「あのダイヤは今から23年前にマフィアの間で起こった大規模な闘争の際、一時期日本にあった。それはその闘争に巻き込まれないために、奪われないように守るために、とあるマフィアの頭目が家族と共に妻の故郷である日本に潜ませたからだ。当時落ち着いていた時期ではあったらしいが、水面下や裏では残虐鬼畜な争いが起きていたそうだから、時代っていうのは表よりも見えない部分のほうがやっぱり歴史や人類の軌跡としては大事だよね。そこがこの一連の物語の重要なところだ。表に出ないということは多くの憶測や妄想が膨れ上がるもの。真実が見えないのだから『嘘』だって蔓延する。それが今、この豪華客船で起きているくだらない争いを生み出したわけだ」

 船の中腹部分に位置する地下通路、その途中の壁の前にいた桐乃は、黒川の話に耳を傾けていた。

「オーガスト・フレデリック、ダイヤは元を辿れば一応、あの男の物だ」

 とあるマフィアの頭目、それがオーガスト・フレデリックだと桐乃はわかって壁を外し始めた黒川に訊ねる。

「ではダイヤに刻まれた暗号というのは、その方が刻まれたものなのですか?」

「いや、ダイヤはフレデリック家の当主が代々受け継いできた家宝のようなものだ。フレデリック家当主が受け継ぐダイヤは数百年前にフレデリック家の者にしか読み解けない暗号文を刻まれ、後に継承システムが組み込まれた。そこまではいい。だが、そのダイヤの暗号文を巡って起こった闘争は実は今回が初めてじゃない。言っただろう? 噂の根源は誰とも知らないが、時代の移り変わりに決まって起こるとして世紀末の秘宝だったり、うつろいの石とも言われていたんだ。実際はそんな大それたものでもなんでもないんだが、そういう話が積み重なったことでダイヤに過剰な装飾が付いてしまったんだ」

 黒川外した壁をそっと床に置き、むき出しとなった配線や基盤、時刻表示のされたモニターを見て溜め息を吐いた。覗き込み、桐乃は首を傾げる。

「これは……?」

 懐からナイフを取り出した黒川は指先で器用に回す。

「USBスティックに入っていた情報に高性能水素爆弾についての記述があっただろう?」

「えっと」記憶を再生させ、その項目を映し出して冷や汗を流す。「まさか、その爆弾が、これですか?」

「そういうこと」

 さすがに、と桐乃は後ずさる。

「過剰な装飾を信じた結果がこれさ。アルバートはダイヤを手に入れたのち、何もかもを海に沈める気でいたんだよ。シャーロット家とフレデリック家、双方の歴史をここで終わらせ、新たに自分を頭目に置いた組織を立ち上げるためにね。おそらくその企みにアーサーやオーガストは気付いていたはずだ。それなのに爆弾の放置ときた。つまり、その企みに便乗したと考えるのが一番だろう。それはこの前接触してみてわかった。間違いないね」

「便乗?」

「組織内に自分の仲間がいなくなったとなれば、船が沈もうがどうでもいいだろ? まあダイヤだけは特別な思いがあるだろうから、アーサーはどうにかしてでも奪い返そうとするだろうけれどね、残念ながら、まだアーサーが手にするには早い。まだ、その時じゃない。それにこの爆弾が爆発すれば他の盗品が海の底で永遠に眠っちまうことになる。それも回避しないとね」

 そんな台詞を、実は昨日、鳴瀬にも黒川は言っていた。その意味をまだ理解できていない桐乃だったが、解体作業を始めた黒川に訊くのは邪魔になると黙り込む。今はこの爆弾をどうにかしなければならない。だから黒川ではなく、鳴瀬がダイヤのあるオークション会場へと向かったのだ。解体作業を覗き込みながらも、桐乃の頭の中ではまだ解決しきれていないことでいっぱいになっていた。この一件に絡んでいるとみられる虎波生絲、ダイヤの暗号の意味、アーサーはどうしてダイヤに執着するのか、オーガストの狙いは何なのか。

 この仕事に関するある程度の情報はUSBスティック内のデータを見て記憶していて知ってはいるが、絡み合う相関図はまったく理解できていない。手際よく爆弾の解体を進める黒川にはすでに一本の道筋となって何もかもが繋がっているのだろう。桐乃はまだ与えられたものを持っているだけ。黒川は情報屋からだけでなく、自らの目で、手で、足で、今日までじっくりと情報を集めて構築し、完成させている。そこに行き着くまでにどれだけ時間がかかったのか、苦労があったのか、桐乃にはまったくわからない。

 しかし、桐乃が思っている以上に、黒川が『奪い返す』ことに執着していることだけははっきりとわかった。その自信に満ち溢れた後ろ姿が、とてもかっこよく、同時に恐ろしいと桐乃は思えた。

 自分ももっと自信を持ちたい、と桐乃が拳を握りしめ、「残りの配線の切断手順は」と黒川が言った時、背後に桐乃は気配を感じ取った。恐る恐る振り返り、通路の奥に銃を携えている人影が見えた。

「……灘源一郎」

 黒川が名前を言って、その人物が黒川をずっと追っているという刑事だと気付き、桐乃は咄嗟に両腕を広げた。ここで発砲でもされたら爆弾にも当たる。余計なお世話かもしれないが、黒川にだって当たるかもしれない。命の張り方を間違えているような気もしたが、桐乃はそれでも両腕を広げて灘に抵抗して見せる。

「きみ、そこをどくんだ」

 重みのある声で灘源一郎が言う。背を向けたままの黒川が、ふっと笑ったように桐乃は感じた。


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