扉を開けて

夏川 大空

第1話 じゃがいものチーズがけ

 今日も家計簿はなんとか黒字を保っていた。

 パートに行きたい、そう思っていたのでいつも夕時のタイムセール時に行くスーパーヤオヤンで無料のアルバイト雑誌を貰って来たのだった。

 今日の店内BGMはなかなか美味だった。あれなら毎日聞いてもいい。

 あの西野カナのCDを今度レンタルで借りてこよう。

 運の悪いときは流行っているらしい失った恋の歌が流れている、高い男性の声で、そのあまりに悲しい歌詞におびえて逆に覚えてしまったほどだ。

 私はそんなふうに音楽を味覚に感じられることが出来るほかは、ごく普通の主婦だ。

 この少し変わった感覚を何に使うかなんてもちろん私にはわからない、きっと私の人生は、甘かったりコーヒーのようにほろ苦かったりする大好きな音楽みたいなドラマチックさとは無縁のものなのだろう。

 歩いて遠くはない家路を、ネギを出して歩く。

 いつも会う犬に、元気ね、と声を掛ける。

 袋の重さに、値下げで150円ほど得して買ったことを思い出す。

 そんな小さな幸せだけがあれば、ドラマチックはいらない。

 私のこの細やかな感覚はドラマチックに耐えられないかもしれないと、ふざけて笑った学生時代の健一さんの笑顔を思い出す。

 健一さんとは学生時代から友人で、お互いなんとか就職が決まって冗談みたいに付き合おうかと言われて、冗談だと思って頷いたのに、そのままいつの間にか結婚してしまった。

 プロポーズというものもそういえば無かった気がする。

 ただ「そろそろしちゃう?」と言われて、私はなんのことかわからなかったので「痛くしないでね」とちょっと照れたら、なんだか随分笑われて、それから軽くキスされた。

 友達は随分簡単なことで人生を決めるのね、と言った。でも、私はそれで幸せだ。

 夫の健一さんはエンジニアだ、パソコンのプログラム等色々やることがあるらしい、私は動画サイトでお気に入りにした音楽を食べるのとたまに料理のレシピを見る以外特にパソコンを使わないので共有でもいいように思うが、それでもセキュリティに問題が、と夫が言うので夫は会社支給のパソコンで何かをやっている。

 夫のパソコンに何が入っているかは私は知らない。

 水着の女の子の写真でも入っているんじゃないの、とある時私が喧嘩の時に口走ったら、学生で若い時海で撮った私の水着の写真を画面に映し出された。

「可愛い娘だと思ってさ」

夫は笑っていた、私は怒ったが、幸いインターネットにそれが流出することは無かった、曰く、そんなことは俺が許さない、らしい。

 健一さんはあぁ見えて嫉妬深いとはその友人の談だ、みんなで飲みに行って、優子さんが他のイケメンと話してた時、あいつそいつの悪口ばかり言ったろ?これ女癖悪くてどんなのでも手出すからとか、あれ、あいつなりのやきもちだからな。そう言われて、でもそれが嫉妬というよりはきっと健一さんはすぐそうやって誰にでも軽口を叩く人だと私は思っていたので、そんな掛け合いを曖昧に笑っていた。

 そんな少し昔のことが懐かしい、私の人生に大きなダイヤモンドは無かったけれど、健一さんが駅ビルで学生時代買ってくれた銀の指輪、宝石すら着いていないそれがあれば十分だ。

 私の家は建てたのではない、そんなお金がどこにあるの、私は笑って、銀行から借りればいいという健一さんに、いえ、それは子供に当てましょうとたしなめたから、子供に恵まれた今でもごく普通の月払いの公営団地に住んでいる。

 鍵を開けた時風の声が聞こえる、夏の暑さをいくらかごまかすしかできない力の無い彼は、おなかがすいた、と言っている。

 そういえば私もお腹が空いた、健太は今日は学童だ。おやつはちょっとしたものが出るらしいがそれでもお腹を空かせているだろう。

 そうだ、今日はヤオヤンでじゃがいもが十個百円だったんだ。

 扉を開けて、入った後鍵を閉めるとさっそく簡単にじゃがいもを剥いて切り、レンジにかけて柔らかくする、一回取り出してスライスチーズを載せてまた温める。

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