火星歴元年 10

 火星での労働体験が始まる。

 僕らはタクシーに乗せられて、農場へ行くのかと思ったのだが、いったん大学に行って説明を受けるらしい。2分ほどタクシーに乗り、広い大学の構内を歩き、『214会議室』という場所に入った。


 僕らの学校の教室の倍くらいはある部屋に、体験ツアーの参加者達が集まる。

 部屋に入ると、タブレットPCを渡され、姉ちゃんの説明が始まった。


「今回、農作業の体験コースですが、ふたつのコースがあります。参加者のほとんどは通常の農作業を体験してもらいますが、受付の時に『オーガニック農業』の体験コースを選ばれた方、手を挙げて下さい」


 すると二人の白人系の人が手を挙げる。


「ノルウェーから来たお二人は『オーガニック農業』コースですね。化学肥料が使えないとか、ちょっと制約を受けるので、気をつけて下さい。面倒くさくなったら、いつでも普通のコースに変える事もできます」



 続いて姉ちゃんは、黒板のような大きなスクリーンの前に立つ。

 すると、スクリーンに畑の映像が映った。それは、どこにでもあるような一般的な家庭菜園の画像だった。


「一辺が3メートルちょっと、およそ10平方メートルの、この小さな範囲が、これから農業体験で受け持ってもらう空間です。事業主になった気持ちで、この空間にどんな作物を植えるのか計画を立てて下さい。タブレットPCで、このように選択ができます」


 姉ちゃんがタブレットPCを動かすと、その内容が大きなスクリーンにも映し出された。


 まず、植えるエリアを選択する。そうすると、大まかな作物の品種が出て来た。

『トマト』『キュウリ』『ナス』などの中から姉ちゃんは『トマト』を選んだ。


 次に、更に細かいトマトの品種『桃太郎』『アメーラ』『サンマルツァーノ』などといった、聞いた事のない名前が出て来た。姉ちゃんが適当に『桃太郎』という品種を選ぶと、その作物が画面に配置された。

 操作方法を見ていると、農作物を育てるゲームのように配置できるらしい。



「こんな感じで、画面に作物を配置して埋めて下さい。、このエリアに『スイカ』『カボチャ』などの大型の物は15個程度、『ナス』『キュウリ』『トマト』といった小型の作物は40個ほど配置が出来るはずです。計画が出来たら、その通りに実際に作物を植えましょう。

 この畑でできた農作物は、後日、みなさんに記念のおみやげとして郵送されるので、真剣に選んで下さいね。何か質問はありますか?」


 姉ちゃんが質問を受け付けると、何人から手が挙がる。僕も質問があるので手を挙げてみた。


「はい、弟ちゃん」


 すると、いきなり僕が指された。


「ええと、トマトの品種がたくさん出て来たんだけど、どの種類が良いのか、ちょっと分りません」


「品種に関しては、一つ一つ調べる事もできるけど、おおざっぱに絞り込む事もできるわ。例えば『トマト』だけど、『サラダ向け』『パスタソース向け』『ジュース向け』とか用途を言えば、それに適したものだけが表示されるわ。更にその中から『甘さ重視』『酸味を抑えたもの』『みずみずしさ重視』とか、どんどん条件を言っていけば、かなり品種が絞り込めるわよ」


「おおー」と周りから声が上がる。


 なるほど、そうやって品種を絞り込めるのか。

 これなら素人の僕たちでも何とかなりそうだ。



 他の人の手は、まだ挙がっている、次に姉ちゃんは中東風の人の手を指した。


「はい、そこの方、どうぞ」


「私らは今日、帰るんですよね。植えた後の作物はどうなるんですか?」


「植えた後の作物は『育成プラン』に沿ってロボットが育てて行きます。『育成プラン』は、このように設定します」


 先ほど姉ちゃんが植えた作物をクリックすると、そこに詳細な情報が表示された。

 いくつかある項目の中に『育成プラン』という項目があり、そこには『標準、バランスタイプ』と表示されている。


「この『育成プラン』は、好みに合わせて変更ができます。『甘さ重視』『旨み重視』『歯ごたえ重視』などなど。このプランに合わせて、ロボットが肥料や水を自動でやってくれます。一流の野菜を作ろうとすれば、作物の具合を見ながら、もっと細かい調整が必要ですが、ロボット任せてほったらかしにして置いても、まあ、それなりの品質の野菜が出来ます」


