魔法の女神ミラクル☆アスターティ ―『聖なる星のグリモワール』予告編―

 氷雨ひさめは小学生時代からあのアニメが好きだった。今も変わらない。

『魔法の女神ミラクル☆アスターティ』、それが彼女の宝物。高校を卒業し、非正規労働者経由でできちゃった結婚で専業主婦になっても、あのアニメのヒロインは彼女の「女神」だ。

 ヒロインの松永緋奈まつなが ひなは、ミュージシャン志望の女子中学生。そんな彼女は、果心居士かしんこじと名乗るイケメン仙人からもらったギターを弾いて、スーパーディーヴァ「アスターティ」に変身する。そんな緋奈/アスターティがミュージシャンの仕事をしている間は、彼女の分身の人形が影武者を務める。

 宇多田ヒカルよりも、椎名林檎よりも、アスターティアスタルテ。創造し、維持し、破壊する女神Divaの名を持つ歌姫Diva。氷雨は彼女に憧れてミュージシャンになりたかったが、学校での自分の音楽の成績を思い出して、サッサとあきらめた。

 友達が少ない氷雨にとっては、緋奈/アスターティは生身の人間以上の「親友」だった。彼女は自分の愛娘に「緋奈」と名付けたかったが、夫との相談で、もう一つの候補「璃々子りりこ」と名付けた。璃々子は緋奈の親友の名前でもあったから、それはそれで満足した。


 今の氷雨は、精神的に夫と疎遠になっている。徐々に仮面夫婦化が進んでいるのを実感する。新婚当初は優しかった義母も、氷雨が男の子を産まないのを不満に思っていた。

「私には璃々子がいればいい」

 璃々子は優しく賢くかわいい女の子。自分が小学校時代から大切に持っている緋奈/アスターティの着せかえ人形みたいに、色々とオシャレをさせてあげたい。ファッションセンスのない自分の代わりに、目いっぱいオシャレを楽しめるように成長してほしい。

 そんな氷雨は嬉しいニュースを知った。『魔法の女神ミラクル☆アスターティ』のリメイク版の放送が決定したのだ。

 是非とも璃々子に見せたい。そう思ったけど、ネット上のアニメオタクたちの意見は賛否両論だ。それに、リメイク版『アスターティ』は深夜枠だ。小学校入学前の子供が観るものではない。氷雨自身、独身時代とは違って好き勝手に深夜アニメを観られない。

「強制的異性愛、か…」

 少しでも「人並み」になりたくて、あの人と出会って、付き合って、妊娠して、結婚した。色々な意味で弱い氷雨は、寿退職という形で、職場の陰気臭い女社会から逃げたつもりだけど、結局はママ友付き合いという別の檻に「石渡氷雨いしわたり ひさめ」という名の家畜が移されて囲い込まれただけに過ぎない。


「私は腐女子にならなかった代わりに、アスターティに恋していたんだ」

 二次元キャラに恋するのは、オタクにはありがちな事。だけど、氷雨は紙人形みたいに薄っぺらいイケメンキャラクターたちには興味がなかった。ほぼ唯一の例外は、緋奈が恋するイケメン仙人の果心居士だけど、その果心のモデルになった妖術師が爺さんだったと知って幻滅した。しかし、そもそも当人の実在性自体が疑わしい。だからこそ、アニメでは若いイケメンとして描けるのだろう。

 緋奈/アスターティを演じたのは、本職の声優ではなく新人のシンガーソングライターだった。まさしく「リアル・アスターティ」。氷雨は彼女のCDを集めていたが、皮肉な事に自分と同じくできちゃった結婚で寿引退してしまった。宇多田ヒカルや椎名林檎をしのぐほどの人だったのに、残念。

 当然、リメイク版アスターティを演じるのは若手女性声優だが、彼女も歌手として紅白歌合戦に出場した事がある。しかし、氷雨は今時の若手声優たちに対してはよく知らないし、興味もない。

「そういえば、高校の部活で『アスターティ』の同人誌を持ってきた娘がいたけど、緋奈と璃々子の百合ネタだったな」

 氷雨は文芸部員だったが、隣の部室の漫画同好会の女の子たちと仲が良かった。当時の女の子にはいわゆる百合女子は少なかったし、今でも腐女子ほど多くないが、氷雨はボーイズラブよりもガールズラブの方がずっと好きだった。

 オリジナル版『アスターティ』の最終回は、成長した緋奈が本当にプロのミュージシャンとしてデビューした。彼女は普通の人間の男になった果心と公私共にパートナー同士になり、「武器ではなく花を」と歌っていた。かっこいい。氷雨はこのカップルが大好きであり、最終回は感動のあまり、ダラダラと涙を流しながら観終えた。


「さぁ、そろそろ行かないと」

 璃々子が通う幼稚園に迎えに行く。そうだ、あの子と家に帰る前にミスタードーナツに行こう。氷雨の頭の中はエンゼルクリームでいっぱいになり、一時的に憂鬱が白いクリームに埋もれていった。

 甘いものは氷雨にとっては精神安定剤。そういえば、緋奈/アスターティも甘いものに目がなかった。果心はそんな緋奈をからかっていたが、氷雨の夫には果心のような茶目っ気はない。

「あの人は果心じゃないし、私も緋奈じゃない。『ベルフェゴールの結婚』ね」

 でも、今は先延ばし。まだまだ望みを捨ててはいない。だけど、あの人は私をどう思っているんだろう? 氷雨はため息をつく。

 結婚前に運転免許を取得して良かった。璃々子が進学したら、新しい仕事を見つけたい。だけど、何者でもない自分に何が出来るだろう? 氷雨の苦悩は堂々巡りだ。まるで人間不信の悪魔ベルフェゴールの探求みたいに。

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