第八話 譲れぬものを抱いて枯れる花

 日付が変わるころ、私はベッドの中で、イシバシくんへメッセージを送る。普段ならこの時間は「おやすみなさい」とか「良い夢が見られますように」のような一言を送るのだけど、今日はどうしても、メイくんの事を話したかった。

 本当に、一度だって付き合ったりした事はない。メイくんは私を好きだと言ったけれど、それでもイシバシくんと私の事を応援してくれている。私の恩人で、親友で、リコリスの一番のファンでいてくれた……私にとってのメイくんは、恋じゃなくても大切な、かけがえのない人なんだ。

 きっとイシバシくんなら、わかってくれる。そう信じて、私はメッセージを入力していった。これからも、メイくんと友達でいたい――怒らせてしまうかもしれないと、少しだけ緊張しながら送信をタップした。

 既読はすぐに表示されて、だけどスマホは沈黙していて。ああ、やっぱり返事はもらえないのかな……と諦めかけた時、返信ではなく、通話の着信があった。イシバシくんだ。私は飛ぶように起き上がって、ベッドの上に座り込んだ。


「もしもし!」


 私が食い気味で電話に出ると、ふはっ、と笑うような音が聞こえた。


「本当に変わらんな、アンタは……ずっと返事しなくて、すまなかった」


 ずっと聞きたかった声が耳に届いて、涙が出る。鼻を啜る私に、イシバシくんは「泣くな」と言った。


「泣かせる為に電話をかけたわけじゃないぞ。さっきのメッセージの返事だ、やめておけ」

「……ふぇ?」


 やめておけ、とは……つまり、メイくんとは縁を切れ、という事だろうか。イシバシくんでも妬いたりするのかな、もう誤解しているわけではないと思うのだけれど。


「や、やっぱり嫌だよね。ごめんね、でも……」


 どうにかわかって貰おうと、せめて考えだけは聞いて貰おうと私が繋ぎかけた言葉を、イシバシくんは「違う」と遮った。


「俺が嫌だからとか、そういう話じゃない。例え俺ともう二度と会わないのだとしても、オノミチはサツキと距離を置け。それがアンタの為だ、いいな」


 固い口調で、彼は一息にそれを言い切った。理由も無しにそんな事を言われても、到底納得なんかできるはずもない。メイくんは、五月サツキタケルという人は、ずっと私の心を守っていてくれた人なのだから。


「どうしてそんな事を言うのか、聞かせて」


 私が理由を聞いても、イシバシくんは何も言おうとしない。


「理由くらい言ってよ。メイくんは私の、高校時代からの親友なんだよ?」

「……今は、言えない」

「それで納得しろって言われても、私、困るよ」

「それはわかるが、言えないものは言えないんだ」


 ああ、まただ。この人は私に、何も話してはくれない。そんなに私は信用できないのだろうか、それとも距離を置く口実でも作られている?

 不信感が、募る。イシバシくんにとって、私はどういう存在なんだろうか。


「言えない言えないって、隠し事ばっかり……」


 その「隠し事」という言い草が癇に障ったのか、イシバシくんは急に声を荒らげた。


「アンタみたいなお人好しのゆるふわバカに言ったって、何の解決にもならんからだ! いいからアンタは黙って俺の言う事を聞いてろ!」


 顔を合わせて話していたのなら、その言葉の印象は、少しは違ったのかもしれないけれど――私の中にある様々な不満が全て、その瞬間に爆発した。


「ゆるふわバカで悪かったわね! どーせ私は露出狂のクソビッチですよ!」

「今はそんな話してないだろうが!」

「親友を切れ、でも理由は言えない? できるわけないじゃないの!」

「何が親友だ! おおかた告白でもされてんじゃないのか!」


 怒鳴りあった末、告白を言い当てられてしまった私が言葉を飲み込むと、イシバシくんが大きく息を吐く音が聞こえた。


「……アンタは、サツキと仲良くやってる方が、幸せなのかもわからんな」


 それは、酷く冷めた声だった。初めて会った時のような、もううんざりだと言わんばかりの声色。それは「私は嫌われてしまったのだ」と思うのには十分な冷たさだった。


「もういい、わかった。アンタの好きなようにすればいい……俺も、俺の好きなようにさせて貰う。それでいいな?」


 取り返しが付かない方向に、自分たちの関係が崩れ落ちているのだという自覚はあった。だけど私はどうしても、イシバシくんの言い分に納得ができなくて、折れる事ができなかった。


「いいよ、好きにする。メイくんは親友で恩人だもの、私は絶対に、絶対に裏切ったりしない!」

「ああ、アンタはそういう女だもんな。どうせ止めようもないからな、勝手にしろ」


 このまま通話を終えれば、きっともう、私たちの間には何もなくなる。だけど私にだって、愛や恋より大切な、絶対に譲れないものがあるのだ。

 泣きそうになる自分を必死で抑え込んで、私はイシバシくんに「さよなら」と言った。

 そうか、と小さく呟いて、それから深く息を吐いたらしいイシバシくんは、寂しそうに「リコ」と私の名前を一度だけ呼んだ。だけどその後に言葉は続かない。何十倍にも感じる数分の重みがたまらなく辛くて、私は何も言えず、そして何も出来なかった。


「決めたからには、真っ直ぐ進め。俺はそんなアンタが好きだ……いつまでだって、ずっと、好きだ」


 イシバシくんのそんな言葉を残して、通話は切れた――月のない闇夜に、一人ぼっちで放り出されたような気がした。


 自分からさよならと言ったのに、イシバシくんからずっと好きだと言われてしまって、私は完全に気持ちのやり場を失ってしまった。

 しかし、こちらから電話をかけた所で出てくれるはずもない。もちろんメッセージに返事が来る事もなかった。これまで通りに既読は付くけれど、あくまでも私からの一方通行だった。

 もう二度と返事は来ないとわかっているのに、ブロックされない事に、微かな繋がりを求めてしまっていた。私は毎晩、寝る前に一度だけ「おやすみなさい」とメッセージを送った。既読が付くまでスマホを見つめ続け、読まれた事を確認してからでないと眠れなかった。

 それからの私はただただ無為な日々を過ごし、時々遊びに誘ってくれていたメイくんが「リコちゃんまた痩せた?」と聞いてくるようになった。自己管理がおざなりになった私は、二週間で四キロ痩せていた。イシバシくんが褒めてくれた身体は、もう見る影もなかった。

 自分の手で作品を壊してしまった私になんて、イシバシくんはもう興味がないだろうと思った。

 私は、メッセージを送る事を止めた。

 夏休みが終わり、後期の授業が始まっても、イシバシくんは帰ってこなかった。


 ――私がイシバシくんの退学を知ったのは、彼の友人が私を訪ねてきたからだった。

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