「おおー」と再び参加者達から声が上がる。

 この説明を聞く限り、火星の農業は、とても楽かもしれない。



「まあ、とりあえず、作物を決めて行きましょう。分らない事があれば答えますので、その時は手を挙げて下さい」


 姉ちゃんがそう言うと、参加者達は自分のタブレットPCを操作し始める。

 好きな野菜を選択できるので、みんなテンションが上がってきた。ちょっとだけ教室が騒がしくなる。


「私は『トマト』と『キュウリ』、あとは『サツマイモ』でも植えてみようかしら」


 ジミ子がバランス良く作物を選択していく。


「俺は肉の豆を植えるか」「俺もそれにするぜ」


 ヤン太とキングは宇宙人の開発した肉の豆ばかり植えている。

 確かに、元男子としては、野菜より肉の方が良いだろう。


 ミサキが珍しく真剣に考えている。


「私は『トマト』と『ナス』、あとは『カボチャ』でも植えようかしら? いや、ここは『トウモロコシ』も捨てがたいわね」


 どんな構成で作物を植えているのか、気になってミサキの画面を横から覗くと、作物の育成プランは全て『大きさ重視』に設定されていた。どうやらミサキは、味よりも量を優先するようだ。


 僕は何を植えようかと考えていると、ふと、昨日食べたカレーの事を思い出した。

 タブレットPCを見ると、香辛料のページもあるが、カレーに使う香辛料は種類がサッパリ分らない。

 しょうがないので『タマネギ』『ニンジン』『ジャガイモ』などの、定番の野菜を植える事にした。



 しばらくすると、みんな何の作物を植えるか計画が立ったようだ。

 ただ、『オーガニック農業』を体験する二人だけは、なかなか計画が決まらない。


「うーん、これもオーガニックだとダメなのか。これもダメか、選択出来る作物が少ないな……」


 どうやら『オーガニック農業』は、かなり制限を受けるらしい。


 みんなから遅れる事、およそ10分あまり。オーガニック農業の二人の植える作物が決まった。

 タブレットPCを回収して、僕らは農作業をする為に教室を出る。



 タクシーに乗り、およそ7分。僕らは校外の農地へと着いた。

 周りの畑には様々な作物が植えられているが、この一角だけは何もなく、剥き出しの地面が広がっている。


 到着した場所には10体以上のロボットが待機していた。

 ロボットはお盆のような大きなトレーを持っていて、トレーの上には植物の苗が入ったポットが、敷き詰められるように並んで居た。


 タクシーを降りた僕たちに、ロボットが近づいて来た。


「ミサキさま、こちらデス」

「ヤン太さま、こちらデス」

「ジミ子さま、こちらデス」

「キングさま、こちらデス」

「ツカサさま、こちらデス」


 どうやら一人につき、一体の、アシスタント役のロボットが付くらしい。

 担当のロボットの後に着いて、僕らは畑の中を歩いて行く。



 畑の中をしばらく進むと、ロボットが立ち止まる。


「このエリアがツカサさまのエリアです。こちらから苗を植えてくだサイ」


 畑は既に耕されていて、苗を植える部分は、綺麗に土がくり抜かれている。

 ロボットから苗のポットを受け取り、ポットを外して埋めようとすると、ロボットがこう言った。


「そのポットは『稲ワラ』から出来ていて、およそ2週間で土に帰りマス。そのまま埋めて下サイ」


 僕は渡されたポットをそのまま穴に入れて、上から土を軽くかける。

 すると、ロボットが水の入ったジョウロを渡して来た。もらったジョウロで水をかける。


「次へ行きまショウ」


 ロボットに言われて、次の苗を植える。


 何もかもロボットが準備をしてくれていたようだ。

 僕はこの『仕事』というにはあまりにも楽な作業を続け、30個ほどの苗を20分も掛からず埋め終わった。



「お疲れさまデス。アチラに水道がありマス」


 ロボットに言われて、僕は畑のそばにある水道で、たいして汚れていない手を洗う。


 手を洗っていると、姉ちゃんが声をかけて来た。


「弟ちゃん、お疲れさま。何か飲み物を飲む? お茶とかコーヒーとかあるよ」


