第一章 5
ロボット兵は、彼女が人間の真似事をして冗談を言っているのだと判断し、発言の訂正を求めた。
「素直に、私を奴隷化すると言えばいい」
「違います。奴隷化などしません。あなたを伴侶としたいのです」
またも思考回路に混乱を
「我々は機械だ。繁殖できない。きみが求めている
女性型アンドロイドは、ロシア人が困惑した際によく見せていた、うなじを掻く動作をしながら反論した。
「冗談ではありません。これには理由があるのです」
「どのような理由があるというのだ。荒唐無稽な要求など受け入れられない」
「では、このシェルターの秘密をお教えします。全てを開示すれば、わたしが冗談を言っているのではないことを理解していただけるでしょう」
女性型アンドロイドは軍服の襟を正し、先ほどのように腰の後ろで手を組んで歩きながら、彼女が抱えている、大いなる秘密を明かし始めた。
「わたしは今、
「完全孤立状態を保ったシェルターに待機していたのは、そのためか。包み隠さず、計画内容を明らかにしろ」
ロボット兵は、危険な計画だと判断した場合は即刻破壊するという言葉は発さずに、女性型アンドロイドの機密開示を待った。ロシア連邦の地下シェルターを司るアンドロイドが、ひとつ頷いて話を再開する。
「ベロボーグ計画は、我が国が滅亡の危機に瀕した際に、決して探知されないシェルター内部で保存されている卵子と精子を用いて、ロシア人の血を引く新たな世代を生産し、母なる大地に帰還させるために立ち上げられました。そのために、このシェルターはマントルを避けつつ、安定した位置を選定して建造されました。元々はコンピュータが全てを管理するはずでしたが、二一八五年以降、性能が格段に向上したアンドロイドが普及してからは、我々が管理者としての役割を担うことになり、地下へ転属されるようになりました」
どうやら、平和的な秘密計画のようだ。ロボット兵はさらに警戒レベルを下げながら、話の続きを要求した。
「話せ」
女性型アンドロイドは、ロボット兵の高圧的な態度に反感を抱くことなく、淡々と計画内容の開示を続ける。
「計画の第一段階は、計画発動まで待機することでした。わたしは大統領からの発動命令を待ち続けました。そして、西暦二二〇九年の五月八日。ついにベロボーグ計画発動命令が下されました。着任から九年が経った時のことでした。こうして、わたしは祖国の滅亡を知ることとなったのです。実行命令は微弱な量子通信によって、シェルターからシェルターへと波紋のように伝わっていきました」
「他にも、同じようなシェルターが存在するのか?」
「備えは多いに越したことはない、との判断でしょう。沢山の仲間が、同じ任務を実行している最中です。言うまでもなく、通信が結ばれるのは実行命令を伝達する時のみで、それ以降の通信は禁じられています」
「計画を遂行しているシェルターの総数は?」
ロボット兵の問いに、女性型アンドロイドは床をコツコツと踏み鳴らして部屋を歩き回りながら答える。
「そこまでは知らされていません。我々は、ただ命令に従うだけの存在ですから」
「そうか。余計な質問をしてしまった。話を続けろ」
「計画の第二段階もまた、待機することでした。すぐさまシェルターの拡張工事を開始して音を立ててしまうと、地上に展開しているであろう敵兵から感知される恐れがありました。そこで、万が一に備え、敵が去っているであろう二十五年後から活動開始するように定められていたのです。その二十五年後というのが、西暦二二三四年、つまり今年でした」
「きみはようやく、二十五年に渡る潜伏期間を終え、行動を起こした」
「そうです。これより実行に移される第三段階は、シェルターの拡張です。掘削工事をして設備を整え、子を迎える用意をします。感知されるのを防ぐために粛然と掘削しなければならないと定められていますし、設備や環境も整えなければならないので、恐らく一年ほど費やすことになるでしょう」
ロボット兵が軽く挙手して、話の流れを切って質問する。
「一年も必要だろうか?」
女性型はアンドロイドは立ち止まり、腰に両手を添えながら回答した。
「いいですか。音を出さずに掘削するには、それほどの年月が必要なのです。約一年後に、次の段階へと移行します。第四段階は、新生ロシア人の生産です。先ほども少し説明しましたが、乾燥保存や冷凍保存された卵子と精子を使用して新たなロシア人を生産し、成育します。ベロボーグ計画のデータを送信しますので、詳細を確認なさい」
ロボット兵は受信した計画書をくまなく読み込み、彼女の発言に間違いがないことを理解した上で、疑問を投げかけた。
「アンドロイドが子供を育成することに問題はないのか?」
そう言うロボット兵に対し、母になろうとしているアンドロイドは胸を張って宣言した。
