Chapter20
昼休み、屋上の空気が重い。
どんよりとした雨雲が空を覆い尽くしているのもそうだが、何よりは源士と美晴の間に流れる微妙な雰囲気の所為だった。
源士はむっつりと押し黙り、美晴は無表情であらぬ方向に視線を泳がせている。どちらも声をかける気はないので、遠くグラウンドで運動にいそしむクラスメイト達の声まで聞こえてくる始末だ。
だが、源士から折れる気もさらさらなかった。いっそ、本音を口にしなくなった彼女に憤りさえ募らせている。
真田隆聖との邂逅からこちら、二人の間に漂っていたギクシャクとした関係は、いよいよ決定的なものとなった。
源士が初めて跨ったワークスマシン。虎の子の《三式カザン》のスペックは、おせじにも彼を満足させるものではなかった。
求めるのはただ一つ。必殺の《デッドリー》を十二分に機能させるだけの瞬間加速力だけだった。
《三式カザン》は、確かによく走る。軽い車体、素直な操作性。それは申し分ない。
――ただ、それらが本当に必要であるならば、だが。
「お前ら……まだやってんのか、その意地の張り合い」
と、呆れた顔をしてやって来たのは兵吾だった。
「別に意地なんて張ってねえ」
「はあ? 何のことかさっぱりだわ」
二人ほぼ同時で兵吾に食って掛かる。期せずちらっと目があって、気まずさにそっぽを向いた。ちなみにこれも二人同時。こんな時だけ息の合う源士と美晴であった。
「ったく、仲がいいんだか悪いんだか……ほらよ」
兵吾は購買部で買ったと思しき菓子パンの紙袋を抱えている。その中から一枚の紙切れを取り出すと、ぶっきらぼうに源士へと差し出した。
受け取って中身を改める。無味なフォントで綴られた英文と、幾つかのグラフが掠れたインクでプリントされていた。
《エクスペリエンス》と呼ばれる、言わばマシンの成績表である。機体に搭載された人工知能がライダーの走行履歴を分析し、総合性能を評価したものだ。自動計算なだけあって、その算出値はあくまで目安程度の精度ではあるが、今の源士がマシンの傾向を探るには十分だ。
特に、機械は正直だ。計算結果に、人為的な手心が加味されることはあり得ない。
そんな馬鹿正直の人工知能が書き出した紙面。一際大きく占領するのは五角形のレーダーチャートである。速度、制動性、応答性、耐久性、そして加速性。それらの要素が十段階でポイント付されている。
グラフ化されているだけあって、その内容は実に分かりやすい。事実、源士はその内容に目を通すと、ほとんど間を置かずに嘆息した。
決して小さくはない。さりとて、それほど大きくもない正五角形が、チャートの枠内に行儀よく収まっていた。
源士はレポートをなびかせながら兵吾に目配せした。目で「事実か?」と訴える。
複雑な顔をした源士が頷く。ま、そうだろう。こんなものに細工をしても意味がない。
であるならば……と、源士は深いため息をついた。
この場合、行儀のよい正五角形が必ずしも優秀な成績を意味するとは限らない。正五角形、それは裏を返せば突き抜けたものが何一つないという証左である。
速い。が、驚くほどではない。
強靭。だが、損傷は免れない。
有体に言って、中途半端。
(そうじゃないだろう……必要なのは)
癖のない、しかしうま味も少ないマシンだ。源士の求める物とは、違う。
相も変わらず、美晴はあらぬ方向に顔を背けている。こいつ、この期に及んでも自分を無視するつもりか。
源士はおもむろに、読み終えたエクスペリエンスを折りだした。さほど器用でもない指捌きで、形作られたのは紙飛行機である。
源士は紙飛行機を美晴めがけて放り投げた。うまく風に乗った飛行機はそのまま美晴めがけて飛んでいく。
そして、一言ぽつりと呟く。
「あ、真田だ」
「はぁ? なんで――」
勿論嘘である。案の定、耳聡くこちらを伺っていたらしい美晴は、驚いたようにこちらを向いた。
サクッ……と、そんな音がしたかどうかはともかく、絶妙なコントロールで飛んで行った紙飛行機が、美晴の眉間に突き刺さった。
「っつぅぅぅ~~~」
