第20話
「いやー助かったよ、エーリ」
体も洗って服も着替えて食事も終えて、それに既知の友人と出会えて、エンデレはすっかり気を緩めて笑っていた。
「あれから数年後だって? エーリも大人っぽくなったな」
「ふふ、そう対して変わってないわよ」
エーリの家の中で、二人はテーブルに座ってこれまでの話をしていた。テーブルの上には、葡萄酒の入った容器と、それの注がれたコップがエーリとエンデレの分とある。エーリはそれを少しずつ飲んでいるが、エンデレは酒を飲まないので口をつけていない。
ここはエンデレが飛んでから三年後の世界だった。あれから結局、エーリは店を引き継ぎ、一人でそれを切り盛りしている。
「両親は?」
「さあ。店を引き継いだ後は二人でどこかにいっちゃった」
エーリは問題なく店をやっていけていた。評判もよく、この店の魔法と薬はよく効くと評価が高い。
「……エルは?」
「……鳥にさらわれて行方知らずよ」
「そっか……」
エンデレは肩を落として、溜息を吐いた。
「……」
エーリは、頬杖をつきながら、エンデレをじっと見つめた。
「……エンデレは、今私の魔法で転移している最中なのよね?」
「そうなんだよ。ああ、そう言えば……」
「……」
「この世界での俺ってどうなっているんだ?」
エーリは頬杖を止めて、ゆっくりと姿勢を正して、エンデレを見た。
「……森の中で引き籠ってるわ」
「ああ……そうなのか。ていうか、いるんだな、俺」
「まあ、ね」
「一応、あの転移魔法は使ったんだよな?」
「ええ」
「それでも俺はこの世界にいるのか?」
「それなんだけどね……」
エーリは、憂鬱そうにしていた。
エンデレは不思議そうにエーリを見た。
「……あの魔法を使った後……エンデレは、別に消えていないのよ」
「え?」
「エンデレ自体は、あそこから転移なんてしていないの」
「?」
「……あそこからは、あんたが転移しただけ」
「??」
「あのね……あんたはエンデレなんだけど、エンデレじゃない」
「???」
「あんたは、私の魔法から造られた、目的のために最適化されたエネルギー体なのよ」
「??????」
エーリは、重苦しく告げた。
「存在の核自体はエンデレなんだけど……あんたは、この世界のあらゆる出来事を改変するために調整された存在なの」
「はい?」
「世界に干渉するためにエンデレの存在を形造っていて、魔法の目的を果たすためにあんたは世界を転移する。そして……」
「……」
「世界を改変し終えたら、消える存在なの」
「マジ?」
「うん……ごめんなさい」
「えー……? 俺、エンデレじゃない?」
「エンデレではあるの。一から目的に適した自律思考をつくることは難しいから。調整されてても、同じ存在を形造っている。でも、用が済んだら消えてしまう曖昧な存在」
「俺、消えるのか……? 怪しい魔法って、そういうことか……」
「ごめんなさい。言い訳のしようもないけど、あれから解読を進めて分かったの……」
「そっか……」
エンデレは、少し混乱していた。
「概要は私の御先祖様から聞いてるだろうから……」
「ちょ、ちょっと、待て。なに、何だ? 御先祖?」
「ああ、私の読んだ本で、エンデレの姿に似た未来人にあったとか記述があったのよ。今の状況的に、あんたのことよねえ。改変前の片方の記述にはその記述無かったし」
「待て待て……あの、確かに、この魔法について推論は聞かされた。愛理っていう人間なんだけど」
「それそれ」
「……え、じゃあ、あそこって過去だったのか……失われし文明……」
「私の魔法の根幹を作ってくれた人の一人よ」
「……改変前の記述って?」
「私たちは今、複数の人生が重なっているの。それを皆、違和感なく受け入れている。これも魔法の影響で、魔法が終わったら元の状態に戻る」
「ええ……」
「パラドックスよ」
エーリは、人差し指を立てて言った。
「今エンデレが転移してるのは、事実の改変のためだってことは聞いてるのよね?」
「……まあ、納得はしていないが。無茶苦茶だし、俺が転移してきた場所もバラバラだ」
「でも、巡る場所には一貫性があるの」
「……一貫性?」
「そう。この魔法には目的があるの」
「……目的。俺が、あの時エルと一緒に行けなかった理由を解決すること?」
「……そういうこと、かな。あんたのゴールは、あんたたちのしがらみを解決すること」
「……しがらみ、しがらみね。本当に関係あるのかな、それ」
「過去と決別しないといけないの。それは誰でもなく、あんた自身のために」
「そうなのかな……」
「私は知らないでいたけど、だから、こうしているんでしょう?」
「……」
「あなたは無数の失敗の中から成功だけを選びとって今のここにいる。失敗したら再スタート。もしくはそのまま別の転移先に移動する。体も記憶も、その都度調整される」