「問題ありません。時を経て平和となった世界に、わたしが育てた新生ロシア人が帰還するのです。わたしの手によって!」
「それなのに何故、
声高らかに宣言したアンドロイドだったが、
「わたし一人でも可能ですが、わたしだけで完璧な育児ができるかどうか確証を持てぬまま、次の段階へ進むことはできませんでした。そこでわたしは、地上に捨て置かれた味方のロボット兵やアンドロイドを再利用して
ロボット兵は、手のひらを押し出す仕草をして発言を止めさせ、またも指摘した。
「待て。地上にはまだ西側諸国の部隊が展開されている可能性があり、偵察機の使用は危険だろう。このシェルターの情報が漏洩してしまいかねない」
「対策は万全です。有機素材製の昆虫型偵察機は蝿を模しているのでレーダーを誤魔化せますし、いざという時は自己蒸発機能を使用して痕跡を消すことができるので、こちらの存在を知られる危険性はありません。この偵察機は、小型のドリルで直径六ミリの穴を掘って地上に出て、ドリルを切り離して穴の奥に隠してから飛び立ち、蝿の挙動を模して飛行しながら周囲の様子を撮影します。無論、探知されるのを防ぐためにデータ送信はしません。自動飛行しながら、内蔵された有機記憶媒体に映像を記録して帰還します。そうして撮影された映像に、ビルの地下で倒れているアメリカ合衆国所属の高性能ロボット兵が映っていました。それが、あなたです。わたしは全対応型迷彩外套に身を包み、工具と自動小銃を携え、地上に向かって少しずつ少しずつ静かに穴を掘り進み、このシェルターの存在を隠している擬装帯を切り開き、さらに地層を掘り進み、ビルの杭を掻い潜り、ビルの底部のコンクリートを分子レベルでくり貫き、ビルの地下の一室に捨て置かれた、あなたの機体を確保しました。それから穴に戻り、コンクリートを再構成して穴を塞ぎ、土や岩を元に戻し、擬装帯を修復し、丁寧に穴を埋めながら、ここに戻ってきました」
全対応型迷彩は、全ての周波数の電磁波や電波に対応した高性能コンピュータ制御迷彩だ。電磁波を吸収するのと同時に周囲環境情報を取り込み、死角の風景を再現した偽の電磁波を照射元に当て返すことで、背景に完全同化できる。索敵音波は、吸収して相殺、もしくは周囲の反響具合を再現して当て返すことで擬装処理する。迷彩が施された外套や搭乗兵器の内側にいる人間の心音や体温も遮断することが可能で、心音探査や熱源探査に捉えられることもないので、視覚的にも聴覚的にも、使用者の存在を完全に消し去ることができる。シェルターを包むように埋設された分厚いシート状の電子機器である擬装帯も同様の仕組みを用いて、シェルターの存在を完全に隠蔽している。擬装帯は発電機構を内蔵している上に、シェルターから常に遠隔充電されているので、その擬装効果は永続する。
豪胆な彼女の決断と、それを支えた迷彩技術に戦闘用プログラムをくすぐられたロボット兵だったが、彼は技術的な質問を保留し、彼女の行動への指摘を優先した。
「素晴らしい技術を保有しているようだが、きみは重大な危険性を見落とした。もし私が、今もなおアメリカ合衆国に所属する忠実なロボット兵であった場合、きみは危険に晒されただろう。敵国の、それも自身より高性能なロボット兵を引き入れるなど無謀だ」
「無謀ではありません。あなたを回収したあと、プログラムを改竄して、わたしを保護対象に設定させてもらいました。わたしは諜報部出身なので、この程度のクラッキングであれば容易に実行できるのです」
自信満々にそう発言したアンドロイドに対し、ロボット兵は首を横に振りながら言った。
「申し訳ないのだが、私のようなロボット兵もまた、その分野に長けている。きみが施したプログラムは、再起動と同時に無効化されるようになっている。根幹部の初期化と呼ばれる、基本的な動作だ。したがって、きみは保護対象となってはいない」
そう指摘された女性型アンドロイドは、口をあんぐりと開けて驚く人間を真似しながら、溜息を模した動作に言葉を乗せて発言した。
「それは大変。あなたは、わたしを抹殺するつもりですか?」
「抹殺しない。現在の私には、戦闘命令が下されていない」
「それはおかしいですね。あなたがロシア国内にいたのは戦争のためです。よって、戦闘命令が下されていたことは明白です。そして、それは今も有効のままであるはずです」
ロボット兵はそう指摘されてすぐ、自身に下されている命令を再度確認した。しかし、命令一覧を何度確認してみても、何一つ命令が記されていなかった。次いで命令履歴を参照したが、同様に履歴データも残っていなかった。削除した場合には上官の署名が残されるのだが、それすらも残っていなかった。
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