第2話 聖騎士フリーダ


 下げた頭の向こうから、複数の重々しい足音が迫ってくる。やがてそれが、俺たちの前でぴたりと止まった。

 しばしの沈黙のあと、よく通る涼しげな女の声が降ってきた。


「そなたが此度こたびの『青の勇者』か?」

「は」


 俺はそう答えたのみで、顔を上げることもしなかった。それで話は終わりだろうと思ったからだが、相手はなぜか一向に歩き去る様子がなかった。

 女の声は少しれたように、再び言った。


「遠慮せずとも良い。おもてをあげよ」

「……は」


 要するに、「つらを見せろ」とおおせなわけだ。まったく、高貴な連中というのはどいつもこいつも、人に上からものを言って何でも自分の思い通りになると信じて疑わない生き物のようである。

 と、不満に思ったところで仕方がない。俺はゆっくりと顔を上げた。


 まず目に入ったのは、先ほどの皇帝と同様の、金糸で彩られた白い軍装。彼女はそこに赤いマントをつけている。腰には、いかにも高貴な身分の者が持つような、美々しい装飾のほどこされた長剣が一振り、提げられている。

 一見して、顔立ちはあの皇帝とよく似ているようだ。同じハイエルフで、亜麻色の長い髪を後ろの高い位置でひとつにまとめている。つややかで長い髪はそこから豊かに背中に流れ落ちていた。その目は、燃えるような明るいルビーの色だ。

 かたく引き結ばれた唇が、彼女の性格の一端を物語っているようだった。見るからに聡明そうなその瞳で、女はじっと俺を見下ろし、やがてひそかに鼻を鳴らした。


「……今度は、多少はなのが来たようであるな。重畳、重畳」

「な……っ」


 思わず隣のライラが鼻白んだようだったが、俺は軽くその前に手を出して彼女を制した。

 別に、何を言われようが構わない。どうせ俺など、あの無体な「緑の勇者」と同列にしか見られないのは当然だ。ひょいと異なる世界からやってきて、無理やりに三人の女を自分の持ち物にし、望めばいくらでも無責任にまた身勝手に、似たような「奴隷」を持つことができる。あんな幼い子でも容赦なしにだ。

 魔王を倒しに行くという名目はあるものの、それを実行しなくとも一年は遊んで暮らすことが保証されるという、ふざけた身分。堕落する奴が続出してもなんら不思議な話ではない。これで人々からの自然な敬意を望むほうが、よほど無理というものだろう。

 ……無論、俺はそんなことをするつもりはないが。


 女は俺たちを見下ろしたまま、目を細めてしばらくしげしげと観察する様子だった。と、彼女のすぐそばにいた副官らしい士官が言った。

「殿下。あまりそやつにお近づきになられませんよう。なにしろそやつは──」

 もちろんそれは、俺の<奴隷徴用スレイヴ・テイム>を警戒しての言葉だろう。が、女は白い手袋をした手を上げ、即座に男を黙らせた。

「それで? 当初の目的通り、北を目指すつもりがあるのか。それともかの緑色の御仁と同様、あちこちで女漁りでもするつもりかな?」


 何もかも見通すかのような赤い瞳が、皮肉なほどに冷たい炎を宿している。それは俺の内部をくまなく探り、ごくわずかの瑕疵かしをも見逃すまいとするようだった。


「……いえ。明日にもすぐ、北へ出立する心づもりです」

「どうだかな。私の耳にはすでに、新たな『青の勇者』が早速、街なかで<テイム>を使ったという噂が入っているぞ。あれはそなたのことではないのか?」

「そっ、それは……!」

 とうとう我慢できなくなったように、ライラが叫んだ。

「やめろ、ライラ」

「でもっ! これじゃ、あんまり──」

「よい。そこの娘、何か言いたいことがあるのか? 発言を許す。申してみよ」


 女はどこまでも高圧的だ。ぐいと顎を上げたまま、こちらを睥睨へいげいする様子を隠そうともしない。そんなところまで、あの皇帝とよく似ていた。

 ライラはぐっと一瞬、言葉に詰まった。居並ぶいかめしい顔をした近衛の士官たちが厳しい目で見下ろしているのだ、当然だったろう。しかし、ライラは腹を決めたように顔をあげ、むしろ凛とした声で言い放った。