「再スタート……調整……だから死んでも大丈夫だったんだな……」
「死んだことあるんだ……」
「ちょっと頭かち割られてな……それだって、もっと直接的に、転移していれば、良かったと思うが」
「直接的って?」
「……例えば、邪魔な人間がいたとする。その人間を殺す必要があったとする。それなら、その人間の体内を俺の移転先にしてしまえばいいだろう?」
「状況がわからないけど……嫌な想像するのね」
「実際ドラゴンの体内に転移したことがあってな」
「うわぁ……それ、どうなったの?」
「吐きだされて、終わり。ドラゴンは気持ち悪そうにしてた」
「……まあ、そうね。この魔法には法則が三つあるの」
エーリは指を三本立てた。
「一つ目は、あなたが出来事の改変に関われる度合いには限度がある」
「ふむ」
「間接的に出来ればベスト。直接的でも、結果に関わり過ぎなければベター」
「どうして?」
「あなたが消えた後の辻褄を付け易くするため。後始末を少なくするため。この魔法を使った後は、細かい部分を最後におおまかに修正する必要がある。だから、あなたが人間の体内に転移したら、後始末のためにとんでもない呪いを世に出さないとね」
「……そんな修正できるんなら、特定の人間を殺す呪いをただ発生させれば、目的は達成できるだろ?」
「無理があるし、そもそも特定の人間を対象にするとかは無理。細かく物事の配置を変えたかったら、干渉する形態は人間の形をしてるのが一番小回りが利くわけで」
「小回り……じゃあ、それは大回りな修正しかできないと」
「それもかなり強引にしかできない。ある程度都合はきくけど、それが少なくなるように魔法はあなたを転移させる」
「魔法の全てが終わったら、俺の存在ごと消えるんだな」
「……完全にではないけど、世界は無理の無い形に修正される」
「二つ目は?」
「魔法の影響で、過去と未来は密接に繋がってる。過去の出来事は勿論、未来の出来事も過去に影響する。並列的にも時系列的にも今は世界がおかしくなっている」
「もう、ぐちゃぐちゃだな……」
「未来人に嫌なことしたら、その過去の人間にも嫌われるかもね」
「ふーん」
「で、三つ目は、あなたの変えられる出来事には制約がある」
「……」
「エンデレの存在を大きく変えるには大きな手間がかかり、エンデレの存在に関連しない存在ほど簡単に変えられる」
「……どうして?」
「そういうふうに魔法ができているから。やむを得ず生じる影響範囲を調整した結果。エンデレは空間転移するだけなんだから、エンデレの周囲を含めて変化は最小限にするべき。でも、エンデレと関係のないところは変化していい。空間転移の結果に関係ないから」
「……」
「極端には、転移の結果、エンデレが消えでもしたら元も子もない。そもそも、世界への影響の度合いを最小限にする必要がある。影響を計算して、トライアンドエラーを繰り返し、転移前のエンデレという存在を、目的の場所に転移させることを最低限の目的にして、一番マシな、世界に優しい最適解を導き出す程度が望ましい。それ以上を許すと、魔法の目的を越えて世界が致命的に変わってしまう恐れがある。だからこの魔法は、本当なら禁呪として扱われなければいけないし、使うにしてもたくさんの制限がかけられている」
「……」
「総括すると、あんたはこの魔法で、ちょっと心が軽くなるだけ。それは、あんたを取り巻く環境にも同じことが言える」
「……でも」
「……例えば、あんたが誰か死ぬはずの人間を直接的に助けたとする。それがあんたと関係の無い人間なら、そのまま生きていられるでしょうね」
「……」
「でも、もしその人があんたの存在に密接に関わっていた人間だとしたら……また同じようにして死ぬ。原因1を取り除いたとして、それと本質的に似た原因2がまた現れる。それか、そもそも助けられない」
「……」
「トラウマを解決しても、また別の似たトラウマが発生する。でもそのトラウマは、解決した手間分だけ少し軽い物になる」
「……」
「ただそれだけ」
「……ややこしい」
エンデレは天を仰いだ。
「それなら俺がエルを助けることもできないんじゃないか?」
「あんたはあんたたちのしがらみを少し解決するだけ。それしかやらない。それで、エルを助けるのは、私の空間移動魔法の結果の後によるもの」
「……そうなのか?」
「そうよ」
「そっか……」
エンデレは手で顔を覆った。
「……どうしたの?」
「何でもないよ……」
エンデレはすぐに顔を放すと、大きく息を吐いた。
「……それで、俺は目的のために特定の行動をする必要があると。行動の意味を自分で理解できなくとも」
「そう。あんたの目的のためにね」
「で、最後に俺は消える」
「……ごめんなさい」
