01・はた迷惑な冤罪 と はた迷惑な教授 の 話
01-1
◆◇◆◇◆◇
「君の名前は、マーシャ・ダニスレート。年齢は二十二歳。北部コールウォーン出身。現在は首都ロンディーグで一人暮らしをしている。住所はバーネンストリート124-1。職場はマガノ・デーチェスの経営するパン屋の店員。結婚歴はなし。同居人もなし。そして犯罪歴もなし。…………以上、何か事実と異なる点はあるかね」
警察署の薄暗い取調室で、目の前の警吏が読み上げる調書の内容に、マーシャは椅子に座ったまま首を横に振る。動きに合わせて、やや茶色がかった金髪が揺れた。
「そんな人畜無害の人間が、なぜフーリガンどもの悪質な悪ふざけに荷担したのか、俺は理解に苦しむな」
警吏が半ば苛立たしげに、半ば呆れたような声を上げる。
「都会暮らしが肌に合わなかったのか? それにしても、もう少し鬱憤の晴らし方というものがあるだろうに」
口調で分かる。この男性は、マーシャが悪事を働いたと頭から信じ込んでいるのだ。
「鬱憤を溜め込むほど、私は現在の生活に不満を抱いていませんが?」
マーシャは平然と言い放つ。
長い前髪に隠れがちだった両目をさらし、疑い深そうな相手の目と自分の目とを合わせる。それまではあまり目立たなかったが、こうやって顔を上げると、彼女の容貌は人並み以上に整っている。一見儚げに見えて、芯の強そうな顔立ちだ。警察署という場所で、男性相手に一歩も引かない性根の強さが、その外見から滲み出ている。
「だが、こちらも多くの人から目撃証言を得ているんだよ」
彼女の反論を、警吏は面倒くさそうに聞き流す。
「あのはた迷惑な若造どもがバカ騒ぎをして市民の皆様に大迷惑をかけている最中に、君の姿があったことを」
あんまりな物言いに、マーシャはため息をつく。いつも目立たないようにしているのに、なぜこんな時だけ人目に付いてしまうのか。
「君は外見こそ平凡だが、その左右の色が異なる瞳は見間違えようがない」
警吏にそう言われ、マーシャはうつむく。前髪を長めにしているのは、自分のこの両目を隠すためだ。右目がくすんだ青。そして左はまばゆいばかりの緑。彼女の目は、世にも珍しいオッドアイだ。しかし、それだけではない。この異様な目は…………。
どうすれば分かってもらえるのか。自分はフーリガンたちと一緒になって暴れていたのではなく、あの場に偶然居合わせただけだということを。目立ってしまったのは、とても説明しづらいこの左目と関係があるということを。なおもマーシャが口を開いて、自分の無実を訴えようとしたその時だった。
「――その女性が今日の午後、あの暴徒どもと一緒になって往来でデモ行為を行い、さらに周囲の人々に暴行を働いた、と本気で思っているのかね。だとしたら、度し難いほどの理解力と思考力と判断力と精神力の退行だ。嘆かわしい。君は今すぐ辞表を出して、動物園に就職したまえ。サルと共に檻の中にいる方が余程似合いだ」
突如取調室のドアが全開にされるや否や、誰かがとんでもない早口と共に室内に入ってきた。革靴の立てる靴音と、ステッキの先端が床を突く音とが同時に重なる。
「だ、誰だっ!?」
声の主は、警吏の問いを完璧に無視した。
「まったく、市民を事実無根の容疑で確保するときだけは、警察も手際がよくて困る。実にいい迷惑だ」
取調室に入ってきたのは、一目見て高級と分かるスーツに細身の長身を包んだ、壮年の紳士だった。室内だが、かぶっている山高帽を取りもしない。紳士は呆然としている警吏の前を横切ると、つかつかとマーシャの前に歩み寄る。その怜悧そうな切れ長の目が、マーシャの青と緑のオッドアイとかち合う。
「ようやく見つけたよ。世にも珍しい〈妖精女王の目〉の持ち主を。そうだろう?」
紳士はマーシャの顔を見るなりそう尋ねた。
「妖精女王の目?」
「何だ、知らないのかね。君は歴史と伝説にずいぶんと疎いな。帝国臣民として恥ずかしくないかね?」
知っていて当たり前と言わんばかりの紳士の態度に、マーシャは警吏の方を見て尋ねる。
「ご存じでしたか?」
「し、知るわけがないだろう」
警吏は律儀に答えるが、やはり彼も知らないらしい。無知な二人に紳士はため息をつく。
「秘された妖精郷、その影ノ国に住まう妖精王の加護を受けた証。深緑に輝く目を授けられた者は、人間でありながら百を超える種類の妖精を見分け、その秘密をことごとく暴くと伝えられているのだが……」
紳士の目がじろりと、当惑気味のマーシャを見る。
「君は妖精の実在を信じているかね?」
「え、わ、私は……」
苛立たしげに彼は腕を組む。その中流階級に属すると思われる出で立ち。プライドの高そうな物腰。尋問するかのような早口。何から何まで、彼を構成する全ての要素が、大学かそれに類する高等教育機関に属していることを主張していた。
