第23話 ようこそ、サーカスへ 1
そのまま、なゆたと楽しみだなあ、なんて話をして。
夕飯のハンバーグの材料を二人で買って。
いつものように二人で晩ご飯を食べて。
いつも通り、二人で寝ていた。
そう、確かその時だった。
物音はしなかった。けれどなんとなく、本当になんとなく嫌な予感がして目を覚ましたその時だった。
部屋にいるはずのない黒服の男と目が合ったのだ。
直後、僕の意識はなくなる。そこから次に目覚めたのがここだったというわけだ。
あの黒服の男には見覚えがあった。正確に言うと、黒服の男達には。
細雪とともに魔法街へ行ったときにいた三十人程の同じ容姿の集団、その中の一人だろう。
まあ、一人と言っても、あれが個人の集まりなのか、或いは使い魔のような、集団で一つの生物なのかはわからないけれど。
ともあれ、完全に油断していたのは確かだ。
真偽はさておき、よりによって妹を、こんな危険な目に合わせてしまうなんて。
兄として失格だ。命をもって償うような罪だが、ここで死ぬわけにはいかない。少なくとも、なゆたの安全を確保せずに死ぬわけにはいかない。
果たして不死の僕と引き換えにするものとはなんなのだろうか。
そもそも僕の命って、数字の上では零なのだろうか、それとも無限大なのだろうか。
どれだけ命を持っていようとも、それが支払われないのであれば実質無価値なんだと思うし、そう考えると僕を何かしらの儀式のために拉致するというのは、コストパフォーマンスが悪いと言うほかない。
さて、そんなくだらないことを言っている間に目も慣れてきた。辺りの様子を見回してみる。
周りには僕の他数人、下手をすると十数人が横たえられている。僕と同じく連れ去られた人たちだろうか。
ざっと見渡した感じ、若い人間が多いけどそればかりではないみたいだし、男女も偏ってはいるがどちらかが極端に少ないわけじゃない。
なゆたは……多分いない。見当たらない。
と、そこで僕は気づいた。どうやら僕は鎖のようなもので縛られていて、身動きがとれない。動くのは首だけだった。
手首を切り落とそうが肩をちぎろうが余裕で元通りになる僕なので、これくらいの拘束はあってないようなものなのだけど、下手になゆたへ危険が及びそうな事は極力するべきではない。
まあ、しばらく大人しくしておくか。
寝ようかとも思ったけれど、鎖布団の寝心地が悪すぎて眠れないどころの騒ぎではない。
どうにもしっくりこないので鎖を鳴らしながらもぞもぞ動いていると、隣から声をかけられた。
「こんばんは。あなたは生きて連れてこられたのね」
周りの静けさを壊さない、ささやくような声だった。
まさかこの中にいる人間に声をかけられるなんて思っていなかったので、心臓が止まるくらい驚いた。
「生きて、って事は死んで連れてこられる人もいたって事かな」
少しずつ体をずらし、声のした方を向きながら答える。
「あ、ごめんなさい、お兄さん。アンディーが起きちゃうから、お静かにお願い出来るかしら」
ええ、マドモアゼル。と返したくなるよな、おしとやかな口調だった。
――そして僕は、その声の主の姿を見て固まる。
綺麗な金色の髪、まだ幼さの残るその顔に、
「ごめんなさい。気味が悪いですよね」
彼女はそう言って目を伏せた。よく見ると、顔だけでなく腕や足、下手なぬいぐるみのように全身くまなく縫い目が通っている。
「いいえ、そんなことはないですよ。ただ、ちょっと綺麗だったものだから」
とりあえず困ったら相手を褒めておけ、とは有理の台詞である。
ちなみにまといに使用するのが今のところ一番効果的であった。
「あら、あらあらら」
その顔がみるみるうちに赤く染まる。ような気がする。暗くてわからない。
「あら、私ったら、そんなことを言われるのは生まれて初めてなの。ごめんなさい。早くお話しなくてはいけないのに。これじゃあ、ご迷惑だわ」
しどろもどろながらもそんなことを言う彼女に、自然と僕の警戒心は薄らぐ。
びっくりしていないかと言われれば、それはもう心臓が止まるほどびっくりしたし、気味が悪くないかと言われれば、どうしても生理的な嫌悪感は抱いてしまう。
まあ、けれどそれを不死の人間に言われるのも余計なお世話というものだ。外見こそ人間離れしているとは言え、本当に人外の僕なんかに言われるのはそれこそ心外だろう。
どうしてそこまでの縫い跡が残っているのかは
少しして、彼女が落ち着いた頃を見計らいもう一度声をかける。
「やっぱりお美しいですね」
「ぃひぇっ?」
間違えた。
ようやく話せると思ったところにもう一度ダメ押しをしてしまった。
彼女は自身の表情を隠すため、手でその顔を隠してしまう。けれど上がってしまっている口角を隠し切れていない。
「も、もう、いけないのだわ。そうやって、私をからかうなんて、悪い人なの」
その恥ずかしさを誤魔化すように、ジタバタと動く彼女。
