証言 〜二人が結ばれた日〜

 あの日は私が無理を言って、雄二さんと一緒に、映画鑑賞に行った日でした。私の友人たちは『ホラー映画を見に行け! そしてどさくさに紛れて手をつなげ!!』と口をそろえて言っていたんですが、私にはそんな度胸はなく……かといって、ラブストーリーなんてロマンティックなものを雄二さんと二人で見るなんて勇気もなく……そこで選んだ映画が、あの時期ちょっとした話題になっていた、スペクタクル感動CGアニメの『ぼくは玄界灘のワタリガニ』でした。


 映画は本当に感動的な映画で、物語の終盤で、私は感動して泣いてしまったのですが……その時、雄二さんがこっそりとハンカチを渡してくれたのは、今も忘れることが出来ない、うれしい思い出です。雄二さんも感動していたようで、横顔が涙ぐんでいました。


 そして映画を鑑賞したあと、私達は、海が見えるアンティークで素敵な喫茶店で、二人でお茶をしていました。時間はもう夕方で、海側の大きな窓から夕日が差し込んで、お店の中は、オレンジ色に輝いていました。


 その時、私はミルクティー、雄二さんはアイスカフェオレを飲んでいたと思います。


「え、えっと……」

「……ん?」

「え、映画……面白かったですね」

「ああ。……とても有意義な時間だった」

「アンコウおばさんの、死ぬ間際の告白……私、とても感動しました……」

「あのシーンは俺も感動した。それ以外にも……身を挺してキシダをミズダコから庇ったアラ先輩……母のノリコさんが、キシダを玄界灘のワタリガニニキへと預けた理由……長い旅の果てについに出会ったキシダとノリコさん母子……涙なしでは見られない、素晴らしい映画だった」

「私も……ずっと、泣きっぱなし……でした……」

「……」

「でも、よかった……私が強引に雄二さんを誘ったから、もし雄二さんが退屈に感じていたら……そう思っていたんですけど……」

「いや、キミに感謝している。キミのおかげで、こんなに素晴らしい映画に出会えた」

「……!」

「ありがとう」


 そう言って、雄二さんは私にありがとうと言ってくれ、ニコッと微笑んでくれました。


 雄二さんが、私に微笑んでくれた……それだけで私は、もう幸せでした。オレンジ色に輝く中で、雄二さんと二人……それだけでもうれしくて頭がおかしくなりそうなのに、雄二さんが私に微笑んでくれるなんて……


 でも、そんな時間も、もうすぐ終わりを告げようとしていました。


「さて……」

「……」

「そろそろ時間だ」


 雄二さんが腕時計を見ました。時計を見なくても、このオレンジ色に輝く室内の様子で分かります。もうすぐ、お別れです。


「あまり遅くなると、家の人が心配するだろう」

「……」

「桜沢さん。今日は楽しかった。このお礼はまた、いずれ何かで」


 腕時計を見た雄二さんがそう言って、テーブルの上の伝票を手に取りました。荷物の小さなバッグを手に取り、中にスマホをしまいます。


――待って


 私の心の奥底で、『この人と、もっと一緒にいたい』と、私の心が叫びました。


――いやだ


 雄二さんがレジに向かおうと立ち上がった、その時です。


「……」

「……?」


 私は、震える右手で雄二さんの袖をつまみ、彼をその場に引き止めていました。


――ダメ


――行かないで


――言ってはいけない


――一緒にいて


 心の中で、私は葛藤しました。


「桜沢さん……?」

「……」

「……どうしました?」


 雄二さんが、袖を離さない私を、怪訝な顔で見ているのが分かりました。それでも、私の手は、彼の袖を離しません。私の心は葛藤しているのに、私の右手は、これ以上、雄二さんのことを我慢できないかのように、震えているけどしっかりと、雄二さんの袖を摘んでいました。