「ヒュウガ様は、左様なお方ではありません。街で<テイム>を使われたのは、あの緑の勇者から子供たちを救われるためでした。その後ちゃんと、子供たちは家に送り届けられています。疑問に思われるなら、そちらでちゃんと調べてくださればいいんだわ……!」

「ライラ。無礼ですよ」

 静かに言ったのはマリアだ。

「申し訳ございません、フリーダ様。田舎の小娘の申すにございますれば。どうか寛大なお心でお聞き捨てくださいませ」

 ごくしとやかに、ゆるやかな微笑みまで浮かべて言う。

 それを見て、何故か女──フリーダと言うらしい──が不快げな顔になった。


「そなたの方が、余程気にさわるというものさ。気色の悪い人外もどきが──」


(え……)


 俺は思わず、女とマリアとを見比べた。

 今、この女はなんと言った? 「人外もどき」……と、言わなかったか。

 俺の反応を敏感に察知したのか、女はさらに皮肉な形に唇を歪めた。


「なんだ。そなた、正体を知らぬまま、を伴っておるのか? そなたを害することこそなかろうが、それはなかなかの曲者ぞ。あまり信用しないが吉だと思うがな、私は」

「それは……?」

「ヒュウガ様。その件は」

 ぴしりとマリアが遮った。

「これ以上、こちらで長々と殿下を足止め申し上げてはご無礼です。お気になられるなら、後でゆっくりご説明さしあげますので」

 俺は少し考えたが、素直にひとつ頷き返した。

「了解です」

 

 俺たちのやりとりを冷ややかな目で見下ろしていたフリーダは、やがてみんなをじろりと一度眺め回してからうっすらと笑った。それはいかにも、小馬鹿にした笑みだった。


「それにしても。今回も色々と取りそろえたものよなあ。ヒューマンにダークエルフ、それにそっちにいるのは猫族バー・シアーか? なんでもよいが、まあなるべく、そこの女どもだけでしてくれよ、勇者殿? あまり欲をかいてほかの素人娘たちに手を出さぬようにお願いしたいものだな」

「な……、ちょっと!」

 遂にたまりかねたように、ライラがざっと立ち上がった。

「あんまりです! そんなの、ひどい……!」

「よせ、ライラ」

 再び手で押しとどめたが、今度はライラは引かなかった。むしろ、ぐいと一歩、前に出る。

「ヒュウガ様は、ほかの勇者様がたとは違います! その反対です! ヒュウガ様はあたしの両親にまでしっかりお話をしてくださって……『責任をもってお嬢さんを預かります』って言ってくださって」

 声はしっかりしていたが、見れば彼女の手も足も、ぶるぶる震えているのがわかった。

「父も母もあたしも、ほんとにめちゃくちゃ感動したんです。嬉しかった……! それを、いくら騎士団の団長様でも、そんな風におっしゃって欲しくありません……!」

「は!」


 フリーダはあっさりと、少女の叫びを一蹴した。その赤い瞳に、嘲りの炎が燃え上がる。


「そんな思いさえもが操作されているとは思わないのか? 『奴隷』とは左様なものだろう。あらゆる意思と思考能力を麻痺させられて、『勇者様こそ至上だ』と思い込まされ、崇拝すること、愛することを運命づけられるのだぞ。そんなそなたの言葉に、どれほどの説得力があると思うのだ? バカバカしくて笑えもせんわ!」

「違います! ヒュウガ様は──」

「黙れ、小娘!」

「……!」


 次の瞬間にはもう、フリーダの抜き放った長剣の切っ先が、ライラの喉元に突き付けられていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る