「おお、効いてる効いてる」
「痛い! 何すんのよ!」
眉間をほんのり赤くして、目に涙を貯めた美晴が飛び掛かってきた。源士の首根っこを掴んで、馬乗りになる。
「よかった。まだ、そうやって暴れるくらいの元気はあるみたいだな」
この所、美晴は物憂げな様子ばかりで、前のような強気な性格は完全になりを潜めていた。まだ、牙は完全に抜かれていないらしい。
美晴は顔を赤らめて、バツが悪そうに眼を逸らした。
「マシンのスペックを決めるのは確かにお前だが……いい加減、説明くらいはあってもいいんじゃないのか?」
美晴があのマシンのビルダーで、そしてチームの監督である以上、彼女のオーダーには従うべきなのだろう。
だが、これでは源士がライダーを務める意味がない。加速力と突進力に任せたチャージング『デッドリー』が彼の持ち味だということ。知らぬ美晴ではあるまい。
飛び退いた美晴。苛立たしげに頭をかくと、源士に背を向けて屋上の手摺にもたれ掛った。
「真田くんのあだ名、知ってる?」
「あ、あだ名?」
話のつながりが読めず、源士は思わず聞き返した。
「あれか。『二中の火の玉』とか『三高の切れたナイフ』とか、そういうやつか」
と、兵吾。ふと、一時期彼がリーゼントにハマっていたことを思い出した。少しも似合っていなかったが。
「昭和のヤンキーか! ……まあ間違ってないんだけどさぁ」
「で、そのちょっと恥ずかしいニックネームが、あのおっさんにもある、と?」
美晴の横顔はちょっと得心がいかないといった様子だったが、やがて諦めたように口を開いた。
「《スキルブック》。彼、そう呼ばれてる」
源士と兵吾は顔を見合わせた。お互いに首を傾げる。
「……何かリアクションとかないわけ?」
「ええ? いや、なんか……」
「ああ、あっさりした名前だな……と」
「だからヤンキーじゃないんだって! あだ名っていうのは、そのライダーの特技や能力を揶揄して付けられるものでしょう? 真田君の場合は……彼、いくつの技が使えると思う?」
言って、源士を指差す美晴。
「キミなら《デッドリー》と《モビーディック》の二つだけど、一般的なライダーでも十個くらいの技を持っているって言われてる。けど、彼は違う」
美晴が手のひらを拡げてみせた。
「五個? ……少ないじゃねえか」
訝しむ兵吾。確かに、それなら並みの敵の半分と言うことになる。技を読むのも容易いはずだ。
だが、美晴は首を横に振って、答えた。
「五百、よ」
「ごひゃっ!?」
「……いや、どう考えてもウソだろ」
桁が違いすぎる。五十くらいならば、まだ納得も出来たところだが、五百はさすがに与太話もいいところだ。
「そもそも、ブラストにそれ程の技があるか? 結局は走って突く、それだけの話だろう」
「はあ、これだから猪武者は……馬上槍が出来上がってざっと九百年。最新のトレンドから、使い古されて埃の被った技まで、かき集めればそれくらいにはなるわよ」
「それを、奴は全部使えるっていうのか?」
「勿論。公式、非公式問わずだけど、真田君はそれだけの技を実際に使ったことがある。だけど、肝心なのはそこじゃない。知ってるってことは、対応できるってことよ」
「……なるほどな」
源士はようやく得心がいった。美晴が何を言おうとしているのか。真田の何が怖いというのか。
源士必殺の『デッドリー』は奇襲攻撃の一つだ。敵が挙動を読み切れぬうちに倒す、初見殺しと言ってもいい。
だが、真田隆聖。奴は――
「奴は《デッドリー》を知ってるんだな」
美晴は、また頷いた。
「真田君は《デッドリー》を良く知ってる。だから通用しない」
「馬鹿言うなよ! じゃ、源士はどうやって勝ちゃいいんだ!?」
兵吾が食って掛かった。
美晴は、目を伏せたまま何も言わない。
代わりに、地面に落ちた紙飛行機を手に取り、それを兵吾に向かって投げ放った。
紙飛行機をわしづかみにする兵吾。
彼は首を傾げているが、源士には、彼女の言わんとしていることが分かった。
「真田に対抗する。その答えが、このマシンってわけか」
