第3話 星の龍の鍋
ローランは今、瞳に金貨を浮かべながら意気揚々と煉瓦の建物へ向かっていた。
「
今の彼は、まさに金の亡者である。それもそのはず、何しろこの箱庭の中には、まるで道端に転がっている石のように、魔力の浸透性や融和性、大きさに反する軽さと、鋼のような強度が折り紙付きである、魔道具の外付けとして優秀で高価な材料ミスリルが……ローランの一日分の給与とほぼ同価値の希少金属がどこにでも転がっているのだ。
今の彼の頭にその事に対する疑問は一切ない。まるで宝の山だと、目の前の財宝に意識と関心を思考ごと奪われ、辛うじて残った煉瓦の建物へと辿り着くという目的が、道中に落ちているミスリルを皮袋に詰めながらローランの足をまっすぐ進ませていた。
「
かなり大きめの皮袋一杯に詰まったミスリルを地面に下ろす。金の力とは恐ろしい。こうも簡単に人の意思を乗っ取るのだから。
拾うのに夢中でウインドブーツを使わなかったせいでかなり時間が掛かったが、ようやく煉瓦の建物の前へ辿り着いたローランは、古びた木製のドアを軽くノックする。
「ご、ごめんくださーい。誰かいますかー……ってぇっ!?」
その瞬間、ドアが木屑となって粉々に崩壊する。ドアが腐るの通り越して風化していたのだろう。建物全体にも苔が生え、植物の根が張られているし、随分と古い建物のようだ。この分だと周りの壁も崩れるのではないかと思ったが、ローランは煉瓦を手のひらで撫でると、首を傾げる。
「これ……材質が普通の粘土じゃない? 確かに古いみたいだけど、それにしては繋ぎ目や煉瓦そのものが風化してない。どうなってるんだ?」
よほど特殊な物でもない限り、鉱物は雨風に晒され続ければ風化するのが当然だ。扉の腐り具合からみても、壁を少し強く蹴れば崩れてもおかしくない時間放置し続けているのだろうが、泥土を焼いて作り出す煉瓦がそんなに強度を保てるはずもないのだ。
(根っこや苔で頑丈になってるとか……? とりあえず、入る分には問題なさそうだな)
崩れたドアの残骸を踏みながら、ローランは建物の中へと踏み入る。生活性を排除した、床や天井までもが煉瓦造りの建物は内部にまで草が生え、植物特有の匂いが立ち込めている。
照明器具と思われるランプが壁に備え付けられているが、当然のように燃料は残っていない。その代わり日当たりは良く、ガラスの天窓が備え付けられているおかげで、現在日中であることもあって内部は問題なく見渡せた。
「住む場所じゃないとは思ってたけど、やっぱりここは工房か……ただ通気性が悪いな。暑い」
春も半ば。陽光と共に吹く春風は心地いいが、風通し最悪の建物の中はムワッとした暑さを感じる。ローランは上着を脱いでリュックサックの中に捻じ込むと、改めて内装を見渡す。
掠れてはいるが、それぞれに入っている道具や材料の種類が書かれた木製の棚が置いてあり、慎重に手に取ってみると、風化した形成用の金槌や彫刻ノミ、ミスリルに水晶などが置きっぱなしになっていた。
「多分、俺と同じ魔道具作りを専門にしてたんだろうな。かなり古い術式だけど、これはエンチャント用の儀式魔法陣だ」
所々欠けてはいるが、床に刻まれた魔法陣を見てローランは確信する。魔道具職人は、
勿論、その外付け道具を疎かにすることはしない。しかし、魔術的効果が付与された武器や防具を作る時は鍛冶職人と提携するし、ローランが作ったウインドブーツや傘の魔道具も、
そしてそれには金が掛かる。一応、ローランも一から十まで作り出すことは出来るのだが、専門分野に頼れるところは専門分野に頼った方が出来の良い物が仕上がるのだ。金は大いに掛かるが。
「マジで金稼ぎするには量産できるようにしなきゃだしな……一から剣を打ってたら、何時まで経っても金持ちになれないし。……まぁ、その事は一旦置いておくとして、だ。問題はこいつだよ」
そして、一番の問題は工房の中央に堂々と置かれているのは奇妙な蓋付きの鍋と思われる物体だった。
高さは二メートルを優に超えているだろうか、横回りも両腕を伸ばしたローランが六人分くらいはありそうなその鍋は、まん丸とでっぷり太ったドラゴンを模していた。
上顎からワニのように平らな頭の部分が蓋になっているのだろう、鍋の周りは頑丈な金属製で梯子付きの高い足場で囲まれている。鍋自体も見たことのない石材で作られていて、まったく劣化している様子が見られない。
(薬でも煮込んでたのか? それにしてはデカすぎる気が……?)
