っただろう。これが魔神の力だ」


 だが、彼女の驚きがツァーテスにとってはこの上ない賛辞だったようだ。


「付いてこい。久しぶりの客人だ。歓迎してやろう」


 口ではそう言うものの、いそいそと彼は屋敷に向かって歩いていく。


「ずいぶんと偉そうな態度だな。根拠のない自信は見ていて痛々しくてかなわん」


 憤懣やるかたない様子のエルロイドに、マーシャは半ば呆れつつ口を開いた。


「教授」

「何だね?」

「鏡って、見たことあります?」


 そう言うと、マーシャは少年の後に続いて屋敷へと向かった。



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