「いや、全然エーリを非難する意図はない」
エンデレの言葉を聞いても、エーリは、苦しげに眉をひそめた。
「非難されてもしょうがない。私は世界を変えるようなとんでもないことをしでかして、それでも罪悪感とかはないけど、でもあんたにだけは、本心から申し訳ないと思ってる」
エーリは口が渇いたのか、コップに葡萄酒を注いで、グッと中身をあおった。
「ふう……」
「どうして申し訳なく思うんだ?」
「……あんたはエンデレで、でも目的を終えたらすぐに消えてしまう存在だから。ひどい話じゃない?」
「……消えるって言うと、悲壮感があるが……でも例えば酔っぱらっているものだろう?」
「酔っぱらう?」
「俺が本当にエンデレっていうなら、転移後のエンデレに続くわけで、今の間の記憶が消えてしまうだけだと考えることはできないか? つまり、今は酔っている最中に酔っていることを自覚してしまった状態なんだ。朝になったら消えてしまう記憶としてな」
「本当にそう思える?」
エーリが眉をひそめるのを、エンデレは苦笑して見ていた。
「エーリがそんな深刻に考えることじゃない」
「……上手く言えないけど……あんたはエンデレだけど、転移前のエンデレとは少し違うでしょ?」
「それでも消えることを躊躇う理由もない。というか、消えるって言い方が悪いんじゃないか? それを言い出したら今のエーリだって消えることになる」
エーリは、顔をしかめて、コップの中身を飲み干した。
「……なんか嫌なのよ」
「……どうして?」
「……飲み物入れてくる」
空になった容器を持って、エーリは席を立った。
「……そう言えば、酒を飲むようになったんだな。前は飲んでなかったと思うが」
エンデレがぽつりと呟いた。
エーリはニヤリとしながら、酒を持って戻ってきた。
「いいもんよ。嫌な気分を忘れさせてくれるから」
「頭が悪くなるとか言ってなかったっけ?」
「悪くなりたいわね。というか、愚鈍になりたい。そうした方が幸せになれるかも」
「……」
コップにまた酒を注いで、一気に飲み干した。
「……おいおい」
「エンデレがねえ……引き籠っちゃって」
「……」
「ろくに出てこないし。やってらんないわよ……」
コップを揺らして、据わった目つきをしていた。
「すまんな……」
「エンデレとこうしてまた喋れて嬉しいわ」
エーリはクスクスと笑った。
エンデレは、気まずげに頬を掻いた。
「……あっちのエンデレとこっちのエンデレを取り変えられたらいいのになー」
「いやあ、あっちのエンデレに悪いから……」
「だってあっちのエンデレ喋ってくれないし……」
「重症だな」
「まあ、私のせいなんだけどね……」
「何で……そんなわけない。なんだ、もしかして、あっちのがそんなことを……?」
「まさか。あの人は私にそんな事言わないわよ。私が勝手に思ってるだけ」
「そんなの……大体俺が……」
「あっちも勝手に自分が悪いって思っているんだろうけどね……」
「……ていうかエルが悪いな」
「ふう……エルはどこまで行ったのかしらね」
「さあ……海を越えたんじゃないか?」
「……私がしっかりしないとね」
エーリは、強く呟いた。
「……大丈夫だよ。俺が、エルを助けるから」
「……ああ、それもそうね」
エーリが嬉しそうにニコニコと笑った。
それを見てエンデレはしっかりと頷いた。
「役目は果たすよ」
「果たした後も消えないでね」
「それは……」
エーリがそっと、机の上に置かれているエンデレの手を握った。
「駄目もとだけど、『幸せは降って湧いて出る物。山あれば谷が深い』って、私のご先祖様に会ったら言ってみて……?」
「うん……?」
「いいから、ね? 一言一句、違わず」
「あ、はい」
エンデレは、戸惑った。
「……」
「……あら。もうそろそろ時間ね……」
「え? あ……」
エンデレが手の甲を見ると、針が一周しようとしていた。
「頑張ってね」
「ああ……そのまま机で寝ないようにな……」
「ふ。私、今はあんたより年上なんですけど。そんな注意されるまでもないわよ……」
「でもな……風邪を引かないようにな」
「だから……」
「戸締りちゃんとしろよ」
「言われなくても……」
「エーリは無頓着なところがあるからな……親いないんだろ? 泥棒には気をつけろよ」
「そう言えば、最近泥棒がこの辺に居着いているらしいわね……」
「本当か? 心配だな……」
「私のとこも貴重な奴がごっそり盗まれて……」
「おい」
エンデレの体が光り始めた。
「ばいばーい」
「おい! ちゃんとしろよ! 戸締りちゃんとな! わかったか!」
「またね……」
エンデレの姿が掻き消えた。
エーリはまた一口酒を飲んだ。
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