蒼の結婚闘争曲

 気づけば俺はBlueMarriageを購入していた。ダウンロード販売なら部屋にいながらすぐにゲームが手に入る。インストールが終わると同時に起動してムービーを連打でスキップする。適当なキャラクターを選んで始めてみた。


「結構難しいな」


 初雪の動画配信を見て、少しは動かせると思っていたが、見るのとやるのではまったく違う。ただのCPU相手にかなり苦戦させられる。それに最近初雪とやっていた同人格ゲーとはいろいろと勝手が違った。


 ボタンだって同じ配置とは限らない。威力が低く発生が早いものからA、B、Cの三種類。それから特殊動作のDボタン。これも格闘超人にあった共通の回避モーションじゃなく、キャラ固有の技が出るらしい。バーストもワンボタンではなく、四つのボタンを同時に押さないといけない。


 それに体力が減らない。一通りのコンボを入れれば半分は体力が減っていたのに、これではどうあがいても三割程度だ。コンボも練習してみたが、かなり限定的な状況でも半分いけばいい方だった。つまりラッキーヒットからの逆転が難しいということになる。


 そして複雑なシステムだ。BlueMarriageは10年近く続いている人気の格闘ゲームのシリーズだ。それだけあって長い期間に少しずつ積み上げられてきたシステムが初めての俺には大量の情報として襲ってくる。


 これを理解しようと思ったら結構な時間がかかりそうだ。それは少しずつ対戦で覚えていくとしても、地方大会に間に合うだろうか。いや間に合わせる。絶対に逃げ出すなんて敗北を認めるようなことだけはしない。それが俺の矜持きょうじだった。


 金曜の夜から週末の土日にかけてほとんどずっとゲームをやり込んでいた。キャラを動かしてはネットの記事を探して情報を集め、コンボを練習してアーケードモードで試してみる。始動によってコンボが変わるとなると、これを覚えておかないと判断することすらできない。これは結構面倒そうだ。


 初心者向けのキャラを選んでみたが、それでもかなり覚えることが多くて大変だ。それどころか共通のシステムもまだ頭に入りきっていない。本当にこれで間に合うだろうか。結局月曜の朝までやりにやり込んで、少しだけ動きは身についてきた。そして俺は今日の放課後、あいつに勝負を挑むつもりだった。


「初雪」


 部室に入って、いつものようにパソコンに向かっていた背中に俺が名前を呼ぶと、少し顔をこわばらせながら俺の顔色を伺うように振り返った。


「格闘超人ですか? それとも妖怪大戦記かカラフルパーティーでもいいですよ」


「BlueMarriageだ」


 俺の答えに、祈るように口元で合わせていた両手の向こうで、初雪の表情から色があせていく。


「そっちに転がっちゃったかー」


 部室の席に座っていたひなたサンはまるで他人事のように空に言葉を投げた。今日はファッション雑誌ではなくアーケードゲームの雑誌を読んでいるらしい。トニーちゃんも何か言おうとしていつもの怪鳥音が飛び出したが、口を塞がれる代わりにひなたサンに雑誌で殴られている。


「それはちょっと。他にやってみたいゲームはないんですか?」


「大会には俺が出る。だから俺と勝負してくれ」


 勝てる見込みはまずなかった。当たり前だ。こっちは始めてたった三日のド素人。それに対して相手は昨年の全中覇者なのだ。それでも挑まないわけにはいかなかった。ここで初雪が逃げるのをみすみす見逃しては、俺はこの間と同じことになってしまう。


「嫌なら断ってくれてもいいが、その時は格ゲー部をやめさせてもらうぞ」


  少しの間、うつむいたまま黙っていたが、初雪は決心を決めたように俺に据え置きゲームの前にある席を指差した。


「何本ですか?」


「公式大会と同じ。二ラウンド一本の三本勝負だ」


 格闘ゲームは相手の体力をゼロにすれば一ラウンドを取得することができる。そしてそのラウンドを二つか三つ取ると、一本ということになる。その一本を何本取るかというのでルールが設定されることが多い。


 今回は三本勝負だから、先に二本取った方が勝ちということになる。まぁ、この辺りの知識も全部土日で調べただけのにわか知識なんだが。


「わかりました。二本だけですよ」


「言ってくれるじゃねえか」


 それはつまり二本連続でとってストレートで終わらせるという意味だった。普段はどこか抜けていて、バグや永久コンボを語るときだけやたらと声が弾むあの初雪とは様子が違っていた。これが本気か。隣に座る初雪はいい目をしていると俺は思った。


  強いやつと戦う時はいつもこういう感覚がする。強いやつっていうのは筋肉があるからとか背が高いとかそういうもので決まるんじゃない。気迫が、闘志が。目に見えない何かがそいつの強さを決めているのだ。


 キャラクター選択に迷いはなかった。初雪は記事でも見たハイスタンダードのカエデ。対して俺が選んだのは主人公キャラである冥夜めいや。相性自体はそれほど悪くないとは聞いていたが、初心者の俺にとってはそんなものあってないようなものだった。


 一ラウンド目。長い牽制がダッシュで詰めようとした俺の出鼻に刺さる。そのままコンボに移行してあっという間に画面端で倒された。圧倒的に不利だ。


 起き上がりに中段、下段、コマンド投げ。ジャンプからすかして投げ。暴れた無敵の昇竜を冷静にガードされて、きついカウンターヒットからあっという間に体力がなくなった。


 タイムはたったの一五カウント。見事なパーフェクトだった。

 強い。CPU相手の対戦とはまったく動きが違う。こっちが不慣れなことをしっかりと理解して、俺が対応しにくい択を迫ってきているということだけはかろうじてわかった。こっちからケンカをふっかけたとはいえ、容赦するつもりは少しもないらしい。


 二ラウンド目もあっさり落として一本先取された。勝ちの糸口は少しも見えない。ゲームはバランスを取られて作られているんだから、ボクシングと違って勝ち目がないなんてことはまずありえない。それを頭で理解をしていても少しも手を出せる気がしなかった。


 二本目。縮こまってちゃいけない。そう思ってこちらから手を出しにいった。スタンダードキャラとはいえ、相手を固めに行けばこちらが有利な状況で攻撃を仕掛けにいける。そのはずだった。


 最初のジャンプは小パンで軽く落とされた。次のダッシュは投げを狙ったが、小さく飛び上がる中段攻撃で逆に相手の反撃をもらう。そこからまた起き攻めを食らってあっという間にこちらの体力がなくなっていた。二本目の一ラウンド目もほとんど変わらない。完敗だった。


「追いこまれてからが本番だよな?」


 俺の強がりに初雪は答えなかった。真剣な表情で画面だけを見つめている。それでいい。勝つことにもっと貪欲な、強い初雪が俺は見たいんだ。


 そして、その瞬間は二ラウンド目の最初に待っていた。

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