ただの道具というには随分と凝った造りだ。まん丸と突き出た腹の部分以外は鱗が精緻に彫られ、太った体系に見合う短い手足に尻尾、小さな翼まである。恐らくこの工房のメインとなっていると思うが、これの使用意図がサッパリ分からない。
(親父の工房は燃えた実家だったし、爺さんかご先祖の工房なのかね? 一応男爵だったし、貰った土地で人里から離れて魔道具を作ってたと考えれば不思議じゃないんだけど……もうミスリルがそこらかしこに落ちてるこの場所自体が不思議だしな)
そんな事を考えながらドラゴン型の鍋の腹にあたる部分に手のひらで触れる。その瞬間、灰色だった鍋が突如金色に変わり、眩いまでに発光し始めた。
「え!? 何!? 何なの!? 俺何もやってないよ!?」
突然の事態に慌てふためくローラン。そんな彼を置いてけぼりにするように、丸い腹の部分に紫色に光る文字が浮かび上がった。
『正式な所有者を認識しました。初めまして、
「え!? あ、えぇ……よろしく、お願いします?」
どうやらこの鍋の正式名称は、星龍の鍋というらしい。そんな割とどうでもいいことを考えながら、とりあえず説明を聞くことを選ぶと、先ほどの文字が消えた新しい文章がびっしりと浮かび上がる。
『この星龍の鍋は、人以外ならばどんな物でも合成、精製、調合、研磨、製造が可能な汎用型生産魔道具です。使い方は今文章が浮かんでいるお腹の部分に魔力光で材料、製造過程、完成図を書き込み、最後に頭の部分の蓋を開け、中に必要な材料を全て投入してから蓋を閉めるだけ。するとあっという間に完成品の出来上がりです。余った材料や不純物は完成品と共に排出されますので、材料を余分に入れてしまった場合でも大丈夫。逆に材料が足りなければ製造が開始されず、逐一に報告しますのでご安心を』
「……掻い摘んで言うと、製造に対する過程と時間を省略する夢の合成鍋って事か。…………はっ、胡散臭ぇ」
文章が消えるのと同時に、ローランは鼻で嗤った。そんな夢のような鍋があるなら、世の中の職人は誰も苦労しない。人員なんか稼げなくても、これ一つあればいくらでも量産体制が取れるという事ではないか。魔術自体が神秘とは言え、等価交換の法則を無視する星龍の鍋はあまりに非現実的すぎる。
「でも一応遺産の土地にあった物で、突然星龍の鍋が金色に変わった珍現象もあるしなぁ……試してみるか」
金色に輝く巨大な鍋を見上げ、試すだけ試すことにしたローラン。幸いにも、ローランの手元にはミスリルが大量にある。
ローランはドラゴン型の鍋の腹の部分に指先で灯した魔力の光で文字を書き込んでいく。戦闘の心得はないが、魔術の心得のある者からすれば、魔力の燐光で文字を書き込むことは基本中の基本、造作もない。
丸い腹の部分に材料と研磨から錬鉄、製造方法といった過程を書き込み、最後に完成図を仕上げる。完成図はローランの腕前では作れない、極めて頑丈で切れ味が抜群のミスリルの短剣だ。鍛冶種族と呼ばれるドワーフが作り出しそうな一振りを想定してみた。柄の部分は省略、昔の銅剣のように柄と刀身が一体で、
そして星龍の鍋を囲む足場に登り、蓋を開ける。大きさに反して思いの外軽かった蓋は片手で開け閉めが可能で、材料がなんなのかが本気で気になるところだが、いったんそれは放置してミスリルの原石を鍋の中に放り込む。
(さて、まったく期待はしてないけど、どうなることやら)
