第3話 架け橋


 魔王としての衣装に着替えてから、俺は女官や文官たちにいざなわれ、魔王城の謁見の間に向かった。そこはかつて、あの「魔王マノン」との激戦が行われた大広間である。

 長い階段の上にある雛壇の玉座につくと、驚くべきか、あのギーナが現れた。今の彼女は以前どおりの、あでやかな絹地の衣装をまとっている。耳もぴんと尖っていた。

 ギーナは俺と目が合うなり、ゆったりと微笑むと、優雅に衣の裾をひいて俺のそばにやってきた。


「ギーナ。これは──」

 呆気に取られている俺の顔がよほど面白いのだろう。ギーナはふふっと、さも楽しげに笑った。

「そうなんだよ。あんたもあたしも、はこっちに残った。……あのマノンのこと、覚えてるだろ?」

「ああ──」


 そういえば。

 真野は、「魔王マノン」としてこちらで死んだとき、自分の一部をあの少年マルコの体内に残した。あの「魔獣の種」と同様に、「魔王の種」とでもいうべきものをほんの一部だけ、こちら世界に残しておいたのだ。そのために、あちら世界で眠っている間だけ、あいつはここで真野として活動することができた。

 ……と、いうことは。


「まさか、俺も?」

「そ。これもドラゴン様のお計らいさ。こっちで眠っている間は、みんなが魔法で体の維持をしてくれてる」


(なんてこった──)


 いにしえのドラゴンは、ギーナの切なる願いを受け入れた。だが、それと同時にこの世界の人々の安寧のことも考えてくれたようだ。

 やっと平和が訪れるかと思われた矢先、魔族の国の国政改革も端緒についたばかりのこの時期に、「魔王ヒュウガ」がいなくなるのはあまりに痛い。それは、四天王たるルーハン卿とゾルカン、そしてヒエンとフェイロンも、意見を同じくするところだったらしい。


 もちろん彼らは、このうちの誰かが次の魔王になることも視野には入れていたはずだ。それも、つい最近四天王になったばかりのヒエンとフェイロンでは無理がある。つまりは「ルーハン卿かゾルカンか」の二択というわけだ。

 だが、そのいずれになるにしても、どうもその先の見込みが立たなかった。要するに、どう考えても「魔王ヒュウガ」なら実現させたであろう未来を、皆が思い描くに至らなかったのだ。


 まず、なんと言ってもヴァルーシャ帝国とのつながりが大きい。かの皇帝ヴァルーシャと、その側近であるフリーダやデュカリス。魔族側でかれらと個人的に面識があり、交渉相手として一応の信頼を得ていたのは「魔王ヒュウガ」だけだった。

 ここで魔王がすげ替わってしまったのでは、両国の友好関係は一歩も二歩も後退することになる。「元の木阿弥」とまではいかないまでも、同様の信頼を築くには多大な努力と時間を要することになるだろう。恐らく、その事態は避けられない。


『今後、人族側の国々との盤石ばんじゃくなる架け橋たりる者。それは今日こんにち魔族の国に、魔王ヒュウガ陛下をいてほかになし。かの御仁を抜きにして、我らがこの局面をうまく乗り切ることは叶いますまい』──。


 ルーハン卿の、この最後のひと言が駄目押しだった。ゾルカンはしかめっ面を装いつつもひとつ頷き、フェイロンとヒエンも首肯した。

 そして。

 四天王は遂に声をそろえて、あの古のドラゴンに願い出たというのである。

 つまり、

『魔王ヒュウガの<魔王の種>を、どうかこちら世界に残して欲しい』──と。


「もちろん、マノンの種は引き上げさせたよ? あのままじゃあ、あんまりマルコが可哀想だったからね」

「ああ。それは、そうだろうな」


 マルコにはマルコの人生がある。これ以上、真野に体を勝手にされるのでは気の毒すぎるというものだ。

 当の真野はどうかというと、実は相当、渋ったらしい。今後のこちら世界の顛末をその目で見たいと、かなりゴネたようだ。が、こればかりは聞けない相談だった。

 結局、「魔王の種」はドラゴンにより、あっさりとマルコの体から引きはがされた。


 巨大なドラゴン二頭はそれらの仕事を終えると、ふたたびすさまじい稲妻を飛び散らかせ、嵐のように渦巻く雲を霧散させて、あっという間に姿を消した。つまりはまた再び、元通りにこの世界のあらゆる場所に溶け込んでしまったということだろう。


(そうか……)


 俺は、心の中でドラゴンたちに感謝した。

 まことに俺たちだけであったなら、とてもこうは行かなかっただろう。あのドラゴンたちと俺たちとをつないでくれたリールーやガッシュにも、よくよく礼を言わねばなるまい。

 そう思った時だった。


《はっは! 礼なんていいんだよー》


 頭の中で聞こえたのは、もちろんガッシュの声だった。

 見れば城の壁に開いた大窓の外に、あの黒いドラゴンが翼を開き、風を巻いて飛び回る姿が見えた。


《ヒュウガの種、残してくれてマジよかったぜー。お前がいなかったらオレ、絶対、めっちゃめちゃつまんねーもん》

《ガッシュ──》

《なあ、また飛ぼうな? 色んなとこ、行こうぜー。これからは北側だけじゃなくって、南側にも飛べるかもなー? いろいろ、楽しみー!》

 ガッシュの思念はうきうきと楽しげだ。

《……そうだな。これからもよろしく頼むぞ、ガッシュ》

《おおよ。まかしときー!》


 オオオオン、と黒きドラゴンが得意げに雄叫びを上げる。

 と、そのときだった。


「ヒュウガっち! ギーナっちー!」

「ヒュウガ様! ギーナさんっ……!」


 謁見の間の入り口から跳びはねるようにして入ってきたのはレティ。続いてライラも、息せき切って走りこんでくる。彼女たちはすぐ、階段を駆けのぼって玉座のところまでやって来た。


