オタクなボクでもダンスでヒーローになれますか?

雷藤和太郎

出会い 01

 早朝。新幹線を降りた女井おないとおるは、半袖で露わになった二の腕をさすった。

 雲の中にいるかのように、駅構内は霧がかかっている。コンクリートの塗り壁は、新幹線の長さを超えて向こうまで続いており、その先端は霧で見通すこともできない。警笛を鳴らした流線型の新幹線が、そのエメラルドグリーンの車体をゆっくりと滑らせていくと、やがて霧の中に飲まれるように消えていった。

 東京からほんの二時間も北上ほくじょうすると、これほど涼しいのか。

 とおるはわずかな人々の動きに従って、改札口へとむかった。利用者に比べて広すぎるほどの構内に、透は上着を持ってこなかったことを後悔した。寂しげにポツンと一台置いてある自動販売機からホットコーヒーを一本買って、手のひらでその温かさをつつむ。

「透」

 呼ぶ声が構内に反響した。声の主を探すようにキョロキョロと辺りをうかがうと、改札の向こうで大きく手を振っている女性が一人。

「こっちこっち」

 言われなくとも改札は一か所しかない。のっぺりした駅員が窓口にぼんやり立っているだけの改札を抜けると、女性は大股で透に近づいてハグをした。

「久しぶりね」

 頭一つ分小さい女性は、背伸びをして透の首に両腕を回す。ジーンズのホットパンツに胸元が肩の辺りまで大きく開いたビビッドピンクのシャツ。構内を行く学生からスーツ姿の男性、老人にいたるまで全員が彼女に目を奪われていた。

「アゲハ」

 透は女性の名前を呼んだ。アゲハは真っ白で綺麗に揃った歯を見せて笑い、ゆっくりと透から離れる。

「いらっしゃい、ようこそ那須なす塩原しおばら市へ」

 小さなアゲハが両手をいっぱいに広げて歓迎する。

「こっちはずいぶんと涼しいんだな」

「そう?ずいぶん暑いと思うんだけれど」

 確かに、アゲハの姿は中米のような格好である。小麦色に焼けた肌は、もともと健康そのものな彼女をより健康に見せている。健康的過ぎる女性は、男にとっては時に目の毒であり、彼女の今の格好はどちらかと言うと毒寄りだった。

 前腕ぜんわんをさすり、肌の見えるくびれた腹をさすり、アゲハは首をかしげる。どうやらこの肌寒さが、この辺りの夏では普通のようだ。

「確かに今は涼しいかもしれないけど。まあアレよ、昼間になったら暑いから。それより、さっさと行きましょう。クルマをロータリーに置きっぱなしなの」

「そんなことして良いのかよ」

「良くないからさっさと行くのよ」

 アゲハに手を引かれ、透は久しぶりの那須塩原駅を後にする。

 この前来た時は数か月前。アゲハのダンス教室の子どもたちに、レッスンをしたときだった。今日は、地域の祭りの一ステージで、彼女の教室の子どもたちがダンスを発表する。定期的に開かれるレゲエダンスの大会直前で、最終調整として人前でダンスを披露ひろうする場であり、レッスンを行ったというのもあって、透にも見に来て欲しいとアゲハが招待した。

 新幹線の代金その他はアゲハがもってくれると言うので、たまたま休日だったということもあり、透はその話を受けたのだった。

 駅を出ると、外はさらに寒く、霧も濃かった。こんな中を果たして自動車で運転してよいのかと不安になるほどに。

「大丈夫大丈夫、大した霧じゃないし。ていうか雲の中でしょ、コレ」

「余計に怖いんだが?」

「ライト点けてれば問題ないって。それじゃあ、祭りの会場へレッツゴー!」

 黒のヴェルファイアをふかして急発進する。タバコのにおいもないのにバックミラーに吊るされたモミジ形の消臭剤がグワンと揺れて、自動車は街中まちなかを走りだした。

「祭りかあ」

 ドアの窓枠にひじをついて透が流れる景色を眺める。

「なーに?何か嫌な思い出でもあるの?」

「いや、別に何もないよ」

 渡された祭りのパンフレットを見ても、ステージのタイムスケジュールは、ほとんどが地域の伝統芸能やアゲハのレゲエダンス教室のような発表会で埋まっていた。

 和太鼓、盆踊り、レゲエダンス、中学校の吹奏楽、大学の合唱部、高校のダンス部……。

「……ダンス部なんて、珍しいな」

「最近出来たみたいなんだけどね、ウチの子たちもみんな行きたいって言ってるわ」

「ふぅん」

 それが全ての始まりだった。

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