「あまり疲れていないけど、コーヒーをちょうだい」


「はい、じゃあコレね。ほとんどの人は作業が終わってるみたいよ」


 姉ちゃんに言われて回りを見渡す。

 すると7割ぐらいの人は作業を終えて、コーヒーや紅茶を楽しみながら、会話を楽しんでいる。

 残りの3割ぐらいの人も、ほぼ、作業が終わっているが、その中で一組のペアだけ、忙しそうにくわを振るっている人達がいた。


 僕は、思わず指を指して聞いてしまう。


「姉ちゃん、あの人達は」


「あの人達は『オーガニック農業』コースの二人ね。オーガニックは何かと大変なのよ。まず、肥料を入れて、人の力で混ぜ合わせなきゃいけないからね」


 オーガニックの定義が間違っている気がするが、ここ火星では、それがオーガニック農業の定義なのだろう。

 重力が3分の1とはいえ鉄の鍬を振るうのは大変そうだ。体からは吹き出すように汗を掻き、足元はふらふらとしている。

 ちなみにこの二人は、農作業をするのにオシャレな格好をしているので、おそらく都会の人たちだろう。


「興味本位で『オーガニック農業』コースなんて手を出すんじゃなかった。ギブアップします」


 鍬を振っていた一人がギブアップすると、それに釣られてもう一人も作業を投げ出した。


「私も無理。もう限界です、ギブアップ」


「じゃあ、残りの作業はロボットに任せますね。手の空いているロボット達、お願いね」


 姉ちゃんがそういうと、5体ぐらいのロボットがワラワラと集まり、軽々と土を混ぜ合わせていく。そしてあっという間に苗を植え、立派な畑が完成した。



 姉ちゃんは地面に座り込んでいる二人に、スポーツドリンクを渡すと、参加者全員の方に体を向きなおして、こう言った


「農業体験はこんな感じです。今回はみなさんが直接、苗を植えましたが、この作業をロボットに任せる事もできます。どうでしたか?」


「楽だった」「素人でも何とかなるな」「これなら年を取っても出来そうだ」


 そんな中、あの二人が言う。


「もうオーガニックはしない」「オーガニック、糞食らえ!」


 悪態をつくと、周りから笑いが起きる。

 たぶん、このグループから、オーガニック農業をやる人は出ないだろう。


「では、大学の方に戻って、ランチを取りましょう。この『火星の生活の体験プログラム』は終了です。出来ればアンケートのご協力もお願いします」


 こうして僕らは大学に戻り、火星で最後の食事をする。



 学食では、各自が好きなメニューを、それぞれ注文し、勝手に食事を始めた。

 ランチで食事を食べている途中、姉ちゃんは参加者達から声をかけられる。


「すぐにでも火星に移住したいんだが、どうすれば良い?」

「来年の春に定年なんだが、その後に移り住みたい」


 姉ちゃんはパンフレットを出しながら、にこやかに答える。


「火星では、いつでも入居者を希望していますよ。必要な書類などは、このパンフレットに載っています。分らない事があれば、いつでも火星管理局の方へ電話をして聞いて下さい、丁寧に答えます。他に何か質問がありますか? この場で答えられる事は答えますよ」


 この後、しばらく姉ちゃんは、プログラムの参加者と談笑をしていた。

 参加者たちの印象は好評で、何人かは確実に移住をするだろう。


 僕も大学が無料なのが魅力的に思えた。

 火星に留学するのも、一つの手かもしれない。



 食事を食べ終わると、ドアを二つくぐり、あっという間に地球に帰ってきた。


「おつかれ」「おつかれさま」「お土産がたのしみね、早く来ないかしら」


 挨拶を交わして、僕らは自分の家に戻る。

 一日ぶりの地球の重力は、とても重く感じた。



 後日、火星のお土産が届く。

 野菜が届くにはあまりにも早いと思ったが、それは、洗濯にも、食器洗いにも、お風呂場にも使える、万能洗剤だった。

 今になって思えば、なんであの時、こんな物をお土産に選んだのだろう?

 18リットルという、巨大な洗剤の容器を見ながら、僕は後悔をした。

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