意識して見ていなかったけれど、どうやら彼女の他にもそんな少し人間からは離れた存在がここに集められているらしい。見た目にはわからないだけで、そこで眠っている男性にも何かしら変わったところがあるのだろうか。
「改めまして、こんばんは。私はユノス、こちらがアンディー、二人ともここの団員をしているの」
団員? 教団とか? そういえば以前も儀式のために変な教団にとらわれた事があったっけ。
「僕は雨乞亜斗と言います。団って言うのは?」
僕の質問に、彼女はしまった、という顔をしてからこう言った。
「あ、ごめんなさい。先にそれを説明しなくてはいけないのだわ」
ここはね、サーカスなの。私は団員、それからきっとあなたも、これからはここの団員になるの。
彼女の説明に、僕は気が遠くなるようだった。
遊びに行こうと言ったその日のうちに、サーカスの団員にされようというのだから僕の人生もそれなりに数奇なものだと思う。
彼女の説明によると、ここはサーカスといっても変わり種なようで、いわゆる「見世物小屋」のような側面もあるらしい。
彼女のような異形もいたり、さっきまといとも話したような魔獣の出来損ないがいたりして、なにせ、まともな出し物ではないことは確かだ。
そこに来る客も、怖いもの見たさであったり、
ここは想像でしかないが、あの黒服の内の誰かが、いつか僕が致命傷を負いながらも平気で立っている姿を見て、演者の一人に加えてやろうと考えたのであろう。
まあ、なにをやっても死なないんだったら、いくらでも過激なパフォーマンスは期待できるし、何度失敗しようが命を落とすリスクもない。
サーカス団員としてなら、これ以上にコストパフォーマンスに優れた人材はいない、と我ながら思う。
問題はここで僕が何をやらされるかだ。
痛いのは嫌だなあ。なんて、叶いそうもない望みをもつ。まあ、間違いなく死ぬほど痛い事をされるだろう。それでも死なないのが最近の悩みの種だ。
生きていたのか、と彼女は聞いたが、稀に死体がここに連れてこられる事もあるという。
団員の中には死体を縫い合わせ、人形にして操るものもいるのだそうだ。僕が言うのもなんだけれど、趣味が悪い。
見た目が普通なだけに、そんな風に思っていたんだとか。
「団長さんは団のみんなには優しいのよ。あなたも、芸が出来るようになったらここで働かせてもらえるようになると思うわ」
楽しみね。と、まっすぐな瞳で言われてしまった。
訳のわからないままに連れて来られはしたものの、それでも排除されるよりは嬉しい、と思ってしまう。
「とにかく今日は休んだ方が良いわ。私は眠れないからこうして起きているけれど、明日からきっとあなたも大変ですもの」
「わかった、そうさせてもらうよ」
そう言ってお互いに目を瞑ろうとしたが、僕はふと思い出した。
「そうだ、僕の他にもう一人女の子は運ばれて来なかった?」
「いいえ? 今日はあなた一人よ?」
ということはなゆただけ別室か、あるいは僕だけが連れてこられたか。どちらにしてもあまりいい知らせでは無かった。
「そっか、ありがとう。今度こそおやすみ」
そう言って僕は目を
けれどまだ寝るわけにはいかない。考えるべき事がたくさんあった。
地理的にここはどこなのか。どのくらい運ばれていたかはわからないけれど、黒服達の行動範囲内と言うことはそこまで離れていないと思う。あまり離れているとなゆたを連れて動くのが、彼女にとって負担になってしまうので出来れば近くだとありがたい。
そう、あとなゆただ。僕の妹は今どこにいるのだろう。別室にいるとすれば――嫌な想像も働いてしまう。精神的に幼いとは言え、立派に成長した女の子だ。それが別の部屋に割り振られているなんて、何をされているかは想像に難くない。
もし、その最悪のケースがあたっていた場合、僕はここにいる団員もろともサーカスを消し去らなくてはならない。妹のためとはいえ、一度話した相手にそんなことをするのはあまり気乗りしない。
今気にすべきはその辺りか。明日以降僕が何をさせられるかは大体想像がつくので気にしなくても良いとして、他には……。
ああ、まただ。まだ身内以外の人間の命をかなり軽く見てしまっている。それはやめるつもりだったのに。
あとはそう、僕がどうするかも考えなくてはいけない。
僕が例えば
どうにも情報が少ない。ちょっとした諜報活動をするにも、リスクが大きすぎる。なにが得られるかもわかったものじゃないし、どうしたものか。
早速行き詰まったところで、寝てしまおうかと思う。こういう、リスクだなんだを天秤にかけて、頭を使う作業は僕には向いていないような気がする。最大級のリスクである死の要素を持ってないのだから。
有理がいれば、この状況からでも起こせる行動を思いつくのだろうけれど、僕にはなあ。
……うん、だめだ。パス。手詰まり。
寝る。
半ばふてくされるように、僕は眠ることにした。
枕が変わると眠れないなんて聞くけれど、思ったよりもしっかりと眠れた。
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