ⅩLⅣ 別れ道
殆ど焼け落ちた屋敷を前に、人々はいつまでも佇んでいた。
やがて使用人たちは動きだし、貴公子と騎士の二人だけが残された。人々の視線がなくなって、やっと解放されたように、貴公子の頬をひとすじの涙が伝う。そのことに気付いていたのは、隣に寄り添う騎士だけだった。少年は小さく肩を震わせて袖でぐっと濡れた頬を拭い、そしてしっかりと前を見据えた。
「さて。使用人たちもみんな逃げられただろうか。確認しないと……。オニキス、手伝ってくれないか。」
「かしこまりました、伯爵様。」
恭しく頭を下げる騎士。若き当主は驚いたように目を見開き、ゆっくりとかぶりを振った。
「呼び方は変えるな、ミカエルでいい。それに、まだ爵位は継いでいない。」
「仰せのままに。」
二人は互いの目を見る。幼い頃から長い時を共に過ごしてきた二人には、言葉よりも目がたくさんの事を伝えてくれた。
その時のことだ。
「この小僧、お前の仕業だな!」
「違うよ! 僕は……」
「じゃあこんな所で何してやがる!」
にわかに罵声が起こった。そちらを見れば、使用人たちが何かを取り囲んでいる。中心にあるものの姿は見えないが、大人たちの圧力にか細い声で抗っていた。
「何事だ?」
「坊っちゃま。騎士様。」
彼らが近付くと、気付いた使用人たちは人垣を解く。そこに座り込んだ小さな姿に、オニキスが大声を上げた。
「アロン!」
真っ直ぐな黒髪に、闇より深い黒色の瞳。一目でそれと分かる異国風の顔立ち。小柄な少年に駆け寄ったオニキスは、彼を守るように抱き締める。
「なんて事を。アロンはわたしの友達だぞ! どうして彼がこんな目に遭わなきゃならない?」
蒼褪めて叫ぶ騎士に、気まずいような沈黙が流れる。若い主人は静かな、それでいて鋭い声で尋ねた。
「一体、何をそんなに騒いでいる? お前の仕業、と言っていたが。」
「……こいつが、火をつけたんですよ。」
「え?」
何を言われたのか分からず、少年たちは一瞬固まった。
「違う! 僕はそんな事しない!」
疑われた子供は悲鳴のように叫んだ。庇護を求めて、友の腕にしがみつく。
「嘘つけ! お前が火元の方から逃げて来るのを見たんだぞ!」
「それに、その服。焦げているじゃないか! 火の近くにいたんだよ。」
「お前の言う事なんか信じられないね。この国の者じゃないんだ。」
「だいたいこんな夜に、この屋敷で何をしていたんだ?」
「静まれ!」
ミカエルが吼えた。
「そう決めつけて責め立てるな。彼はやっていないと言っているぞ。」
押し黙る人々。ミカエルはアロンと呼ばれた異国の少年に向き直る。
「アロン。君は、嘘はつかないな?」
「神に誓って、嘘など言いません。」
彼は座り込んだまま、涙を溜めた目でミカエルを見上げる。ミカエルは頷き、尋ねた。
「君は火を点けてはいないんだね?」
「していません。」
「しかし、火が出た時にこの屋敷にいたことは間違いないね?」
「……はい。」
「それなら、教えてほしい。オニキスの家に滞在している君が、今夜ここで何をしていたんだ?」
「それは……」
アロンは言いよどみ、俯いた。何かを迷っているようだ。やがて、呟くように言った。
「ミカエル様も、僕を信じては下さらないのですね。」
「そうではない。だが、これをきちんと説明できなければ皆に君を信じてもらうことが出来ないんだ。」
アロンは泣きそうな顔で友人に取り縋った。
「オニキス! 君は僕を信じてくれるよね? 僕は何もやってない。ねえ、オニキス……」
若い騎士は何も言えず、友から目を逸らして俯いてしまった。
「そんな……。」
アロンは信じられない思いで彼を見つめる。そして、その体を守るように抱えていたオニキスの手を振りほどき、少年は泣きながら駆けだした。
「アロン!」
「坊っちゃま! 騎士様! 大変です、こちらを!」
叫び、追おうとした少年たちを屋敷跡にいた使用人が呼ぶ。オニキスが再び振り向いた時には、小さな後ろ姿は木立の中へと消えてもう見えなくなってしまっていた。
(仕返しなんて考えては駄目。受け入れるしかないの。決して逆らえはしない……。)
「嫌だ! そんなの嫌だ!」
少年はやりきれない思いを抱えて再び夜の小道を歩く。理不尽さへの怒りと、母が自分を認めてくれなかった事への哀しみと、混ざり合って頭が真っ白になる。溢れそうな涙を堪え、ふと道端の樹に背を預けた。
その時。すぐ近くで小さな声が聞こえて、少年は目を上げた。
「誰かいるのか?」
辺りを見渡して呼んでみても、それに対する応えはない。少年は切れ切れに聞こえる音を頼りにそっと藪をかき分ける。と、間もなく彼はその声の主に出会った。小さくうずくまり、震えている。
「おい。」
頭上から声を掛けられて、うずくまっていた人影はびくっと身を震わせた。それから、恐る恐る顔を上げる。その顔を見て、少年は目を見開いた。
肩に触れるほど長い髪に、彼はその人物を女だと思っていた。しかし顔を上げたのはまだ幼さの残る少年だった。声を掛けた少年のそれと似た色合いの、しかしずっと深い闇の色をした真っ直ぐな髪。その髪と同じ色の潤んだ瞳が、やはり驚いたように彼を見つめる。どこか不思議な雰囲気の、あまり見た事のない顔立ち。
「お前、異国の者か?」
少年の言葉にこっくりと頷く。どうしていいか分からなくなった少年に、彼は口を開いた。
「でも、五年ほど前からこの国に住んでいます。」
「……言葉は通じるんだな。」
少年は、その流暢な言葉に見るからにほっとしたようだった。その異国の少年に尋ねる。
「どうしてこんな所で泣いていたんだ?」
相手は少し渋り、ゆっくりと言った。
「ついさっき、この近くの貴族様の屋敷で火事があったんです。知っていますか?」
「……ああ。」
それだけ聞いて、納得したように頷いた。
「焼け出されて逃げて来たのか……。だが、もう火も収まっているようだぞ。戻ったらどうだ。」
「嫌です。」
思いもしなかった激しい口調。彼は驚いて問い返した。
「何かあったのか?」
異国の少年は泣きそうな顔で黙りこくる。やがて、ぽつりと言った。
「あそこに僕の居場所はない……いえ、この国のどこにも、異国人である僕の居場所は無いんだ。誰も僕を受け入れてもくれない、信じてなんかくれない。」
「……ぼくは、信じるよ。」
「本当?」
異国の少年は驚いて叫ぶ。もう一人の少年はしっかりと頷いた。
「自分の居場所が無い寂しさは、ぼくも知ってる。異国の生まれじゃなくても、受け入れてもらえない事もあるんだよ……。」
(父上が死んだせいで、何もかも失ったぼくみたいに。)
言葉の後半は口の中に消えた。ぽかんとして自分を見つめる少年に、彼は尋ねた。
「お前、名は?」
「リー・ハイロン。」
「じゃあリーと呼ぼう。ぼくはアレスだ。」
そう言ってアレスは、リーに手を差し出した。
「居場所が無いんだろう? ぼくの家へ来い。ぼくが受け入れてやる。ぼくが独りにならないように、ぼくの傍にいてほしい。」
「アレスさま……。」
リーと呼ばれた少年は、差し出された手をしっかりと握った。
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