そう思いながらも、結果など全く期待していないローラン。原石の研磨、錬鉄自体にも恐ろしい手間がかかるのに、それを短縮して鍋一つで完成品を仕上げるなど到底考えられない。仮に出来たとしても、それは酷く不出来な物に違いないと高を括っていた。
ちゃんと出来なかったら、失ったミスリル分の蹴りを鍋に叩き込もう。そんな未来を心の何処かで確信しながら、ローランは鍋蓋を閉める。その瞬間、鍋全体が微細に振動し始め、まるで煮え滾る熱湯や溶岩のようなボコボコという音を発し始めた。
「ぎゃああああっ!? 何事!?」
煮える物など入れた覚えのないローランは思わず尻餅をつく。しかしそれも十秒ほどで収まり、ドラゴン型の鍋の尻に位置する箇所が縦に開き、そこからカランと音を立てて不純物である鉱物と共にミスリル製の短剣が飛び出した。
「どこから出してんだぁああああああああっ!?」
口を模した投入口から尻を模した出口へ。少しでも想像を翼を広げれば、カレーとかが食べられなくなりそうだ。
「こんな遊び心要らねぇよ! 誰だよこんなの作った奴!?」
ぶつくさ文句を言いながら、尻部分から飛び出たミスリルの短剣を手に取る。初めは一体どんな材料無駄遣いな粗悪品が出来上がったのかと思いきや、その輝きや流麗なフォルムは意外や意外、都会で見かけたドワーフ製の短剣と遜色が無かった。
「……いやいやいやいや、問題は見た目だけじゃなくて性能でしょ」
早速試し切りすることにしたローランは、外に出て丁度良さそうな岩にミスリルの刃をぶつける。ミスリルの刃は、バターの塊に突き刺したかのように岩を半ばまで切り裂いた。剣術の心得など一切ない、ド素人のローランの適当な斬撃で。
今度は刃が当たらないように、短剣の腹や背で岩を叩きまくる。それこそ刀身が歪んだり、折れたりしそうな勢いでだ。しかし百回ほどそうし続けたのだが、刀身に一切の歪み無し。途中から岩を何度も斬りつけても、刃毀れ一つしていなかった。
「……ドワーフの名工が作った剣を試し切りしてるみてぇだ。……ていうか、え? マジなの? あの星龍の鍋の性能ってマジもんなの!?」
それを確かめるように、急いで工房の中に戻ったローランは、今度は
十秒ほど鍋はボコボコと音を立てると、先ほどと同じように尻の部分から丸いガラス製の
「……これ、もう
場合にもよるが、簡単なエンチャントなら恐らく十分あればお釣りがくる。材料の投入や製造方法の書き込みなどを考慮しても、一時間ほどあれば戦闘用の魔道具が作れるだろう。容量を掴めば更に短縮できる。
正に破格のスピード。剣の質は勿論のこと、
「……これを俺が独占すれば、最速で大金持ちになり、勇者共に土下座を強制することも出来るのでは?」
ローランは悪い笑顔を浮かべる。彼の心に訴えかけてくるのは一年半前から始まった屈辱。死んでしまった両親への悲しみ。店を立派に継ぐという誓い。そして自分たちの信頼を裏切った幼馴染や義妹、全ての元凶ともいえる勇者への強い怒りと、強かな欲望だった。
「ありがとう親父! ありがとうご先祖様!! 俺はこの鍋で毎日酒池肉林出来るような世界一の道具屋を築いて、勇者共に土下座させて頭を踏みながら嘲笑えるくらい成り上がるから、安心して見ていてくれ!!」
欲望塗れの台詞を爽やかな表情と口調と雰囲気で謳い上げるローラン。今の彼の脳裏には、金と肉と女に囲まれながら、玉座のような立派な椅子に座りながらワイングラスを持ち、勇者と聖女たちを足蹴にする未来図が浮かび上がっていた。
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