「そう、真田君に対抗するには、これしかない。《デッドリー》が使えない以上、別の技に頼る。それに、無数にある彼の攻撃にも対応できるようにしないと。だから、マシンのバランスは必要」
強く風が吹いた。巻き上げるような突風に、兵吾の手にあった紙飛行機が舞い上がる。
「源士」と、美晴が呼ぶ。久しく、自分の名を彼女から聞いた気がする。
「真田君に勝つにはこれしかないと、私は思う」
源士は、いつぞや彼女が口にした言葉を思い出した。それが美晴の信念だと思っていたこと。それがあればこそ、源士は彼女の手を取ったという、言葉。
「それで、『気持ちよく』勝てるんだな?」
美晴は、頷くなかった。否定も、肯定もしない。能面を被ったようなその顔には、何の感情もうかがえない。
だが、ただ一言。
「勝つためよ」
「……そうかい」
昼休みの終了を告げる鐘が鳴る。源士は美晴に背を向けて、屋上を後にした。
今はきっと、何を言っても美晴の心には響くまい。その作戦が正しいのか間違っているのか、それはどうでもよいことだ。
だが、どうしても許せぬことがある。
美晴は胸を張って言っていた。「気持ちよく勝つのだ」と。
それを肯定できぬのなら。
己が信念を曲げるのなら。
――今の美晴を信じることは、できない。
***
小山田兵吾はベッドに仰向けになって、常夜灯の薄明るい光を眺めていた。
さて、困ったことになっている。
源士と美晴の折り合いが悪いのは、チームにとって悪影響でしかない。
だが、どちらの言い分の分かってしまうがために、兵吾としてはこの状況をどう宥めすかそうか、悩み果てていた。
いや、本当は全員が察しているのだ。
美晴は現実的な打開策を提示しているが、それが勝算の薄い作戦であることも、心のどこかでは気付いている。
いつものように自信満々な態度は表に出さないし、その受けごたえも歯切れが悪いのだ。
一方で源士も、自分の戦い方を曲げたくはないが、それが無謀の極みだと承知している。だから強くは出られない。
……詰まる所、どちらも人付き合いがド下手くそなわけで。
「あいつら、我が強い癖にこんな時だけ主張しねえんだもなぁ」
などと悶々としているうちに、遂にはロクに眠れもせず朝が来てしまった次第である。
こんなだから根っから小心者だと笑われるのだが、こればっかりは生来の気質なので仕方がない。
しかし、現状が良くないのは事実である。
何とかせねば、という気概はあるのだが、マシンを弄る以外に取り柄のないと自覚している兵吾である。何をすればよいのやら、さっぱりだ。
そのように、兵吾が枕を抱いてベッド上を横転しだした頃――
こつん、と窓を何かが叩いた。
一回目は気のせいかと無視をした。
すると数秒の間を置いて、また同じ音。
こつんこつんと、窓を叩く音は次第に数を増やしていく。睡眠不足でイライラが最高潮に達した兵吾。ついに堪忍袋の緒が切れた。
枕を投げ出し飛び起きると、カーテンと窓を開け放つ。
まだ早朝だと言うのに、兵吾はその良く響く声を目一杯解放した。
「うっせえぞてめえ! 何時だと思ってんだぉらあ!」
と、生誕からこの方、五指に入るメンチを切ったところで、そこにいた人物を認めた兵吾は、思わず小首を傾げた。
一人の男が、兵吾宅の前から二階にある彼の部屋を見上げていた。
「源士か……?」
山県源士が、そこにいた。
夏も近いと言うのに、その長身を長袖のライダースジャケットで覆っている。それも、何処から調達したのか、跨っているのは大柄なレーサータイプのバイク。二輪の免許は持っていても、学生の身分故、バイクまでは手が届かないと嘆いていたはずだが。
その源士は、手の上で弄んでいた小石を捨てると、代わりにもっと大きな物体を投げてよこした。
慌ててそれを受け取る兵吾。ヘルメットである。
事情が良く飲み込めない。まだ混乱する兵吾に向かって源士が叫んだ。
「よぉ! ちょっと付き合えよ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます