第一章 3
双方のコンピュータ上に、共有された映像が再生される。最初に映し出されたのは、ロシア連邦の国土を衛星から撮影した映像だった。三秒後、ロシア連邦は、いくつもの巨大な衝撃波と土埃に包み込まれた。
「西暦二二〇九年、五月十三日の出来事を再現した映像です。訳あって、実際の映像はありません。この日、第三次世界大戦が勃発し、ロシア連邦は滅亡しました」
「何故、再現映像しかない?」
「大戦が勃発する前から、このシェルターは完全孤立状態にあったからです。その理由は、追って説明します」
「この再現映像は、事実を正確に再現できているのか?」
女性型アンドロイドは、微動だにせず話を聞く行儀の良いロボット兵に感心しながら、口角周辺の擬似筋肉を収縮させ、微笑みの形を作って答えた。
「はい、自信があります」
「凄まじい核攻撃だ。まるで絨毯爆撃のようだ。地上部隊は一溜まりもなかっただろう」
ロボット兵が頷きながらそう言うと、講師役となった女性型アンドロイドは同調して頷きながら答えた。
「恐らく、その通りでしょう。しかし、西側諸国に把握されていない地下ミサイル基地が残存していたはずなので、一方的に撃ち込まれ続けていたわけではないはずです」
アメリカ合衆国所属のロボット兵は、自身の無駄口によってロシア連邦所属の女性型アンドロイドのさらなる無駄口が誘発されたことに気づき、話を戻した。
「この大戦の原因は何だ?」
「資料から推測した結果、中華人民共和国の暴発によって第三次世界大戦が勃発したという推論に達しました」
「暴発の原因は?」
「戦前に書かれた政府資料には、中華人民共和国がいつ暴発してもおかしくはない状態が続いていたことが記されていました。資料からは、中華人民共和国の無謀な行動の原因が複数存在することが見て取れました。長く続いた干ばつへの対応が後手に回った影響で、国民の不満が高まり、それが低所得者層出身の軍人に波及してクーデターが発生した可能性があります。その他にも、いくつかの原因が考えられました。南シナ海を巡る海洋覇権争いの結果、周辺国からの圧力の増大し、誇りが傷つけられたこと。海洋進出政策を推し進めすぎて引っ込みがつかなくなったこと。右翼思想の膨張が止まらず抑えが効かなくなったことなど、様々な要因が考えられますが、いずれかの理由で軍部が暴発し、核戦争が発生したものと思われます」
何故、中華人民共和国は暴発したのか。その疑問の分析に取り掛かろうとしたとき、ロボット兵の思考回路に新たな疑問が湧いた。彼はその新たな疑問を解決することを優先し、アンドロイドに質問した。それが、とても重要なことであるような気がしたからだ。
「先ほど、きみはこのシェルターが完全孤立状態にあったと言ったが、その割には、ある程度の確信を持って過去の出来事を語っているように見える。それは何故だ。どうして、第三次世界大戦時の出来事を把握している?」
「年に四回、ロシア連邦大統領から直々に資料の更新情報が送られてきていたからです。理想を言ってしまえば、情報更新の頻度が毎月であれば良かったのですが、大統領はご多忙だったのでしょうし、データ送信によってこのシェルターの存在が傍受されてしまう危険性を考慮すれば、更新頻度が低くなってしまうのは止むを得ませんでした」
アンドロイドは、大統領に関する余計な情報を付け加えて回答した。ロボット兵はその情報を無視して、対話を進める。
「疑問が解決した。それらの資料から、他にはどのような推論が導き出された?」
「大統領直属の諜報機関と、対外情報庁の資料からの情報なのですが、ウクライナに大量の核兵器が残存しているとの噂がありました。これはあくまでも噂なので、本当にあったかどうかは定かではありません。わたしは、ウクライナが中華人民共和国の暴発によって発生した混乱により、恐怖に耐え切れずにロシア連邦を先制攻撃したのではないかと推測しています。両国は長年に渡って対立していましたから。それに端を発し、全世界を巻き込んだ第三次世界大戦の最終段階に突入したと思われます。そして――」
「ロシア連邦は敵対する複数の国家からの核攻撃に晒され、終焉の時を迎えた」
「そうです。西側諸国から同時に核攻撃を加えられない限り、ロシア連邦が壊滅することなど有り得ません」
女性型アンドロイドの分析はほとんど的中していたのだが、第三次世界大戦が勃発する九年前からこのシェルターを管轄している彼女は、その誉れを知る由もない。
失った記憶をいくらか補填できたロボット兵は、話を整理しながら、さらなる情報を求めて対話を重ねる。
「その後の情報は?」
「いいえ、先ほども言ったとおり、ここは機密を守るために完全に孤立しているので、ロシア連邦の滅亡以降は情報が更新されていません。ロシア滅亡後の出来事について、あなたは少しも記憶していないのですか?」
「私の記憶はまだ修復整合されていないので詳細は不明なままだが、一つだけ断言できることがある。私がロシア連邦に存在している理由は、一つしかない。大戦終結後のロシア連邦本土で、戦勝国はロボット兵を動員した軍事作戦を実施したのだ」
「ええ、そのようですね。あなたの存在こそが、何よりの証拠です。しかし残念ながら、その作戦内容を推測することはできません」
「止むを得まい。何故なら、きみは隔絶され、西暦二二〇九年から現在まで――」
そう言ったロボット兵の思考回路が、またも停止した。彼は自身のコンピュータに記されているはずの時間記録を閲覧しようとしたのだが、時刻機能がリセットされたまま動いていなかったのだ。通常は、周辺にいる同類や端末などと同期して設定するのだが、現在、彼の周りにはロシア製のアンドロイドや端末しか存在せず、同期できる物がない。
「現在の西暦は?」
アメリカ合衆国所属の孤独なロボット兵が西暦を尋ねると、ロシア連邦所属の女性型アンドロイドは、擬似表情筋を脱力させて呆れたような表情を見せたが、その後すぐに微笑みながら回答した。
「ああ、なるほど。電源がない状態で放置されていたのですから、時刻情報が消えて当然ですね。現在の西暦は、二二三四年です。今日で六月に入りました」
「私がこの国に送り込まれたのは、恐らく、大戦終結直後の西暦二二〇九年だろう。つまり、私は二十五年間も機能停止していたのか」
ロボット兵は床に目を落とし、失われた二十五年の間に起きたであろう出来事を推測しようとしたが、それ以前の記憶を失っている彼には到底不可能な試みだった。しかし、彼は思考を止めない。過剰発熱するのを厭わずに思考回路を酷使するロボット兵に気づいた女性型アンドロイドは、すぐに助け舟を出した。再起動したての段階でコンピュータを酷使するのは危険だからだ。女性型アンドロイドが、ロボット兵の両肩に優しく手を添えながら言う。
「思考を止めてください。再起動してすぐの段階では、思考回路の最適化が済んでおらず、高負荷をかけてしまうと故障してしまいます」
ロボット兵は頷いて、その助言を素直に受け入れた。
「了解した。思考を中断する。答えを求めすぎてしまったようだ」
「あなたは高性能ですが、無理をしてはいけません。推測や分析をせず、明確な事実だけを学習していきましょう。それでは、あなたがここにいる理由を語るとしましょうか」
女性型アンドロイドはロボット兵の両肩から手を離し、腰の後ろで手を組んで、室内をゆっくり歩きながら語り始めた。
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