第4話 八百万の神々


(マリア……か)


 実はあれ以来、マリアは俺の前にも姿を現してはいない。

 と言うよりも、宰相や四天王たちの言を借りれば、あの「邪教の巫女みこ」が普段こちら側へ現れることはほとんどないのだという。それどころか、こちら側には「創世神」にまつわる信仰、そのものがない。

 そもそも、こちらの人々が奉ずるのは一神教ではないのだ。それはむしろ俺にとってはなじみ深い、自然界のあちこちに存在する八百万やおよろずの神々への信仰に近いものだった。いわゆる、万物に精霊が宿るのだとするアニミズムに類する考え方だろう。

 とはいえ、彼女の干渉がまったく無いということでもない。

 マリアは時に応じて魔王や四天王の前に現れては、その耳にまことしやかに南側の情報を囁いてくるそうだ。

 たとえば今回の、俺と真野の件についてもそうだった。

 

 四天王は、かなり早い段階で「魔王マノン」と「青き勇者ヒュウガ」に何らかの因縁があることを知っていた。だからこそ、先日の連合軍の侵攻にあっても、敢えて自分の領地から動かずに、最小限の反撃をするだけで魔王のもとにせ参じることもしなかった……というのが真相であるらしい。

 マリアは事前にあれこれと四天王の耳に情報を吹き込んで、いざというその時に彼らが動かぬようにと仕向けていた。要するに、あの女はどうあっても、真野と俺との一対一の対決を鑑賞したかったというわけだ。

 その真意も、今となってはわからない。


 ただ、話を聞いてみて思うのは、魔族側の人々は一様に、あのマリアに対して「胡散臭い」というイメージを持っているということだった。この点についてだけは、俺は少しほっとしている。少なくともこちら側の人々は、南側の人々のように「創世神」だのあのマリアたちだのをまつり上げ、妄信してはいないのだから。

 あの女がまったき善意で動いているなどと少しでも信じたゆえに、結果としてライラもレティもあんなひどい目に遭うことになった。その点について、俺は今でもマリアを許してはいない。今後も許すことはないだろう。

 ……いや、「マリアを」というよりは。


、というべきだな)


 この点に関しては、ヴァルーシャ宮の人々もほぼ同意見のようだった。フリーダはマリアに対する嫌悪感を隠そうともしなかったし、少年ヴァルーシャも宰相も一様に眉をひそめる風だった。


「今後、この世界の平和を模索する上で、あの『創世神』の存在は無視できません。俺のもと居た世界では、『神』そのものがあそこまで露骨に現世の人々に介入してくるわけではありませんでした。自分たちがどんなに和平を望んだとしても、あの争いや軋轢を好む『神』が邪魔をしてくればどんな努力も無に帰するでしょう」

『魔王陛下のおっしゃる通りかと思う。しかしあの<マリア>の一人すら捕まらない現状では、そもそものとっかかりからして難しいわけだ』

 子供のものとは思えない明瞭な言葉で、ヴァルーシャは淡々と言う。

『今となっては我らとて、ただ無知蒙昧むちもうまいにあの<マリア>だの<創世神>だのを奉ずるつもりはさらさらない。……そしてできれば、そちら魔族側ともうまくやっていきたいというのが本音だ』


 まあ、それはそうだろう。

 あの「北壁」に割かれている兵士やウィザードたち。その人材も、それを食わせるための財源も、結局は無尽蔵なわけではないのだから。そちらに割かないで済むのなら、国政はいまよりもはるかに潤うことになる。多くのウィザードたちの力があれば、治水や土木の作業も今よりはるかに楽になるのだ。それを望まない支配者などいないだろう。

 ともかくも、その日の会談はそこで果てた。

 水晶球の中からライラとレティが名残惜しそうにこちらを見ている顔が消えていくと、ギーナは魔力の放出を停止し、わずかにほっと息をついた。この遠隔通信を実現させる魔法は、かなりの魔力を消費するのだ。


「ありがとう、ギーナ。疲れただろう。少し部屋で休んでいてくれ」

「え? いや、大丈夫だよ、ヒュウガ。このくらい──」

「いいんだ。無理するな」


 魔力を回復させるには、ともかくも安静が第一だ。できれば横になり、目をつぶってじっとしているのが一番いい。

 俺はギーナを寝所まで送り届けると、その足でとある場所に向かった。





「あ、陛下……!」


 俺の姿を認めるなり、もと魔王マノンのものだった女官たちが床にすっとひざまずいた。部屋の隅にいた美貌の青年が、やや面倒くさげな顔で片膝をつく。

 小ぶりだが清潔な居室である。全体に白や桃色でまとめられた、可愛らしいイメージの部屋だった。真ん中に置かれた応接セットのソファに、兎の耳をもつ少女がちょこんと座っている。シャオトゥだ。

 女官たちの気づかいにより、彼女は今ではみすぼらしかった姿から一変している。その目には相変わらず生気はないが、こちらの国の貴婦人たちが着るような古代中国風の絹地の衣に、あのときギーナが掛けてやった薄紫のマントを羽織っている。

 あまり彼女に近づきすぎないように気をつけながら、俺は少し足を進めた。


「シャオトゥの様子はどうだ?」

「はい。初めの頃よりは、随分と落ち着かれてございます。このごろは、少しずつお食事の量も増えてこられまして」

「そうか」

「夜中には時々、大声を上げて飛び起きられることもありますが……それも少しずつ、少なくなってきているかと」

「そうか……良かった」


 言ってシャオトゥに目をやると、ぼんやりと何を映しているかも分からない彼女の紅い瞳が、わずかに揺れたように見えた。

 今の自分が、ぱっと見、ひどく恐ろしげな姿だという自覚はある。いや、もとが優しそうだったかと言えばまったくそんなことはないけれども。それでもこんな、牡牛の角やら爬虫類の目やらを持っていたわけではないのだから。


「ところで」と、俺は部屋の隅の男に目をやった。「そちらの御仁は、少しはみなの役に立っているのか?」

「え、それは……」


 女官たちがたちまち困った顔になり、互いに目を見かわした。

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