第二章 臣下たち

第1話 交信


《あーあ。魔王になっても、相変わらずかよ。ほんっとお前ってやつは……》


 呆れたような少年の声がどこかから聞こえてくる。

 これはどうやら、いつも見ているあの夢だ。

 ……いや、おかしい。

 その声のあるじは、とっくにこの世界から消えてしまったはずなのでは。

 だとしたら、こいつはどこから、どうやって俺に交信を仕掛けているのか。


《なんだよ。オレのどもがそんなに気に入ったの? お前と『兄弟』とか、やめてくれよな。変態かよ、気持ちわりい》


 いや、違う。

 彼女たちには通常の女官としての仕事を与えただけだ。

 それ以上も以下も、求めていない。

 今後も指一本、触れるつもりなどない。


《アホじゃね? それはそれで、あいつらガッカリさせるんじゃねえの。『陛下はやっぱり、こんな穢れたわたくしたちをお厭いなのだわ』とかなんとかさ~》


 それはまあ、一理あるかもしれないが。


《魔王だったら側付きの女の十人や二十人、かる~く満足させられるようじゃなきゃさあ。四天王にもバカにされるぜ?『今度の魔王は、えらくお子様であらせられるらしい』ってさ!》


 台詞の最後は、けらけらと嘲笑とまざりあって崩れていく。 


 ……うるさいな。

 なんにしても、お前にあれこれ指図されるようなことじゃないだろうが。

 そもそもお前が、もう少し内政に興味を持ってくれていれば、ここまで国が疲弊して、苦労することもなくすんでいたはずなのだ。


《あーもう。夢の中まで説教とか、勘弁しろよ。あんまりクソ真面目でも、人に嫌われんぜ? 弟クンだって、ちょっとボヤいてたんだからな。こんな兄貴が毎日そばにいたんじゃ、そりゃ参るわ》


 なんだって? 弟……?

 いや、待ってくれ。

 それはまさか──


《わかったよ。お前はやりたいようにやりゃあいいだろ。ったく、せっかく魔王にしてやったのに、ろくな意趣返しにもなってないとか……笑うわ、ほんと──》


 声は俺の疑問など一顧だにせず、そんなことをぶつくさいいながら次第に遠ざかっていく。

 

「待て! 真野……!」


 叫んだ自分の声で、目が覚めた。

 見回せば、いつもの魔王の寝室である。豪奢な天蓋のついた寝台。やわらかで清潔な寝具。部屋には俺ひとりだ。灯火の掛けられた壁がぼんやりと明るいだけの、いまだ日も昇らない時間帯だった。

 起き上がると、肩口を長い黒髪がするりと撫でて落ちていく。生まれてこの方こんなぞろぞろした髪型になったことがなく、いまだにどう扱ったらいいのか分からない。ばらばらのままでは面倒なので、寝るときには下のほうでゆるく縛っているのだが。

 慣れないといえば頭部についた大きな角の方もそうだ。だが、こちらは寝ている間だけでも魔法で消しておくことにしている。なにしろあれでは、ろくに寝返りもうてないからだ。


(まさか、本当に……あいつなのか?)


 俺は呼吸を整えると、一度寝台の上で胡坐をかいた。そのまま目を閉じ、さらに息をととのえていく。

 魔王になっても、基本的に俺の日課は変わらない。暗いうちに起きだして、ひとしきり朝の鍛錬をし、それから朝食。その後は政務や各地の視察、各地方から訴状を携えてくる人々や商業ギルドの長などとの面会などで忙殺されることになる。

 その合い間に、文官たちからこれまでのこの国の運営やら歴史など、さまざまなことを教授してもらわねばならない。国政を担っていく上で、頭に叩き込まねばならないことは山ほどあった。

 本来、ひとたび魔王になれば、これぐらいの働きをするのが普通のはずだ。だというのに、聞けばあの真野は、基本的に自分の寝所から出ることも稀だったというのだから驚きだった。


 いまでは女官として仕えるようになった真野の奴隷女たちと、ただれた愛欲の日々を過ごすだけ。でなければ魔獣の種を使って「勇者」だった俺にちょっかいをかける計画を立てるぐらい。……どう考えても、自堕落すぎる。同じ世界から来た人間として、こちらの人々に対してちょっと申し訳ない気持ちになるぐらいだ。

 あいつが女たちと淫蕩の日々を送っていた寝所でそのまま眠るのはあまりにも気分が悪くて、俺は執務室のみならず、そちらも部屋替えをしてもらっている。いま使っている寝室は、本来、真野が使用していた寝所よりははるかに狭くて質素なものだ。

 宰相はもちろんのこと、侍従をはじめとする召使いまで、「魔王陛下ともあらせられる御方が、左様な貧層なお部屋をお使いあそばされましては」と、みな口をそろえて大反対したのだったが、俺は自分の意思を通した。

 まあ考えてみれば、そういう魔王の堕落した生活が、あの「シスター・マリア」の皮をかぶった「創世神」の望むところでもあったのだろうけれど。ともかくも、俺は絶対に、あいつの思い通りになるつもりだけはなかったのだ。


 と、控えめな足音と衣擦れの音が聞こえて、俺はこちらの寝室と小さな扉でつながっている小部屋のほうへ目をやった。別に顔など見えなくとも、それがだれなのかは分かっている。


「……ヒュウガ。起きたのかい」

「ああ。おはよう、ギーナ」

「おはよ。入っていいかい」

「ああ」


 俺は魔王になってみて、自分に魔力があるという状態がどういうものなのかをはじめて知った。以前もある程度までは人の気を感じ取る訓練をしていたけれども、それとはまるで比較にならない。

 人にはそれぞれ、指紋のように固有のオーラのようなものがある。それは人によって、明るさも色もそれぞれだ。今のように扉に遮られていても、相手のオーラは透けて見えてしまう。それは人によって違いがあるばかりではなく、当人が体力や気力を消耗していたり、気分がすぐれなかったりするだけでも変わってくるのだ。

 ギーナは扉を開くと、ほとんど足音もさせずに寝台に近づいてきた。


「今日は、またヴァルーシャからの連絡がある日だね。昼食後ってことだったけど、予定は大丈夫かい」

「ああ、何か急用でも入らない限りは。……また交信では面倒を掛けるが、よろしく頼む、ギーナ」

「あいよ。いちいち、そんなのはいいんだって」


 ギーナはくすりと笑うと、寝台の端に腰かけた。

 薄絹の夜着の上から、絹地の羽織はおりものを掛けた姿だ。俺のに敏感な彼女はいつも、召使いたちが朝の支度のためにやってくるよりもよほど早く、俺のところにやってくる。

 以前は夜など結構な強引さで迫ってくることの多かった女だが、俺が魔王になって以来、そういうことは途絶えていた。共寝をすることこそなくても、彼女はなぜかあれ以来この国で「魔王の正妻」の立場になり、寝所もこうしてすぐそばに確保しているというのにだ。

 ……それがなぜなのかは、なんとなく分かる気がしたが。


「そういえば。今日は彼女たちも、という話だったな」

「ん。……久しぶりだよね、あの子たちの顔、見るのはさ──」


 ギーナもやや声を落として、少し寂しげに笑って見せた。


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