「はい、か、いいえ、で答えたまえ。曖昧な返答は許さない。もちろん、嘘もだ。この期に及んで嘘など無意味だよ」
「……はい」
どういうわけか、紳士の言葉には力がある。初対面だというのに、正体不明だというのに、真面目に答えなければならない、と強制されているかのような圧力があった。
「その左目で見えるからかね?」
「はい」
「常に?」
「いいえ、普段はぼんやりとしか見えません。意図して見ようと努力しないと、はっきりとは見えません」
紳士は、興味深げにマーシャのオッドアイを見ている。不気味に思っているようではない。かといって、観賞しているようでもない。まったくの第三者の視点、まるで標本か剥製でも見ているかのような、冷静そのものの目だ。
「ふむ、任意にピントを調節可能ということか」
紳士はあごに手をやり、しばらく考えている。
「逆に、見ようと思えば必ず見えるのかね?」
「試した回数は少ないですが、ほぼそうです」
初対面の人間に、いったい自分は何を言っているのだろう。マーシャはそんなことをかすかに思う。まるでこれでは、質疑応答をする教授と生徒のようだ。
だが、マーシャの言葉は真実だった。彼女の左目は、妖精としか言いようのないものを見ている。今日もそうだった。デモを行うフーリガンの一人につきまとう、小人のような何かが見えていたのだ。あまりにもその何かが悲しそうで執拗だったため、思わずマーシャはデモ行進の中に入り込んでいた。しかしその結果が、警察署での事情聴取である。
マーシャの同意に、しばし紳士は無言だった。だが、やおら彼は拳を握りしめ、全身を振るわせる。それだけでなく、紳士は天井を見上げて大声で叫んだ。
「――――素晴らしい! これが妖精女王の目の力なのか!」
正真正銘、紳士は感動していたようだ。それまでの冷徹さをどこかにかなぐり捨てて、彼は熱っぽく言葉を続ける。
「私はずっと、君のような存在を探していた! 妖精と呼称される生命体の研究のため、北は荒波の打ちつけるフォーダーク諸島から南は古めくヴォルンザアドの蛇人遺跡まで、国中をかけずり回った。だが今ここに、私の求めていた人材がいるではないか!」
紳士は一人で盛り上がると、きびすを返してドアの方に向かい、しかしすぐに振り返った。
「何をしている。君はこんな穴蔵にいる必要など毛頭ない。一分、一秒が惜しい。何しろ君は、これから私の助手になるのだ。下らない冤罪などにかかずらっているひまはないぞ。早く一緒に来たまえ。私の貴重な時間をこれ以上浪費させるつもりかね?」
紳士は再び大股でマーシャの方に近づくと、強引にその手を取って立ち上がらせようとする。
「ちょ、ちょっと待って。待って下さい!」
「そうだ、待て! どういうつもりだ!」
勝手にマーシャを署から連れ出そうとする紳士の行動に、ようやく金縛りにかかっていたかのように硬直していた警吏が動き出す。
「何だね君、まだそこにいたのか。さっさと職務に戻りたまえ」
だが、紳士の目つきは冷たい。
「君たちが彼女に被せようとしている罪など知ったことか。もっと頭を使いたまえ。君たちのそのカボチャ同然のお粗末な頭ならば、三日ほど必要だが、彼女が無実であり潔白であることが分かるだろうな」
面罵に等しい紳士の暴言に、ついに相手は堪忍袋の緒が切れたらしい。隣にいるマーシャがかわいそうに思ったほど顔を真っ赤にし、警吏は怒鳴った。
「いったいぜんたい、お前は誰だ! 何の権利があってこんなことをする! ましてややって来るなり妖精がどうのこうのと……寝言もいい加減にしろ! そんなものがいるわけないだろ!」
確かに、いきなり自己紹介もせずに署に押しかけるなり、妖精だの何だのと口走る紳士に困り果てるのも無理はない。
だが。
「君、聞き逃せない失言だぞ」
電光石火の勢いで、なおもわめこうとする警吏の鼻先に、紳士のステッキの先端が突きつけられた。警吏が後じさってから、おもむろに紳士はステッキを降ろし、ようやく遅れに遅れた自己紹介をする。
「私の名前はヘンリッジ・サイニング・エルロイド。ドランフォート大学で教鞭を執っている」
やっとの事で紳士は帽子を取ると、短く一礼する。
「そして、畏れ多くも女王陛下より、この国に住まう不可視の寓話生命体の研究を仰せつかった者でもある」
――――これが、妖精女王の目を持つマーシャと、ドランフォート大学一の変人と呼ばれたエルロイド教授との、何とも締まりがない滅茶苦茶な出会いだった。
◆◇◆◇◆◇
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