9-4
「皆さんワンツーワンツーです。それを忘れないで」
ゴキブリの講師が円陣の中心に手を伸ばしてそう言う。皆は順々に手を重ね、顔を見合わせた。男も皆、化粧をしていて顔が面白い。見入っているとカッパーに促されドンガガは音頭を取った。
「ショーの成功を祈りましょう。それでは……」
「ファイッ! オー!」
ドンガガはトップバッターだった。紫のアシンメトリーなスーツを着て気分が高揚している。緊張のあまり右手と右足が同時に出そうだ。隣でゴキブリの講師がぱんぱんぱんぱんと手を鳴らしている。会場の拍手とも連動したリズム。
舞台袖から会場を覗くと穴のずっと向こうまでお客さんがいた。ファッションに敏感なムシたちが集っているのだ。最前列のコガネムシと目が合った気がした。ドンガガはさっと顔を引っ込め深呼吸した。「ワンツーワンツー」とつぶやきながら動きを確認する。
序曲が始まった。ムシたちが舞台脇で囁く様に歌い始める。幕が開けドンガガはランウェイに躍り出た。会場がわっと沸く。手を振りながら足を延ばして颯爽と歩いてゆく。足が短いのは仕方がない。
コガネムシが隣のムシと会話してメモを取っている。突き当りまで歩くとポージング、上着を抜いで肩に掛けた。そのままふんふんと歩いていく。あまりに上機嫌で、途中何もないところでつまづいた。それもご愛敬、戻るとゴキブリの講師は「よかったわあ」と微笑んでくれた。
キャシーは大変緊張している様子だった。彼女の出番は三度ある。ショーの始めの方と中盤、そしてトリを飾る。その一回目の出番が近づいているのだ。
薄い水色の豪華なドレスをまとって、普段のキャシーからは想像がつかない。ドレスには合わないからとスズコが眼鏡を外させた。そのせいか足元がおぼつかないらしい。客席とランウェイの境界線もあやふやらしく十三歩歩いてターン、という練習を昨日ずっと繰り返していた。
「キャシーさん頑張って下さい」
ドンガガがそう声掛けするとカッパーに向かって「任せといて!」と返事をした。大丈夫だろうか?
心配をよそにキャシーは堂々と歩いて行く。歓声が一段と大きくなった。
観客は魅了され、うっとりとしてドレスを眺めている。突き当りでくるりとひるがえったあと横に向かって歩き出した。念のためにスタンバイしていたスタッフが舞台下で「危ないっ、危ない!」と駆け寄って事なきを得た。
音楽は想像以上に良かった。秋の夜長を思わせるような優雅なセレナーデがワルツへと変化し、それは皆を華やかな夢の世界へと
トリを飾るドレスを着たキャシーが再び凛と立つ。
南国の野鳥を思わせる鮮やかな色どり、それはショーのライトを浴びてより一層輝く。
ドレスがまぶしくてドンガガは目を細めた。出るとこれまでで一番の歓声が上がり、帰ってくるとスタッフがキャシーに駆け寄り舞台裏で彼女らは抱き合った。
そして締めくくりにスズコが胸を張ってランウェイに出た。割れんばかりの拍手が聞こえる。ドンガガも拍手を送った。スズコの笑顔はショーの成功を物語っていた。
「ありがとうございました」
ドンガガは深々とお辞儀をする。着た服を約束通り貰って大切にリュックに仕舞った。キャシーはドレスなのでリュックがぱんぱんに膨れている。
「こちらこそ礼を言うザンス」
スズコは逆に感謝していると手を差し出してくる。
「本当に頂いていいんですか?」
キャシーが半分嬉しそうな、半分申し訳なさそうな顔をしている。もらったのは最初に着た水色のドレスらしい。
「これは未来への先行投資ザンス」
「投資?」
「これから行く先々であたくしのデザインを広めるザンス。広まればあたしはもっと有名になるザンス」
「なるほど」
キャシーは合点がいったようだ。
「サンペリオの方々にも広めて参ります」
ドンガガは笑う。
「約束ザンス」
「はい、約束です」
「あたくしが世界的なデザイナーになったらいつか地上でコレクションをやるのが夢ザンス」
「リトルフォレストでいつでもお待ちしております」
事務所のスタッフが総出で見送りに来てくれた。ドンガガたちはお辞儀をすると再び寂しくて暗い穴の中を目指した。歩くリズムは軽やかに、ワンツーワンツー、ワンツーワンツー。
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