 そしてそれは、私の口も同じでした。私の口は私の顔を上げ、雄二さんに向けて、言ってはいけない言葉を発しました。


「えっと……桜沢さん?」

「……」

「あの……何か……」

「好きです」


 言ってしまった……おっぱいが小さい私が、決して雄二さんに行ってはならない言葉……決して届けてはならない気持ちを、雄二さんに届けてしまった……。


「……」

「……あ、あの……」

「……」

「あ、あの……ご、ごめんなさい……」


 途端に頭が冷静になり、そして同時に、私は血の気が引きました。私は、雄二さんと仲良くなっただけでいい……そう思っていたはずなのに……そう、自分を戒めていたはずなのに。


「ごめんなさい……ごめんなさい」

「……」

「ごめんなさい……ごめんなさい雄二さん。私が……私なんかが、あなたを好きになってごめんなさい」


 口をついて出たのは、謝罪の言葉でした。おっぱいが小さい私が、雄二さんを好きになるなどおこがましい……決して許されない……それなのに、私は、この人に想いを伝えてしまった……おっぱいが小さい私が、おっぱいが大好きなこの人に、愛されるはず無いのに。


 私は、この人と仲良くなれただけでよかったのに……私がこの人のことを好きになるなど、この人にとって、迷惑でしかないのに……それなのに……


「ごめんなさい雄二さん。私なんかが、あなたを好きになってごめんなさい」

「……」

「でも……あなたが好きなんです。あなたのことが好きで……本当に好きで……ごめんなさい。雄二さん、本当にごめんなさい……」


 雄二さんが椅子に座る、ガタッという音が聞こえました。私は俯いていました。恥ずかしさと申し訳無さで、雄二さんの顔を見ることが出来なかったんです。雄二さんの袖をつまんでいた手も、なんとかして離しました。


 俯いて雄二さんに謝っていたら、涙が溢れてきました。情けない。私は、雄二さんと仲良くなれただけで満足だったのに……満足しなければいけなかったのに……私は、この人を好きになってしまった。こんなに小さなおっぱいの私が、あろうことか、目の前の雄二さんのことを、こんなにも好きになってしまった。


 そして、自ら禁じたその気持ちを、私は雄二さんに伝えてしまった……。


 今、私の心は、罪悪感でいっぱいでした。雄二さんごめんなさい。おっぱいが大好きなあなたを、おっぱいが小さな私なんかが、好きになってしまってごめんなさい。


「あの……えーと……」


 雄二さんが口を開きました。私は俯いているから、彼が今、どんな顔をしているのかわかりません。だけど、その声色は、私に対して困惑している様子が見て取れました。


 これ以上、雄二さんを困らせたくない……そう思い、顔を上げ、必死に笑顔を作ったのですが……


「あの……」

「……はい」

「桜沢さん……」


 必死に笑顔を作ろうとしても、それはすぐに歪んできます。泣きたくないのに、目からは涙がひっきりなしに溢れてきます。おかげで視界がぼやけて、雄二さんが今、どんな顔をしているのかわかりません。


「雄二さん……ごめんなさい。困らせてしまいましたね」

「いや……」

「すみません。私なんかが、あなたを困らせてすみません」

「えっと……」

「そして、好きになってすみません……私はもう、あなたの前から姿を消します」

「え……」

「おっぱいが小さい私なんかが、あなたを愛しても……あなたには、ただの迷惑ですから」

「いや……あの……」


 心の内を伝えてしまった以上、これ以上、この人の側にいることは許されない……。私はそう思いました。この人のそばを去ろう。知り合えてから今日までの、宝石のように美しい日々を思い出に、私はこの人の前から姿を消そう……そう、決心しました。


 私の決心を聞いている雄二さんの顔を、私は見ることが出来ませんでした。涙で視界が滲んで、雄二さんの顔を聞いている見ることが出来ないのが、ホッとする反面、とてもとても残念で……


