ⅩⅤ    知る覚悟

 ちょうどその時、表で扉とベルの音が微かに聞こえた。ガーネットが顔を輝かせてぱっとソファから立ち上がる。

「お兄様だわ。やっとお帰りね。」

 妹の勘は当たり、居間の扉を押し開けて美しい騎士が入ってきた。ガーネットは軽々とソファの背を乗り越えて駆け寄り、兄を出迎える。

「お帰りなさいませ、お兄様。」

 彼は相変わらずの穏やかな微笑みを浮かべて妹を軽くたしなめた。

「ただいま。ガーネット、お行儀が悪いよ。貴婦人にとっても騎士にとっても立ち居振る舞いは大切だと、いつも言っているだろう?」

「ごめんなさい。」

 悪戯っ子のように舌を出して笑うガーネット。こういう時の彼女の顔は、本当に幼い少女のようだ。ノエルより少し年上だというのに。オニキスはそんな妹にやれやれと笑って肩をすくめた。

 兄にまとわりついていたガーネットはやっと彼の前を離れ、オニキスを部屋の中へといざなう。そして笑顔でこんなことを言いながら、まだ顔の赤いノエルを兄の前に引っ張り出した。

「そんな事よりお兄様、ノエルお嬢様をご覧になって。私の選んだドレスは如何かしら?」

 その言葉に令嬢を見たオニキスは、驚いたように息を呑んだ。痛いほどの視線を感じてノエルはまた俯く。しかし彼のそんな動揺ともとれる驚きの表情はほんの一瞬のことで、すぐにいつもの微笑みに戻る。

「……お美しいですよ、ノエルお嬢様。どうして今まで少年のように見えていたのか不思議なくらいです。紛れもなく貴族のご令嬢……きっと、今すぐ社交界に出しても見劣りなどしますまい。」

 オニキスは一旦言葉を切り、囁くように小声で続けた。

「それに、驚くほど似ていらっしゃいます。奥方様……あなたのお母上に。」

「え。」

「お兄様!」

 ガーネットが強い口調で遮る。が、ノエルは真剣な目でオニキスに言った。

「そろそろ、教えてくれよ。俺の家族の……俺の母さんのこと。」

「ノエル様……。」

 ガーネットが、ノエルの肩を後ろからそっと抱く。オニキスはその強い視線をしっかりと受け止め、ゆっくりと口を開いた。

「真実を知る覚悟はおありですか。後戻りは出来なくなります。」

「覚悟……どういうこと?」

「ノエルお嬢様。あなたの本当のご身分がお高い事はもうお察しでしょう。あなたがご自身の素性を知ったその瞬間から、あなたには本当の家族のもとへ戻りご令嬢として暮らす以外の選択肢は無くなります。もちろん、あのような裏路地へ行くなどとんでもございません。」

「……。」

「もっとも、今でも危険な状況に変わりはございませんので、とりあえずは安全が確保されるまでこちらに留まっていただく事にはなりますが。それでも、知らぬうちならまだ完全にとは行かずとも以前の生活に戻ることが出来ましょう。裏路地で、養母や少年たちとともに。」

 ノエルはゆっくりと目を伏せた。色々なものが、今までノエルにとって大切だったものが、次々と瞼の裏に浮かんでは消える。まず、可愛い弟分のロビンの顔。小さくて安全な寝床。養母マーヤと、その息子エディ。あいつとは、いつもいつも喧嘩ばかりしてた。今のノエルの姿を見たらきっと驚くだろうな。そして迷路のように入り組んだ路地、俺の縄張り。住人はみんな貧しくて助け合って、マーヤみたいに優しい人も多かった。よく悪ガキ仲間でつるんではくだらない悪戯もしたっけ。それらをみな失うのは、耐え難く辛い事だったけれど……。

「……分かった。」

 ややあって、ノエルは絞り出すように小さな声で言った。

「それでも俺はやっぱり、本当のことが知りたい。教えてくれ。」

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