第6話 少年マルコ


「マルコ……なのか?」

「あ。……は、はい……」


 スナギツネによく似た生き物が、すぐにその胸に飛び込んでいく。それを抱きしめるようにして、少年はおどおどと俺の方を見上げていた。

 マルコ。

 その生き物は、確かピックルとかいったはずだ。

 彼は、もとあの赤パーティーにいた、ミサキの「奴隷」だった少年だ。確か職種は<調教術師エンチャンター>。その名の通り、生き物を「テイム」することにけていた。あのキメラ、マインとプリンをテイムしたのも彼だったはず。

 その彼が、どうして今ごろ、俺に会いたいと言ってこんなところまでやって来たのか──。

 と、そう思ったところでゾルカンが、ちょっと皮肉げな笑みを浮かべた。


「こいつとは、このまんまじゃ話になりやせんぜ。ええっと……そこの姉ちゃん、<魔術師ウィザード>だよな? ちょっとこいつに<誘眠スリープ>かけてみちゃくんねえか」


 そう言った目線の先にいるのはもちろんギーナだ。

 ギーナは一瞬、男の馴れなれしい物言いに鼻白んだようだった。が、俺が頷いたのを見ると、あっさりと例の煙管を取り上げた。

 <誘眠スリープ>は、文字通り相手を眠らせる呪文である。ウィザードたちが修行のはじめのうちに覚える、ごく基本的な魔法だ。今は相手にしたくない敵を眠らせておいて先へ進みたいときなどに、大変有用な魔法である。

 彼女が口の中で静かに呪文を唱えると、マルコがその場に両膝をついたまま、ぐらぐらと上体を揺らし始めた。やがて頭をがくりと前に倒したかと思ったら、すぐにぱっと顔を上げた。

 その途端、彼に抱かれていた生き物が飛ぶようにしてそこから逃げた。


(なに……?)


 俺はまず、その表情の豹変に驚いた。

 マルコはにやにやと変な笑みを顔いっぱいにひろげて、さも楽しそうに俺を見上げていた。いきなり、ひょいと片手を上げている。


「よ。ひさしぶりい。結構、サマになってるじゃん。ヒュウガ」

「なに……?」

 マルコはきょろきょろと周囲を見回し、ひとしきり肩こりをほぐすような仕草で腕を回してみたり、首をひねってみたりした。

「あーあ、なんかめんどくせえ。前も思ってたけど、こいつの身体、小さすぎてオレには合わないんだよなあ。魔力もめちゃくちゃ少ないし──」

「お前は……まさか」

 そう言ったら、マルコは口を見覚えのある形にゆがめてにかりと笑った。

「そ。オレだよ。真野」

 最後のところを「まぁの」と、奇妙に長く伸ばしてみせる。


(まさか……)


 あの時、俺の刃をみずから受けて四散したはずの真野。

 そいつがなぜ、マルコの体を借りてここにいるのか。


「前に、ちょっと言っただろ? オレ、お前のそばに『カメラ君』を置いてたってさ。覚えてねえ?」

「…………」

 そう言えば、そんなことを聞いたことがあるような。

「知ってるだろ? 『魔獣の種』。要は、あれとおんなじことさ。魔王だった時のオレの一部、ほんの一部だけどな。それを、こいつの身体に埋め込んどいた」

 言いながら、真野は親指と人差し指で一センチばかりの隙間を作って見せる。

「ほんっとに一部なもんだから、大した魔力はないわけだけど。ま、それでもお前のことを覗き見するには十分だったし?」

「……そんな趣味があったのか、お前」

「おいおい。人を変態みたいに言うなよな。別にお前の着替えやら、風呂シーンを覗こうってんじゃないんだからさあ」

 当たり前だ。バカ言うな。

「あのマリアがやってんのだって、結局おんなじことだろう? オモシロイ観察対象は、できるだけそばで見ていたいじゃん。オレ、あの女は嫌いだけど、そこんとこだけは気が合ったんだよなあ」

 マルコの顔をした真野は、ぺらぺらと得意げに話し続ける。

「だってお前、クッソ真面目でほんと見てて飽きないもん。オレがばらまいてた『魔獣の種』のことで苦労するとこ、ちゃあんと近くで見たかった。他にも色々、情報収集しなきゃなんなかったし。ちょうどよかったのさ、この子供は。目立たないし、弱いしさあ。なによりお前、絶対こいつのこと、警戒してなかったろ?」


 言われてみれば、その通りだった。

 なるほど、そこは盲点だった。


「だから、こいつの『目』を借りた。お前らの旅の行程を、じっくり追わせてもらってた。お前ら『青パーティー』の行く先々だけで魔獣が出たのも、そのためさ」

「…………」

「つまり、お前らが考えてたことは、基本的にオレには筒抜けだったのさ。お前らのほうじゃ、オレの虚をいたつもりだったんだろうけどな。笑えるだろ?」


 くっくくく、というその笑いは、やはり紛れもなくあの「魔王マノン」のものだった。

 俺は恐らく、苦虫を嚙み潰したような顔だったろう。


「それはそうと。お前、今はどうなってるんだ」

「んあ?」

 真野が片眉をあげる。

「お前の本体はどこにいる。無事なのか。もとの世界へ戻れたのか?」

「あー、うん。それね」

 奇妙に苦笑した顔で、真野はやや決まりの悪そうな様子になった。ちょっと頭など掻いている。

「戻ったよ。別に、戻りたくもなかったけどさ」

 その顔は複雑そのものに見えた。

「今、は病院のベッドにいる。で、眠ってる。ほんとのこと言うと、起きてる間は、あんまりこっちのことを覚えてねえんだ。あっちが眠ってるときだけ、こっちにちょっと戻って来られる。それもこれも、こいつの体に『魔王の種』を置いといたおかげなんだけどね」

「……そうなのか」


 なかなか、衝撃の事実だった。

 訊きたいことが山ほどある。そちらの世界で、俺はどうなっているのか。家族はどう思っているのか。他にも色々と訊いてみたいことはあるが、今、ゾルカンたちがいるここではまずい話に思えた。

 俺はそこで、敢えてゾルカンに目を戻した。

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