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慣れた様子で黒川は入ってすぐの鉄柵付きの受付に向かった。シルバーリングを見せ「彼女にも頼む」と言うと、奥にいた女性が桐乃に手を出すように言った。黒川は大丈夫だと微笑む。彼も一応は国際指名手配犯。信じるべき相手ではないのが条理ではあるものの、この場において唯一信頼できるのは彼ひとりである。緊張しながら手を出し、何をされるのか、脳裏に過ったのはコバヤカワのハンマーだ。しかし、ハンマーが振り下ろされることはなく、青いレーザーが左右から当てられただけだった。すると、すぐに女性は小さな箱を渡してきて、桐乃が中身を確認すると、黒川と同じシルバーリングが一つ入っていた。
「会員証はそれになります。人差し指にどうぞ。現金とチップは中での交換となります」
「OK。さっきのレーザーは指のサイズを測るためのものだよ」と黒川は箱からシルバーリングを手に取って慣れた手つきで桐乃の指にはめてきた。一瞬だけときめいてしまったのは、おそらくエンゲージリングのように思えてしまったからだろう。顔が少し火照ってきた桐乃は咄嗟に黒川から顔を逸らす。
「カジノには行ったことがないのかい?」
「賭け事に興味がなかったので、ベガスのカジノも外からしか見ていません」
「だったら初カジノだな」
言われて、きらびやかなフロアに視線を移す。誰もかれもがカードやルーレット、スロットを楽しそうにプレイしている。ほとんどの男性がスーツ姿で、女性のほうはドレス姿が多く見られる。外国の人たちも多く、ここが日本とは思えないと桐乃はちょっとした感動を覚えた。
そして――少しだけわくわくしている自分に戸惑い、ギャンブルはいけません! と自分に言い聞かせた。ギャンブルは身を亡ぼす――そういう言葉もあるくらいだ。するべきではないと自制すればするほど、惹き込まれそうな世界。
「遊びたいのならチップを交換しに行こうか?」
「いえ! 駄目ですごめんなさい!」
「何で今謝ったの?」
からころ笑った黒川は、さらに奥へと進む。もう顔が真っ赤になっておかしな顔になっていそうだと帽子をぐいっと引っ張り、ほぼ前が見えない状態で黒川に付いて行く。
「ほら、あいつが鳴瀬琴音だ」
言われて、少しだけ帽子を上げると一番奥のテーブルでぐったりしている青年が一人。金髪、白いワイシャツにサスペンダー、細い黒ネクタイを肩に回して死んだような目を天井に向けていた。顔立ちからして二十代、それよりも若いかもしれない。
「また負けたみたいだな」
「いつも負けていらっしゃるんですか……?」
「まあ、負けているというか、イカサマを受け続けているというか」
「……まともなカジノなのでは?」
「たまにいるんだよ、馬鹿そうな奴を相手に遊ぶディーラーも。困ったものだよ」
そんなことを言いながらも黒川は嬉しそうな顔をしていた。仲間、だと聞いていたはずなのだが、気のせいだったのだろうかとさえ桐乃は思い始めた。疑心が沸き起こり始め、惨めな状態になった黒川の仲間(かもしれない青年)のほうへと黒川は歩み寄っていく。
「まあ、イカサマを見逃すのもそろそろやめるとしようか。仲間が散財して破滅ルートを歩むのは見たくはない。では、お嬢ちゃん、彼を助ける手助けを頼む」
「何をすればいいのですか?」
「それをこれから交渉するのさ」
黒川はぐったりしている鳴瀬琴音の額を叩き、目を覚まさせる。目をぱちくりさせて、彼は涙ぐみながらテーブルに突っ伏した。
「見るな! 俺の惨めな姿を!」
意外と子供っぽい声に桐乃が想像していた殺し屋のイメージが薄れていった。
「お前の惨めな姿に興味なんざないよ。それより、どのぐらい負けているのかな?」
見た目若そうなディーラーは手の平を広げて見せる。それを見た黒川が「五万?」と言って、ディーラーは左右に顔を振った。そして「五百万」と答えた。
これがギャンブルに身を亡ぼされかけている人間なのか、とまじまじと桐乃が鳴瀬琴音を見ていると、黒川が桐乃を自分のほうへと引き寄せ、ディーラーと向かい合わせてきた。
「勝負しないかい? この子と。そうだな……変わり種で、神経衰弱での勝負っていうのはどうかな? それも最初に全部のカードを表にして、すべて記憶してからの勝負。記憶力がものをいう勝負」
黒川の意図がすぐに読めた桐乃は、『人助け』の意味を察した。この鳴瀬琴音を救うというのは、そういうことなのだ。
「面白そうですね、受けましょう。いくらほど賭けますか?」
「今、持ち合わせがないんだ。だから書類にサインするよ。額は……こいつが負けたぶん五百万に上乗せの一千万」
「……ほう?」
瞬間、ディーラーがほくそ笑んだ。
「いいでしょう。ではわたくしが負ければ五百万をちゃらにしましょう。かなりの高額ですが、ここはカジノ、賭け事を楽しむ場です。勝負に乗らない人間はここにはいません」
「そうこなくっちゃ。じゃあ並べて五秒ほどで全部裏に返していこうか」
そう言って黒川は桐乃の背中を軽く叩いてくる。そして桐乃の耳元で小さく囁いた。黒川の意図を知り、緊張した面持ちで頷いた桐乃は「ふう」と息を吐く。ディーラーはトランプを手に取り、くり始め、それからテーブルに一枚ずつ並べ始めた。そして全部並べ終えたところで五秒、あっという間に五秒は経過して桐乃も一緒にトランプを裏に返していく――そのとき、ディーラーが「お先にどうぞ」と微笑んだ。
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