「お目ざめになったんですね! ああ、良かった……」

「ほんとにゃー! ギーナっちも、あっちでヒュウガっちにちゃんと会えたにゃ?」

「ああ、会えたよ。ありがとね」


 ギーナが軽くウインクを返す。

 さらにその後ろから、シャオトゥとマルコやギガンテもやってきた。宰相ダーラムと、高位の文官や武官たち。さらに、あの王立学問所で教鞭をとってくれている女性たちや、魔王城に仕える兵士らや女官、召し使いたち。それら大勢が続々と詰めかけている。

 やがて広い謁見の間は、人々がびっしりとひしめくような状態になった。

 種族ももちろん、様々だ。

 青い肌の人型をした魔族たち。ギガンテと同じ蜥蜴族リザードマンに、ダークエルフ。巨躯をしたバーバリアン。さらに、ヒエンのような獅子顔など、獣の形質を持つ者たち。


「……では、陛下。みなにどうか、お言葉を」


 宰相ダーラムがそう促して、俺は玉座から立ち上がった。

 途端、ざわついていた謁見の間はしんとなる。


「……みんな、済まない。このたびはまことに、心配をかけた」

 第一声からそう言って、俺はまずは頭を下げた。

「今後は、どうしても今までどおりという訳にはいかなくなるが。どうか引き続き、俺に力を貸して欲しい。この魔族の国と、人族側の国々との平和と友好、そして民らの安寧のため、より豊かな国づくりを目指したい。そのために、俺も今後は粉骨砕身、努力を惜しまないつもりだ」


 一度顔を上げてから、俺は皆をひとわたり見た。

 レティの顔にも、ライラの顔にも、ほかのみんなの顔にも、輝いているのは未来への希望だ。いや、そうであってほしかったし、そのために俺も、できる限りのことをしようと思った。


(……不思議なもんだな)


 最初、この地へ連れてこられた当初。「青の勇者」であったころには、思いもかけなかったような未来絵図。

 それを今、魔王になってここまで成就したいと思えるようになるなんて、当時は想像もしていなかった。

 貧しく、苦しかったみんなの生活を、少しでも安定させる。敵に怯え、強者から搾取されて泣くばかりの弱い人々にも、必ず希望があるように。

 ……そういう国に、してやりたい。

 いや、みんなと創り上げたい。

 そうしてそれは、たった一人で成し得ることではありえない。

 だから。


「どうかみんな、よろしく頼む」


 俺はあらためて、深々とみんなに頭を下げた。

 謁見の間に、張りつめたような静寂がおりる。

  

 ……が、やがて。


「も……、もも、もちろんにゃー!」

 真っ赤な顔をしてレティが叫んだ。ぴょんぴょんと俺の周りを跳びはねまくっている。

「なに言ってるんにゃ、ヒュウガっち! みーんな、そのつもりでここに集まってるんにゃあ!」

「そうですよ! あたり前じゃありませんか、ヒュウガさまっ! っていうか、あたしたちになんにも手伝わせないとか、おっしゃらないでくださいねっ!」

 すかさずライラも叫ぶ。その顔は、完全に憤慨している。


「そ、そうですとも、魔王様!」

「わたくしたちだって、そうですわ!」

 ほかのみんなも、おずおずと言い始めた。

「我らにもどうぞ、新たなるヒュウガ陛下の御国みくにへの道を。その建国の栄誉をお与えくださいませ」

「せめても、あなた様のご政道の末席にお加えくださいませ!」

「我らは魔王ヒュウガ陛下とともに、豊かな国づくりに邁進する所存にございまするぞっ……!」


 やがて人々の声がうねりを帯びて、謁見の間を満たしはじめた。


「魔王陛下、万歳!」

「ヒュウガ陛下、万歳……!」


──ラア、ラア、ラアアアア……!


 誰からともなく、鬨の声が上がり始める。

 男たちは拳を突き上げ、女たちは明るい笑声をたてて手を打ち叩く。

 この広い空間が、人々の歓声に揺れるようだった。


「魔王ヒュウガ陛下に栄光あれ!」

「どうかこれからも、わたくしどもを導いてくださいませ……!」


 周囲の空気が、喜びと希望に満ちた人々の歓呼に満たされる。

 隣ではギーナとレティ、そしてライラが、満足げに微笑んで目を見かわしている。


 俺は頭を下げたまま、しばらくじっと目を閉じた。

 そして、はっきりと感じていた。

 まさにここから始まらんとする、魔族の国と、人族の国。

 その融和と、平和への道筋を。


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