「……でも、雄二さん……」

「……?」


 そして私の口は、また私の意識を離れました。私が心の何処かでずっと抱えていた願望……それを、言葉にして、雄二さんに、問いかけました。


「もし……私が……」

「……」

「もし……私のおっぱいが大きかったら……」

「……?」

「私はあなたのことを、胸を張って好きになれたのでしょうか……?」


 ずっと胸の何処かで抱えていた気持ち……それは、自分のおっぱいへのコンプレックスと、大きいおっぱいへの羨望。


 もし自分のおっぱいが、もう少し大きかったら……私は雄二さんに、胸を張って『好き』と言えるのに……そう思った日は、一度や二度ではありません。私の口は、その気持ちのすべてを、雄二さんに伝えてしまいました。


「ねぇ雄二さん……?」

「……」

「もし、私のおっぱいが大きかったら……私はあなたに、胸を張って、堂々と『好きだ』と伝えられたでしょうか?」

「……!?」

「だとしたら……私も、大きいおっぱいが欲しかったなぁ……」


 その時、私が何を言ったのか……今でもよく覚えてます。『私も、大きなおっぱいが欲しかった』私は確かにその時、溢れる涙を我慢しながら……でも我慢できず……精一杯笑顔を作って……でもその笑顔を歪めながら、雄二さんに、そう言ってしまいました。


 その時です。テーブルを勢いよく叩く、『ダン』という音が、お店の中にとどろきました。


「!?」


 ハッとしました。店内にいるお客さんの何人かもハッとして、私達の方に視線を向けたのが分かりました。


「……ッ」

「……雄二さん?」


 その音は、雄二さんが鳴らしたのだとすぐに分かりました。雄二さんは、テーブルの上で右手を握りしめ、ブルブルと震えていたからです。


 次の瞬間、『ブヂィイ!!!』という、何かを強引に引きちぎったような、不思議な轟音も店内にとどろきました。


「……今、なんて言った!?」

「え……」

「今! キミは、何と口走った!!?」

「あ、あの……」

「答えろ!! キミは今!! 何と口走った!!?」

「も、もし……おっぱいが……大きかったら……」


 私がそう言った途端、雄二さんが勢いよく立ち上がり、私を鬼の形相で睨みつけました。その頃になると、私は雄二さんの雰囲気に呑まれ、涙が止まってしまっていました。


「キミは!! 自分のおっぱいが好きではないのか!! 誇りを持ってないのか!!!」

「え、ええ……小さくて……」

「いいか! キミのおっぱいは、『あなたの元なら輝ける』『あなたと私が一緒にいれば、私たちは世界一美しくなることが出来る』そう信じて、キミを選んだんだ!!」

「は……?」

「だからキミは……この世界でたった一人! そのおっぱいを持つことを許された人なんだぞ! キミはそのおっぱいに選ばれた……選ばれたんだ!!」

「へ……?」


 私は最初、雄二さんが何に激昂しているのか、さっぱりわかりませんでした。


 でも、その激昂した声の迫力とは裏腹に、不思議と雄二さんの声は、私の耳に、とても優しく、柔らかく届きました。


「見なくても分かる! キミのおっぱいは、この世界にある何よりも美しく、尊いのに! それなのにキミは、そんな自分のおっぱいを卑下している……」

「……」

「その悲しさが、キミに分かるか!? きみのおっぱいは、キミを信じてキミを選んだのに……それなのに! 信じたキミに裏切られ『小さい』と罵られ! そして『大きいほうが良かった』と否定されている! その悔しさが分かるか!! 信じた人に裏切られるその無念が、キミに分かるか!!!」

「……!?」


 それはきっと、私ですら『小さい』と言って自信を持てなかった私のおっぱいを、『何よりも美しく、尊い』と雄二さんが言ってくれたから。今まで、誰にも肯定されなかった私のおっぱいを、彼は初めて、『美しい』と肯定してくれたからだと思います。


 大声で、誰よりも真剣な声で、必死に私のおっぱいを肯定してくれる雄二さんの言葉に、私の胸は、次第に高鳴ってきました。


 やがて雄二さんは、興奮して荒くなった息をしばし整え、彼の言葉を必死に拾う私を、まっすぐ見据えました。


「……キミのおっぱいは、誰のものでもない。キミだけが、持つことを許されたおっぱいだ」

「……ゆ」

「だが!! キミにはその資格はない!! 世界で一番美しい自分のおっぱいに誇りを持てないキミが!! そのおっぱいを持つことは、この俺が許さない!!!」

「へ!?」

「キミのおっぱいは……そのおっぱいは!! 今日から! 俺のおっぱいだッ!!!」

「……!!!」


 その瞬間、お店の中の時間が止まったことを、よく覚えてます。お店の中にいる人たちが、彼の言葉に困惑しつつも、感激していたのでしょう。


 もちろん私も、彼の言葉に感激していました。


「……」

「……」

「……ぷっ」

「何がおかしいッ!?」


 彼が私にぶつけた言葉の一つ一つを、私は噛み締めました。


 私は、おっぱいが大好きな雄二さんを前にして、自分のおっぱいに自信が持てませんでした。


 でも、そんな私を、雄二さんはこう叱責してくれました。


――キミのおっぱいは、この世界にある何よりも美しく、尊いのに!


――キミはそのおっぱいに選ばれた……選ばれたんだ!!


 怒りの形相から発せられる雄二さんの言葉に、恐らく嘘偽りはないでしょう。きっと彼は本心から、『キミはおっぱいに選ばれた』『キミのおっぱいは、何よりも美しい』そう思ってくれているのだと思いました。


 雄二さんのその言葉は、私の胸に、静かに……優しく、染み込んでいきました。


「だって……クスっ……」

「だから! 何がおかしいッ!?」

「だって……そんなに真剣に、おっぱいおっぱいって……クスクス……」

「それは! ……それはキミが……!!」


 そうか……私のおっぱいは、この人にとって、何よりも美しくて、尊いものだったんだ……さっきまで劣等感と罪悪感で、雄二さんに対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった私の心に、雄二さんの言葉で、次第に光が差し込んできたのが分かりました。


 顔も自然と笑顔になりました。まだ涙は止まらないけれど、これは悲しみの涙ではありません。誰にも肯定されることのなかった、自分のおっぱいを肯定してくれたことがとてもうれしくて……そしてそれが雄二さんだったことが嬉しくて流れる、嬉し涙でした。


「クスクス……雄二さん」

「なんだッ!? 今更謝罪をしても許さんからな!!!」

「……いえ。逆です」

「あン!?」


 この人に、何よりも尊い私のおっぱいを預けたい……この人のものだと思いたい……自然と湧き上がったその感情に、私は従うことにしました。自然と微笑む口を開き、雄二さんの目をまっすぐに見つめ、私は、自分の気持ちを彼に伝えました。


「……私のおっぱいを、あなたに預けていいですか?」

「ぁあンッ!? ……あ、え……?」

「何よりも尊い私のおっぱいは、誰のものでもなく……あなたのものだと、思って良いですか?」


 私の告白を聞いた雄二さんは、言葉の意味を理解したのか、次第にうろたえ始めました。さっきまでものすごい剣幕で、私に『キミのおっぱいは俺のおっぱいだ』と凄んでいた人が、今では私の言葉にうろたえ、しどろもどろになっている……そんな彼の姿が面白くて、そしてとても愛おしく感じました。


「え、えっと……」

「……」

「そ、その……」

「はい?」

「わ、わかった……」


 雄二さんはしばらくうろたえた後、そう答えてくれました。


 雄二さんの答えを聞いた私は、席から立ち上がり、そして、晴れ晴れした気分で、雄二さんにペコリと頭を下げました。


「……雄二さん」

「お、おう」

「ふつつかものですが、私と、私のおっぱいを、どうぞよろしくお願いいたします」

「おう……」

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